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第118話「安堵」

蝉の鳴く声はうるさいが、少し涼しい風が入って来ると身体が落ち着いて来る。 たまに人の笑い声と、どこかからか風鈴の音がした。 (スイカ食べたいなあ) その音を聞くと、幼い日に食べたスイカや、行った事のある祭り、川で遊んだ時間を思い出す。 どれも真夏で、遠く懐かしい記憶だった。 「兄ちゃんあのさ、」 「うん」 「多分、手、リハビリしないとスムーズには動かないんだ。後で先生来るし、説明されると思うけど」 そう言われて義人は動かない左手を見つめてぼんやりとした。 ただ、何処か嫌そうな顔でも絶望した訳でもなく、仕方ない事だな、と納得した表情ではある。 一度切ってから、浅い、と思って深く切ったのは覚えている。 夢中で、焦っていて、余裕がなくて「もっとちゃんと切らなきゃ死ねない」と感じたのだ。 素人感で見ているから、それが実際にはどの程度なのかは自分でも分からないが。 「親指とかが少し、あの、、動かしづらくなるか、動かないかは、聞かないとだけど」 「うん、分かった。昭一郎、迷惑かけてごめんね」 「え、」 左手の事がどうでも良い訳ではなかったが、義人は藤崎とは反対のベッドの隣に立つ彼を見上げて言った。 開けられたカーテンの向こうにドアが見える。 分かってはいたが、個室に入れてもらえているのだ。 正直、静かで助かった。 「あ、いや、、俺たちも兄ちゃんのこと考えもせずに騒いで、ごめん」 「いや、話し合いが必要だったのに、ちょっと、、なんて言うか、」 チラ、と右手を握ってくれている藤崎に視線を移すと、彼は気にした様子はなく、にこ、と笑い掛けてくれる。 藤崎がそこにいて、そうして笑いかけてくれるだけで、十分に義人は色々話す勇気が湧いた。 「うん、そうだな、ごめん。正直かなり追い詰められてて、パニクって、もう良いやって思って、死のうとした」 「っ、、そ、だよね」 命を救う側に行きたいのに、自分が発端で兄を追い詰めてしまった。 昭一郎の胸に、その事実がドンと乗っかる。 「でもね、昭一郎」 「うん」 「ありがとうね」 本音は言ったものの、義人は特に彼を責める訳ではなく、笑ってそう返す。 あまりにも腑抜けたような力の抜けた笑い方に、昭一郎はどうしても罪悪感を覚えてしまった。 「、、何で」 バツの悪い顔で言う。 いっそ罵ってくれた方が楽なのに、と心の中で思っていた。 「昭一郎のおかげでずっと隠してきたこと親にも言えたし、それなのに藤崎と今こうしていられるから」 そんな事だけで感謝してもらえるのか。 許して貰っていいのか。 そんな思いが頭の中を巡っている。 「自分のせいって言うけどそうじゃないよ。だからお前はお前を責めないでね」 「、、、」 「俺もしないから。反省はするけど、また自暴自棄になりたくないから。だから昭一郎も、自分のこと責めないで」 彼が何を言おうとしているのか、どうして急に前向きになったのかは何となく分かる。 ここでまた暗い話しをずっとして沈んでも意味がなく、そして隣には藤崎が来てくれた。 義人はもう前が向ける状態なのだ。 そして、この傷も背負ってこの人といようと言う覚悟も決まっている。 なのに、引っ掻き回しにかかった昭一郎達だけが、彼の手首を見て死にそうな顔をしてしまっている。 それはそれで申し訳なく思えて、昭一郎は「うん」と、あまり力強くはなかったが、頷いた。 「お母さんは?」 「あ、今、お父さん来てて、話してる」 「そうなんだ。何してんだろ」 泣いていたから、てっきり義人と義昭が何か話したのだろうと思っていた昭一郎はパチパチッと瞬きをして、「まあ、そのうち来るよ」と泣いていた父の姿を思い出して誤魔化すように笑って返した。 「あ、兄ちゃん、5時になったら担当の先生来るから」 「うん」 「お母さんとお父さんにも言ってくる」 「ん、ありがとう」 それだけ言うと昭一郎は藤崎に頭を下げてそそくさと病室を出た。 廊下には相変わらず誰もいないが、院内アナウンスが流れて聞こえてくる。 (俺がうじうじしてるのも変な話しだし、、お父さんにも、前向こうって言お) 気分は少し前向きになっていた。 昭一郎は一瞬立ち止まると強く拳を握って前を向き、「うん」と自分に返事をしてから、早足で両親のいるベンチの方へと向かって行った。 「腕のこと、聞いてく?」 「うん」 再び病室で2人きりになった義人と藤崎は手を繋いだまま見つめ合っていた。 17時に一度様子を見に来ると言う医師を待ちながら、お互いの様子を確認している。 「疲れてない?」 「疲れたよ」 ふう、と息をつき、藤崎は甘えるように布団がかかった義人の脚の上に横から覆い被さる。 「そっか。ありがとう、いてくれて」 義人はそんな彼をあやす様にサラサラの黒髪に触れて、「変な色」と思いながら梳くように撫でた。 やはり、藤崎には黒よりも明るい髪色が似合う。 「うん、まあ、ひとりぼっちの家に帰りたくないだけなんだけどね」 「ん、そうか、1人にしてたな。ごめんごめん」 「撫でてよ、頑張ったんだから」 「はいはい。ありがとう、久遠。もう少し付き合って」 ふふ、と困った様に義人が笑うと、やはり咲恵に似ているなあと藤崎はそれを見上げながら、程よい力加減で撫でてくれる彼の手に目を閉じる。 「いつ帰れるの?早く帰ってきてよ」 「うん」 つい、本音が漏れてしまった。 「ベッド広くてやなんだよ」 「うん」 「滝野、今日も泊まるのかな、、皆んな家で待機してるから」 「えっ」 「義人起きたって連絡したから、今頃ピザとってパーティーしてるかも」 実際問題、この病院まで藤崎達を送り届けた後、彼に言われてレンタカーでそのまま引き返し、集まれるメンバーは藤崎の家に居座っている。 そろそろ入山と和久井が合流していてもおかしくない時間だった。 「ピザか。食いたいなあ。腹減った」 「ふはっ、後で何か食べて良いか聞こうか」 「うん」 藤崎がクックッと笑う。 さっきまで死のうとしていた義人がピザを食べたいと言った事がおかしくて、安心して、堪えられなかった。 義人はそれを見てもう一度、死ななくて良かった、と肩の力を抜いた。

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