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第100話「破壊」

藤崎の腕の中で聞いたその怒声に、思わず義人の身体は震え上がった。 鰐渕の協力もあってやっと少し、父親とゆっくり話せるかもしれない、真っ直ぐ自分を見て同性愛者なのだと諦めてくれるかもしれないと思っていた義人は、義昭の方へ振り返り、その怒り狂った顔に絶望した。 「息子から離れろッ!!この変態がッ!!人の気も知らないでよくのこのこと来られたもんだなッ!?」 興奮した様子の義昭は怒ったままこちらに歩いて来る。 よろけて倒れそうで、それを見ているのすら切なくなって、思わず気を付けてと言いそうになった義人が前に出ようとした。 咲恵は車庫からやっと出て来て、後ろから「お父さん待って!!」と義昭を呼んでいる。 どうやら車の中から2人で義人達の様子を見ていて、我慢ならずに出て来たようだった。 「義人、下がってて」 「く、久遠、」 前に出ようとした彼を抑え、藤崎が庇うように前に出た。 「はじめまして。義人くんとお付き合いさせていただいている、藤崎久遠と申します」 「どうだっていい!!そこを退け!!出て行け!!」 「お父さん待って、お父さん!!せっかく来てくれたんだからッ、義人の為に来てくれたんだから!!」 「うるさいッ!!」 あと一歩で藤崎の目の前、と言うところで義昭は追いついて来た咲恵に服を掴まれて止められる。 その手を離させようと抵抗しながらも、彼は藤崎を睨み上げた。 「帰れ!!二度と来るな!!」 「お話しさせていただきに来ました」 「話すことなんかない!!義人、義人!!こっちに来なさい!!義人!!」 行きたくない。 義人は藤崎の背に隠れながら、名前を怒鳴られているせいで頭が痛くなって来ていた。 (痛い、嫌だ、帰りたい、帰りたいッ) この件を話し合って終わらせなければいけないのも十分分かっているけれど、責められ続けているせいで心の余裕がすぐになくなってしまう。 怒鳴るのをやめて欲しかった。 冷静に、静かに話しがしたい。 震えが止まらなくなった自分の手を見下ろすと、どうしてこんなに弱いのかとまた自分でも自分を責め出してしまう。 (違う、久遠と帰る、俺は病気じゃないって鰐渕先生だって教えてくれたんだから、帰っていいんだ。落としどころをゆっくり見つけて、それで、) 「義人ッ!!」 「ッ、」 「怒鳴るのをやめて!!」と叫びそうになった瞬間、藤崎の左手がグン、と後ろに伸びて来て義人の右手の手首を掴む。 「ぁ、」 いつもなら痛くならないようにと優しく掴む手が、今日は離すわけにはいかないと痛いくらいに力を込めて来ている。 (迎えに来たんだ、俺のこと) その想いが伝わってくる。 相変わらず自分より高い体温が手首から感じられて、愛しくて、泣きそうになった。 (大丈夫、大丈夫だから、大丈夫だから) 自分を奮い立たせなければならない。 この世で1番強い味方が来てくれたのだから、勇気を振り絞らないと。 「義人ッ!!」 「すみません、佐藤さん、怒鳴るのをやめてもらえませんか」 「義人ッ!!こっちに来なさい!!うちの息子だろう!!こっちに来なさい!!」 「お願いします、怒鳴らないで下さい。冷静に話し合いたいんです」 「お父さん。お願い、お父さん」 「こっちに来い義人ッ!!」 藤崎はあくまで冷静にそう言うのだが、義昭は頭に血が上っていて、咲恵の声も、誰の声も聞いていなかった。 むしろ叫び続ける事で、周りの人間の声を掻き消している。 善悪がぐちゃぐちゃになった不安定な彼では今の状況は受け止めきれず、また、面と向かってこんなにも堂々とした藤崎と話し合う事など到底できなかった。 「お父さんお願い落ち着いて!!」 「うるさいッ!!」 「キャッ、!!」 義昭が腕を振り払った瞬間、咲恵は体勢を崩して後ろに倒れ込む。 「お母さんッ!!」 ドシャッ、と音がして咲恵が地面に転がると、昭一郎が急いで駆け寄って来て身体を起こすが、どうやら頭を打ったようだった。 「お母さんっ、!」 思わず、藤崎の後ろに隠れていた義人が叫ぶ。 「ッ、、佐藤さん、お願いですから落ち着いて下さい。義人、行って」 「ごめん、」 「謝らなくて良いよ。大丈夫だから」 藤崎が手を離すと、義人は急いで母に駆け寄った。 血は出ていないが、勢いが良かったせいか頭が揺らされて少し頭が怠くなっている。 