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第117話「放つ」

「俺が、苦しめて、くっ、くっ、苦しめてッ、み、ん、、み、、ふっ、皆んな、俺の、」 「違う」 「違くないッ!!ちっがっ、ち、違くないいッ!!」 義人が叫んだ。 「ッ、!!」 彼の苦しむ声に身体が震えて、表情を歪め、義昭は痛いくらいに奥歯を噛み締めた。 (俺のせいだ) そう思ったのは間違いではなかったのだ。 誰かの何かが理解できなくても、認められなくても、それを理由に誰かを傷付けたり、考えを否定したりしてはいけない。 犯罪でないのなら、否定する権利は誰にもない。 義人は今、確かに、自分が死のうとして巻き起こしてしまったこの一件の責任を背負い、反省して、様々な人に謝罪をしなければならない。 しかし彼と並行して、義昭はここまで自分の息子を追い込み、傷付けて、死を考えさせてしまった現実と向き合い、考え直さなければならなかった。 (なんてことを、) 悔やまなければならなかった。 この多様性の時代に子供を生んだと言うのに、アップデートできない古い頭や考えを改めなければならない。 否定するばかりではなく、向き合って理解し合う努力をしなければならない。 「その程度の苦しさなら耐える」 「その程度、なんかじゃないッ!!皆んな壊れそうで、みんなッ!!」 「だからって義人が死んで解決できるッ!?」 藤崎の怒鳴り声に、胸の中に苦しさが浮かんでくる。 彼が言う通りだった。 できない。 できる訳がなかったのだ。 義昭は義人を否定してばかりで、話しも聞こうとしなかったのだから、誰が死んでも関係ない。 誰かが死んだら今度はその問題についてパニックになるだけで、事態の進展はありえない。 この問題は、義人、義昭も含めた全員が「話し合おう」としない限り、絶対に終わらない。 歩み寄る勇気を持たない限り、ずっと義人を苦しませる事になる。 それをやっと、義昭は理解したのだった。 「だって、じゃあ、どうしたら良かったの、、どうしたら皆んな、」 「俺の言ったこと何も聞いてないんだね。1人で考えないで、2人で決めようって言ったのに。自分のこと傷付けないでって言ったのに」 「、、、久遠、ごめん」 口元を押さえて泣き出した義昭の背中を、涙ぐんだ咲恵がさする。 逃げたくて手首を切った事に変わりはなかったが、けれど、義人が目に見えないとてつもなく大きな重荷によって潰された結果、それを選ぶしかない状況にしてしまったのだと言う事を、義人の両親は今、2人で一緒に噛み締めていた。 「お父さん」 「、、、」 「向こう行こう。2人にしてあげよ」 咲恵は義昭が抑えていたドアに手を伸ばし、彼が離した後にゆっくりと引き戸を閉めた。 「、ふっ、、ッく、、」 泣き出した義昭の腕を取って、「歩いて」と言って病院の中を彷徨う。 一面がガラス張りで外が見える広い通路まで来ると、窓際に等間隔で置かれたベンチにちょこんと昭一郎が座っていた。 「お父さん」 義昭を見るなり立ち上がり、彼は親2人に駆け寄って来る。 「あ、、」 「お父さん、?」 彼の様子がおかしい事に、昭一郎はすぐに気が付いた。 義昭は脚に力が入らなくなり、咲恵と昭一郎に支えられて1番近くにあったベンチに座らされる。 窓の外は夕方前で、青い芝生の広がった病院の庭が見えていた。 「お父さん、お茶、いつ飲んでもいいから持ってて」 「うん、、うん、」 今度は昭一郎が彼の背中を摩り、声を掛ける。 廊下には他にも患者やその家族がいたが、3人が座ったベンチからは皆んな遠くにいた。 「お父さん」 「っ、ん、、」 「義人のためにも、私たちのためにも、一旦距離を置こう」 咲恵の言葉は確かだ。 このまま話し合いもなし、話し合いをするための勇気すら出せない大人がより集まっても、誰も冷静に話すことなんてできずにまた義人を苦しめるだけだ。 