98 / 136
第98話「転回」
「出掛けてる?」
「車がなかった」
ポケットからハンカチを取り出すと、首をぐるっと一周と、鼻と額を拭いた。
「参ったな。5回くらいインターホン押したけど出てこない」
「完全に外出してんな。家族で?どこ行ったんだろ」
前田の車に帰ってきた藤崎がそう言うと、分からない佐藤家の行き先に頭を悩ませながらもその場の全員が「ここまで来たのに、」と肩を落とした。
せめて一瞬でもいいから義人に会いたかったのだ。
「車戻ってくるまで待つわ、俺」
「いやいやいや、俺らも待つから。1人でやろうとすんな」
だからお前らは帰ってて、と言いかけた彼に、滝野は怒ったような顔をした。
車の中で陽に当たることを避けている光緒も元から目つきの悪い目でギロリと藤崎を睨む。
こう言う、隙をついたように何でも1人でやろうとするところが気に入らないのだ。
「ん、、ありがと」
「はいよ。西宮くん達も付き合ってもらっていい?光緒もな」
「ここまできたらやるっきゃないっしょ」
「あんがと」
前田も異論はないらしく、本来の爽やかな好青年らしくニコッと笑ってみせた。
この男は喋らずに精神的に安定していて普通にしていればそれなりに見える。
車のドアを開け、窓を全開にしているのだが最早外の気温の方が茹だるように暑い。
全て締め切って冷房をかけて待つか、近くにファミレスとかがないのかと調べる事になった。
午前10時10分過ぎ。
佐藤家が帰ってくるのはいつになるだろうか。
結局、少し歩いたところにあったカフェに逃げ込んだ。
ドッグカフェらしく、朝食後の犬との散歩の合間に珈琲を飲みがてら犬友達との交流をしにきた客で結構賑わっている。
トイプードルとミニチュアダックスフンドが多い。
「アイスコーヒー3つと、アイスカフェオレお2つ、お待たせ致しました」
「あ。ありがとうございまーす」
滝野はトレーの上から降りて来る汗をかいたグラスをさっさと4人掛けのテーブルに座ったそれぞれの前に配ってくれる。
前田は誕生日席だ。
そしてアイスカフェオレは前田と光緒のものだ。
「ここ、あって良かったな」
「ホントだね。暑さで死ぬかと思った」
「先輩死ぬなら俺も死にます」
「それはやめろな」
前田と恭次と言うのは大体こんなやり取りだ。
「、、1回見て来る」
「久遠」
「、、、」
「やめろ」
ガタッ、と椅子から立ち上がった藤崎は、配られたアイスコーヒーをひと口も飲んでいない。
光緒が低い声で彼の名前を呼んだ瞬間に、滝野が腕を捕まえていた。
「久遠ちゃん、ここ来てまだ5分しか経ってねーよ。せめて15分か20分交代で偵察に行こ。バテるよ」
彼の腕を掴んだまま、滝野はそう言って止める。
もう目の前に、ようやく探し当てた義人の実家があると言うのに動きようがない事が、藤崎を少しずつ焦らせているようだ。
「落ち着けって。大丈夫だよ」
「敵の本拠地あそこなんスよね?何にしろ夜には絶対戻って来ますよ、藤崎さん。待ちましょ」
滝野に続いて、藤崎に妙な懐き方をしてしまった前田がそう言った。
敵、と言う言い方は少し違うが、前田が人前でも普段通りに話しているところを聞いてしまった恭次は何だか面白くて笑っている。
女の子の前だと明らかに威嚇していて忙しなく、攻撃的な事しか言わないのだ。
「、、はあーー。ごめん、本当に早く戻って来て欲しくて」
「分かってるよー、焦んのも。でも今焦っても意味ねーから、とりあえず待とう」
言われるがまま、確かに焦り過ぎだな、と藤崎は席に座り直した。
15分毎に義人の実家を覗きに行く事が決まった。
藤崎、滝野、光緒、恭次、前田の順だ。
今が10時25分なので、40分に藤崎、55分に滝野、11時10分に光緒、25分に恭次、40分に前田が行く。
それでも来なければまた藤崎から15分おきに行く。
「西宮くん達、本当に巻き込んでごめんね。ありがとう」
「いいよ。こいつが警戒しない友達も珍しいから、久々に人と話せていい気分だし」
隣で肩を窄め、縮こまりながら下手くそにカフェオレをストローから飲んでいる前田の背中をバシンバシンと叩きつつ、恭次はあっけらかんとして笑う。
「出鼻挫かれたのはムカつくけど、待つだけ待つか」
「うん」
珍しく光緒もそう言った。
彼なら勝手に塀を乗り越えて玄関ドアの前まで行き、納得いくまで叩いて大声を出しそうなものだったが今回は淑やかにしている。
