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第106話「助け」
電気のつけられた部屋に入ると、鍵を開ける音に気が付いたのか玄関まで里音が来ていた。
「くう!義人、、は?」
その言葉に、また肩に何か重たいものが乗ったような気がする。
無言で藤崎が家に上がると、後ろに続く滝野が里音に向かって首を振り、それでやっと、奪還作戦は失敗したのだと彼女は理解した。
「どして、?」
「ちょっと、色々予想と違うこと起きすぎて、、向こう行こ。皆んなにも話すから」
察しのいい入山と遠藤がやたらと静かな彼らに察さない訳もなく、自分の家のリビングに入ってきた藤崎の黒髪のおかしさにも触れず、買っておいた開けられていない昼飯が並んだテーブルを前にしたまま、彼が無言で寝室に行くのを見送った。
(失敗か)
彼女達からすれば、想定内ではある。
藤崎、滝野、光緒が義人の実家に行っている間、彼女達は戻ってきた彼らを出迎え、帰ってきた義人を労う為にいたのだが、今日はそれが叶わなかった。
寝室に消えた藤崎はバタンとドアを閉じてしまって、誰とも話したくないのだと示してくる。
それを追う人間はいなかった。
「佐藤、ダメだったの?」
一応に入山が口を開いた。
扇風機が回るリビングに入ってきた光緒は空いていたソファに座るとズルズルと横たわってしまい、滝野は「うん」とため息を吐きながら閉められた寝室のドアを眺めつつ、ラグの上に座った。
現状を報告せねばならない。
「親父さんがさ、結構キちゃってて、泣き叫ばれて、打つ手なし。義人には会えたんだけどそれどころじゃなくて、あいつも、親父さんについててあげたいからって」
「何だ、佐藤が選んだのか」
「選んだと言うかあの状況だと選ぶしかなかった」
遠藤の言葉に返すように滝野が言う。
「、、死んじまいそうだったもんな」
ボソリと光緒がそう言うと、何となく状況は全員が察せた。
つまり、帰りたいと義人も思っていたが、父親の取り乱し方が尋常ではなく、泣き叫ぶ様が異様過ぎて一旦引いてくるしかなかったのだろう。
「これ、長期戦になる?」
「いやそう言うんじゃないと思う。西宮くんが、とりあえず明日また藤崎が義人の家に呼ばれたとは言ってた。あいつ自身が迎えに来てって言ってたのと、お袋さんと弟は話しがしたいって言ってくれてんだと」
夏休み内で事が終わるかどうかと怪しんでいた入山はホッと胸を撫で下ろした。
「で、アイツは何であんななの」
そして静かに寝室のドアを睨みつけた。
入山はどうにも、ああやって理由を言わずに塞ぎ込む人間が苦手なようだ。
ましてやあの藤崎がとなると、苛立ちも増すらしい。
いくら義人の事だからと言っても、その状況の過酷さにしろ、塞ぎ込んでも確かに先に進める事はない。
悩んでも仕方がない。
前を見るしか。
けれど今、藤崎の中は混乱しかなく、どうにもいつもの調子が出ないのだ。
「、、、義人」
寝室の中で1人きりになった藤崎はため息をついた。
いつもならこのくらいの時間に起きても不思議ではない時間帯に、その部屋にはいつもいるはずの恋人はおらず、藤崎だけが陽の差し込む窓辺を眺めている。
(どうしたらいいんだろう)
涙は出ないが、ぼたぼたと心が泣いていた。
義人に伸ばした手が握り返されなかった事も、義昭に言われた言葉の重さも、何もかもが藤崎を追い詰めているのだ。
(義人の幸せはなんだろう。誰といる事?俺といて、家族と疎遠になるのは、君にとって幸せ、?)
混乱していた。
出会った事のないものに出会い、言われた事のない言葉を思い切り胸に突き立てられ、グサリと奥まで刺し込まれて。
(明日迎えに行く、、行っていいのか、)
本来なら、「失礼だ」「関係ない奴がしゃしゃり出るな」と、それだけで終わる彼の心中は、今は乱れに乱れている。
ドクッドクッと心臓が騒いで治らず、何度もあの瞬間が頭の中で再生されてしまうのだ。
『頼む、家族を、壊さないでくれ』
「ッ、、違う、」
壊したい訳じゃない。
藤崎が義人の大切なものを傷付けたり、破壊したいと思う事はありえない。
そうしようとする事は絶対にない。
彼はあくまで義人と一緒にいたいだけで、それ以上は何も望んでいないのだ。
(愛してるから、そばにいたいだけで、)
でもその愛が、義人の家族を壊していると言われた。
確かに、義人と藤崎が愛し合わなれけば起きなかった事がたくさん起きてしまっている。
良い事も悪い事もある中で、今回は悪い事が起きてしまったのだ。
『頼む、家族なんだ、、大事な息子なんだ、頼む、頼む、』
義人を好きと言うだけで、こんなにも悪者にされると彼は思っていなかった。
藤崎の周りは良くも悪くも彼の突飛な行動や言動に慣れた人間に溢れ、何より、彼らの同性愛を否定するものが極端に少なかった。
美大と言うところがそれに適応した環境だったと言えば半分当てはまり、半分は違うだろう。
カミングアウトしやすく、受け入れてくれる人間が多かった事は確かだが、同性愛者の数は他の大学と大差ないと思われるからだ。
ただ単に、滝野も、入山も、遠藤も、たまたま彼らを否定しなかった。
大城も、西宮も、菅原でさえも、多種多様な世界を見てきたからこそ口出ししてこなかった。
それだけ、この大学に通い、出会った事は幸運だったのだろう。
それが崩されたのが、今回の件だ。
(義人を奪いたいんじゃない、そうじゃない、俺は義人といたいだけだ。好きで隣にいるだけだ。義人だって同じだ。誰にもそれを否定して良いわけがない)
けれど心は痛むのだ。
何故なら相手は、佐藤義人が愛する家族だからだ。
(壊したくない、壊したいんじゃなくて、ただ、)
手を繋ぎたい。
考えてみればそれすら難しい関係を、こうも今まで続けて来れたのはお互いに必要な人間以外には恋人であることを明かさずにいたからだ。
(じゃあ、俺と義人は間違ってるの、?)