確かにこんな形ではなく、義人がもしも面と向かって両親に「俺はゲイです」と言ってくれていたなら少しは事態が違ったかもしれないが、けれど、義昭と咲恵がそれを受け入れられず彼の恋愛観を否定するのはどちらにせよ起こっていただろう。 今こうやって最悪の事態の一歩手前まで来て逆に冷静になれているのなら、むしろ、努力できる隙間があると言う事だ。 距離を置いて、義昭と咲恵が「同性愛とは何か」について学ぶ時間ができる。 だったら知る機会を増やして、本人達から直接聞けない事も他の場や人に聞いて、少しずつ理解を深めていく方法だってある。 少なくとも、そうしたいと思える様になったのだから。 「ん、、分かってる、分かってる」 「ううん、私たち分かってなかったよ。ね」 それを実行しなければいけないんだ、と、理解力のなかった自分達を悔やみながら、咲恵は思っていた。 義昭が俯いて眼鏡を外し、ズボンのポケットに入れていたハンカチを手に取って目元や鼻を拭く姿を見て、咲恵も鞄から取り出したハンカチでそのようにした。 昭一郎は、義昭が来たら本当は「俺たちがここまで兄ちゃんを追い詰めたんだ」と過去にあった義人の自虐行為や受験期からの兄の変わりようを話して父を説得するつもりでいたのだが、もうその必要はないのだと知って、ただその小さくなった背中を撫でている。 (やっと落ち着いてくれた) 義昭がやっと人の話しを聞いてくれる状態になったのだと、彼はホッとした。 そして咲恵から義人の目が覚めたと言う話しを聞いて、やがて藤崎から昭一郎の携帯電話に連絡が入り、彼は1人で義人の病室へと向かった。 「、、家族なのに、何の努力もせずに別れろだなんて、酷い話しだよね」 全然何も分からなかった義人と言う人間を、やっとここで理解しようと全員が思えた。 病室に向かった昭一郎はもう「どうして藤崎がいいのか?」と疑問を抱いてはいない。 義人が選んだ藤崎と言う人間が、どこまでも義人自身を愛してくれているのだと知ったからだ。 そして義昭と咲恵も、彼らがどうしてそこまでお互いにこだわるのかを、彼ら自身を見つめて何となく分かった気がした。 全てを受け入れられなくても、彼らはそうなのだと思いとどめることができるようにしなければならない。 同性愛者がどんなに普通かを知らなければならないと、気持ちを固めたのだった。 「私ね、あんなにいい人見つけてくれると思ってなかったよ。義人はいっつもどこかぼーっとしてて、興味なさそうにしてること多かったから」 「、、うん」 「きっと私たちが結婚したのと何にも変わらないくらい、普通に好きになったんだねえ、藤崎くんのこと」 「うん、」 義昭は未だにぼたぼたと止まらない涙を流し続けている。 「お父さん。後はもう、大学のお金だけ出してあげて、子離れしよ」 「うん、うん、、」 巣立ちのときが来たんだなあ、と夏の夕暮れが始まる手前の世界を窓から眺めた。 「子育て、お疲れ様でした」 「っ、うん、」 「私たちにしては良く頑張ったよ。ねえ」 「うん」 夫婦で手を握り合うと温かくて落ち着いて、ほんの少し寂しかった。 「兄ちゃん」 「昭一郎」 手を握ったままだったが、義人は何も気にせずに病室に入ってきた弟に笑いかけた。 一瞬解こうとしてきた藤崎の手をギュッと握ると、彼はチラリと義人の横顔を見上げ、そして何も言わずに、カーテンをめくって現れた昭一郎の方を向いて小さく頭を下げる。 「起きたんだね。さっき手術してくれた先生にも言ってきたから」 「そっか、そうだった。ありがとう」 自分の代わりに担当医に話しに行ってくれた弟を見て、しっかりしてるなあ、と義人が弱ったようにふにゃふにゃと笑う。 熱いからと開けた窓の外はもうそろそろ日が傾いてきており、夏の夕方が訪れそうで、病室内は何とものんびりしていた。

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