無理矢理に行くのではなく、面と向かって正式に乗り込む必要があるのだときちんと分かっているようだ。
無関心そうに見えて、藤崎や滝野の話しをちゃんと聞いているだけはある。
1時間が経って午前11時30分を回ると、今度は昼食を食べようと言う客が少しずつ増えてくる。
店の中の角にある4人掛けに座っている5人は、既に藤崎、滝野、光緒が義人の実家の様子を見に行っていて、先程恭次が帰って来たところだった。
「やっぱ夜かな」
「どーだろ。とりあえず、12時前になったら昼飯頼んじまおうか。飲み物だけで居座るのも悪いし」
「そうだね」
昼の炎天下、アスファルトの照り返しと熱で余計に気温が上がって来ている。
犬連れが減って来たのは、この暑さで散歩させられないからだろうか。
確かに灼熱のアスファルトの上を何も履いていない犬の肉球で歩かせるのは中々に拷問だ。
「じゃ、前田が見に行って、まだ戻ってなかったら飯」
「ん」
全員、もう飲み物のグラスは空になっていた。
子連れが増えて来た事で店内の賑やかさが増してくる。
午前中が犬連れの穏やかな老夫婦が多かった分、まだ3歳にもなってないだろう小さな子を連れた親達が増えてくると、当然、体格のいい男が揃った藤崎達はチラチラと視線を受ける事になった。
「え、すっごい格好いい子いる」
「金髪の子も可愛い」
「背高いね」
若い奥様方の集まりもいるようで、ひそひそと藤崎達を観察しては何か言っているのが聞こえた。
これだけ目立つ容姿がいればな、と恭次は周りの4人を見回して納得している。
彼は自分が平均的な顔立ちという自覚があるのだが、他の4人は中々に派手だ。
藤崎は全面的に顔が良く整い過ぎていて、前田はすらっと背が高く、中身を知らなければ爽やかな好青年にしか見えない。
和顔で飾り気はないものの、男前な顔立ちをした滝野もうるさくしなければそれなりで、光緒はやたらと金髪が似合うし個性的な顔だが整っている。
(肩身狭いな)
ここに義人が入る。
彼は昔から童顔で目が大きく、まるで男性アイドルのような可愛らしさのある顔をしているのでやはりこのメンバーには馴染むだろう。
よりどりみどり、多種多様なイケメンを集めたような会だな、と恭次はしみじみしながら氷が溶けてできた水をストローで啜っていた。
「んー、あ!40分スね。俺行ってきます」
「ありがとう」
全員が交代で見に行くとなった時点で、カフェから義人の実家までのルートは教えてある。
それと、家の外観も全員で確認しておいた。
前田は立ち上がり、店の出入り口に歩いて行きそのまま外に出て行った。
「腹減った」
光緒はそう言いながら、まだ前田が出て行ったばかりだと言うのにランチのメニュー表を見始める。
パスタ、ピザ、サラダプレートと色々載っている中に、やはり「ワンちゃん用ランチプレート」などもあった。
「西宮くん家って何か買ってる?」
「親父が最近猫飼い始めたよ。保護猫。もう大きいんだけど穏やかで良く寝てる」
「え、猫いいな」
「お前アレルギーだろ」
確かに滝野は猫アレルギーだ。
誰もこんな事されてないといいな、と義人の事を口に出したりしていないのは、藤崎の不安を煽らない為だった。
今は一旦落ち着いていて冷静だが、義人の事となると過剰に反応するときがあるので追い詰めないようにしている。
特に今回は「俺がついて行けば、」とかなんとか言う声も聞いていたので、余計にあれこれ言わず、全力で気を遣って関係ない話しばかりしていた。
「2人の家は?」
「うちは何も。光緒ん家は魚いるよな」
「熱帯魚、な。父さんが好きだから」
「大城さん熱帯魚好きなんだ。何かオシャレ、、」
もうそろそろ45分になる。
カラン、と店の出入り口のドアが開いた。
「藤崎さんッ」
駆け込んできた前田は、ドッと汗をかいたまま、一直線に藤崎の元まで来た。
その時点で話し込んでいた皆んなが、まさか、と身構える。
「車、今戻ってきて門開けてます!!」
「ッ、!」
そう言うと、藤崎がガタッと椅子を揺らして立ち上がった。
「久遠これ、金払っとくから行け!」
滝野にそう言われ、手土産の紙袋だけ握らされると、藤崎は前田の横を通り抜けて慌ただしく店の外に出て行った。
急な事で藤崎以外の全員がわちゃわちゃと店を出る準備をし出すのを、周りの客が呆然と見ていた。
ともだちにシェアしよう!