耳の後ろで音が鳴っているような、何も聞こえていないような、気持ちの悪い感覚があった。 「お母さんッ」 「大丈夫大丈夫、ね、ほら。平気平気。ごめんね、」 駆け寄って来た義人に笑いかけ、咲恵はヘラッと笑って見せた。 「出て行けッ!!」 「ッ、、お父さん!!お母さんが頭打ってんのに何でこっち見ないの!!何で心配してくれないの!!なあ!!」 咲恵を振り返りもせず藤崎に向かって怒鳴り続ける義昭は、とうとう抑える手がなくなったからと彼に詰め寄ってスーツの胸ぐらを掴んだ。 昭一郎はそんな父の背中に怒鳴りつけるものの、やはり反応はない。 「佐藤さん。お願いします。落ち着いて下さい」 「息子をッ、こんな、こんな変態にして!!何が同性愛だ、そんな下らないものこの世にない!!出て行け!!」 「この世にないならどうして義人くんは苦しんでるんですか?どうして貴方はずっと怒鳴ってるんですか」 「大人に向かって何て口の聞き方をするんだお前ッ!!」 「大人なら大人らしく、落ち着いて僕と話して下さいませんか。奥様にちゃんと謝罪して、心配して、怪我がないか確かめてからちゃんと話し合いませんか」 煽っている訳ではない。 藤崎も藤崎で、ここまで話しが通じない大人が初めてでどう扱ったらいいのかが分からないのだ。 「義人、大丈夫だから、ね。今日は向こうのお家帰りなさい。藤崎くん来てくれたんだから」 義昭から少し離れたところに倒れ込んだ咲恵は、彼と藤崎のやりとりをハラハラしながら見守りつつ、義人を見上げてそう言った。 「お母さん、お願い病院行って。俺、運転するから、連れてくから」 「そんなの昭一郎にお願いするから大丈夫。運転上手いんだから任せて」 「兄ちゃん、帰った方がいいよ。お父さん抑えるから」 「でも、」 「義人」 地面に座り込んでいた咲恵はやっと立ち上がると義人の肩を摩りながらそう言った。 視界の奥で藤崎に掴みかかっている義昭が見えて、暴力を振るうのではないかと不安になっているのだ。 何かある前に、やはり息子とも距離を置かせないといけない。 子供を守ろうと言う本能と、藤崎の姿を見て安心した咲恵は、この場では義昭を抑えて時間をかけてこの問題を解決するしかないと思った。 逆に、解決できるのでは、とも思った。 何故なら、藤崎久遠と言う人間があまりにも綺麗で、そしてそんな彼と抱きしめ合う息子の姿が愛情に溢れていて、どうにも誇らしくなってしまったのだ。 (本当に好きなんだね、) あんなにも彼女と言う存在に関心がなく、いつもボーッとしていた息子が、嬉しそうに愛しそうに何度も名前を呼んだ相手。 わざわざ着てきたのだろう仕立ての良いスーツと、律儀な手土産の紙袋と、染めたばかりに見えるわざとらしい色の髪。 義昭の態度にも臆する事なく真っ直ぐ見つめて話そうとしている姿勢も、何もかもが、ただの好青年なのだ。 (恥ずかしがらなくて良いんだね) 立派な姿ではないか、と思ったのだ。 変態でも、病的な雰囲気でも何でもない。 清潔感のある、誠実そうで、その辺にいそうな若者が義人の相手だったのだ。 咲恵の中にあった、もし大きくて丸刈りで無骨で怖い男だったら、とか、ヒョロヒョロで色白で義人に固執した病的な男だったら、とか、そんな色んな不安が晴れていく。 例えそう言う男が来ても、こんなに義人が想っているなら良いか、とも思った。 こんなに生きている色をした表情をしてくれるなら、こんなにもその人を愛しているなら、変に息子を囲う必要も何もないのだとやっと素直に思えた。 「行って」 咲恵は義人の肩をトン、と押した。 昭一郎がコクンと頷くと、義人は再び藤崎と義昭の方へ向かう。 「出て行けッ!!」 怒鳴り声が響くたびに、ビクッと肩を震わせて、それでも義昭に立ち向かおうと藤崎側に回り込んだ。 「お、お父さん、」 「義人、こいつを出て行かせろ、、!!」 「お父さんあの、、ぇ、」 「落ち着いて、下さい、」 藤崎の胸ぐらを掴む手を離させようと指をかけて義昭の顔を見た瞬間、義人は思わず息を飲んだ。 ゴク、と変に大きく喉の鳴る音が響く程に。 「佐藤さん、お願いします、、どうか、落ち着いて下さい」 藤崎の声は、彼を見て狼狽えているようだった。 「出て行ってくれ、、頼む、家族を、壊さないでくれ」 義昭は、涙も鼻水も混ざって分からないくらい、ぐちゃぐちゃになって泣いていたのだ。

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