マイノリティで、口外できないならそれは悪なのか。
藤崎は分からなくなっていた。
愛し合うのは勝手な筈なのに、けれど悲しむ人達がいる。
自分が義人のそばにいれば、きっと家族を遠ざける事になる。
それが正しいのかが分からなくなっていた。
(会いたい、、抱きたい)
でも本当は、手を繋ぐだけでも良い。
それだけの気持ちなのに、どうしてこんなにも多くの人を巻き込んで苦しむ事になるのだろうか。
「、、、」
もうダメだ。
「疲れた、」
寝室の中で1人、項垂れて、いつもは2人で眠るベッドに触れる気にもなれず、突っ立ってボーッと窓の外を眺めている。
誰かを苦しめたくて始めた恋でも、何かを壊したくて義人を好きになった訳でもないのに、と、彼は疲れ果ててしまった。
コンコン
(、、今、誰とも話したくない)
寝室のドアが突然ノックされて、ゆっくりと藤崎はそちらを振り向いた。
隣の部屋には5人の友人がいる。
恭次と前田とは連絡を取り合おうと言って別れた。
明日をどうするかとか、本当なら友人達と話し合わなければならないのに、その気力が出ない。
苦しい、ばかりが浮かんできてしまう。
「久遠、入っていい?」
滝野の声だ。
コンコン、とまたノックされる。
「久遠ちゃん。あのさ、義人の親父さんになんか言われたんでしょ?」
「、、、」
「なんて言われたのか教えろよ。何かこう、、明日迎えに行くのに、お前その顔で行くの?ヤバいよ?」
いつもならイライラして言い返すのだが、そんな元気すらなかった。
彼らから見た自分の顔がいかに情けなく頼りないのかは滝野のその言葉で十分に理解できた。
本当に迎えに行って良いのだろうか。
いや、自分は迎えに行けるのだろうか。
滝野の言葉が身体をすり抜けていくようで、藤崎はぼんやりとそんな事を考えてしまっている。
ドアの横の棚の上にある時計が13時を示している。
(義人の大切な家族を壊すのに、迎えに行って良いのか、、?)
明日まではまだまだ時間があった。
「久遠」
「、、、」
もう今日は、誰とも話したくない。
藤崎はそう思って、黙ったまま、ベッドで横になってしまおうかと足を動かそうとした。
「結局またそうやって頼らねーのか」
「っ、」
滝野のその言葉で足は止まり、ピク、と左手の小指が痙攣したように動いた。
脳裏には、いつかの中学校の教室の景色が蘇ってくる。
「、、、」
数年前のその日から、確かに藤崎は誰にも頼らずに問題を抱え込み、段々と追い詰められる状況に対処する事もできず、塞ぎ込んでひたすら奥歯を噛み締めるだけだった。
『もっと早く頼ってくれたら、こんなことにならなかったんだよ』
今でも当時の滝野の声も、傷付けた少女の顔も、鮮明に思い出す事ができる。
大切なものを守る事ができなかった。
自分が加害者になった。
あの瞬間の、胸糞悪さまでも、鮮明に蘇るのだ。
「、、、」
足の向きを変え、寝室の入り口のドアへ向かって歩いた。
あの失敗から人生がおかしくなって、藤崎の高校時代は人を避ける為に存在した時間になってしまった。
何もかも嫌で汚くて、何かあれば顔、顔、顔、と言われて、今の彼からは想像もできない程に暗い時間。
あれが終わったのは、あの受験の日、頑張ろうと声を掛けて、危機を救ってくれた義人がいたからだった。
(どうにかしないと、)
答えが分からない。
自分の行動が正しいのかが分からない。
でももうあんな過ちを繰り返したくも、義人を失いたくもない。
ガチャン、とドアが開いた。
「っ、、久遠ちゃん、暗い顔似合わんよ。やめな」
開いた扉の向こうにはヘラヘラと笑う滝野の顔があって、やはり少しムカついた。
「義人のお父さんに、、家族を壊さないでくれって言われた」
「え」
頼ろう、と決めた藤崎は即座に口を開きそれを伝えた。
その言葉には、流石にその場の全員が驚いたように目を見開いて、光緒までソファから起き上がっている。
「壊してるのが俺なら、壊したくない。でもそれは、義人を諦めるってことになる」
「、、、」
「それは、、それだけは、出来ない」
「、、、」
「どうしたらいいのかが分からない」
それだけ言うと、トン、と両肩に幼馴染みの手が乗った。
「壊して何が悪いんだよ」
それはいつもの彼からすれば、あまりにも似合わないひと言だった。
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