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第123話「適任」

「義人」 「ん?」 他にも面白い写真が、と携帯電話のフォルダを漁っていた義人の視線が画面から外れ、隣にいる義昭を見る。 父は無表情、と言えば無表情だったが、どこかホッとしたような、しかし真剣な顔で彼を見つめていた。 「自殺は、するな」 「、、、」 重たい言葉だった。 動かさないようにしている左手が、思わず変にビクッと動く。 「藤崎くんを悲しませるな」 それはまさに父親として、義人を同じように愛してくれる藤崎へ贈る敬意の言葉であり、また、義人がそれだけ愛されているのだと理解したと言う意味も含まれていた。 「、、うん」 「お父さんも、お母さんも、昭一郎も、義人がいなくなるのは嫌だよ」 「うん」 「でも、そこまで追い詰めてしまったのは、ごめん」 義昭は膝の上で痛いくらいに拳を握った。 ズボンの生地を少し巻き込みながら、ギュッと、力を込めすぎて手が震えるくらいに強く。 「本当に、ごめん」 そうして、ゆっくりと義人に向かって頭を下げた。 「お父さん、」 これまでで、頭を下げられた事なんてなかった。 むしろ義人は今回の件はやり過ぎた自分の方がいけないような気もしていた。 しかし、また「俺が悪いから」と言うだけでは何も成長しないような気がして、ただ黙って義昭を見つめた。 「少しだけ考える時間が欲しいんだ」 「え、?」 不意に、そんな言葉を父は溢す。 「頭の中を整理して、義人達を受け入れる準備をしたい。受け入れられるかは、分からないけど」 「うん」 驚いたのは、義人達からして「前向き」に義昭が色々な事を考えようとしてくれている事だ。 何かを言いに来たのだろうとは思っていたが、否定される事を想定していた義人は面食らったように少しキョトンとしている。 けれど、義昭の愛や想いが詰まったその言葉を聞いているだけで、少しだけ泣きたくもなってきていた。 「だから、暫くは、帰ってこなくて良い」 これは拒絶ではない。 義人と藤崎が諦めずに自分達の事を話そうと言っていたように、義昭は彼らを受け入れる準備が整うまで、拒絶をしない為に距離を置こうとしているのだ。 もう義人を傷付けないように、まだ未熟な自分から彼を守る為にも。 「、、はい」 義人はまだ弱い父親も、自殺しかけた自分も受け入れるように、しっかりと返事をした。 無意識に強張っていた身体から力が抜けて、手先や太ももがカタカタと震えている。 「お父さんが義人とちゃんと会えそうだなって思ったら会いに行く。だからそれまで、待っててくれないか」 「うん」 「永遠にない、という事は、多分ない。今ゆっくり義人の話しを聞いた限り、多分大丈夫だろうとは思う。ただ、」 「うん」 「義人の子供の顔が見たいって言ったのは嘘じゃないんだ」 「うん」 「だから、諦めがつくまで時間が欲しい」 未熟な親としての最後の言葉だろう。 義昭はそんな素振りは見せていなかったのに、最後にそう言いながら、急に肩を震わせて、ぽろ、と瞳から涙を溢した。 「義人を、義人の子供を見るために産んでもらった訳じゃない。でもいつか義人が作る家庭を見てみたいっていうのが、お父さんの夢だったんだよ」 極端に友人が少なく、仕事も真面目一本で同僚ともほとんど飲みに行かない。 ただ神経質なくらい真面目に家族の為に働き、ここまで育ててくれた父。 そんな父の願いが、自分が何よりも大切にしている家族を義人にも持ってほしいと言うものだったと聞いて、グッと、彼の中に込み上げるものがあった。 「それを違う夢にできるまで、待っててくれないか」 義昭の目からぽたぽたと涙が溢れている。 義人は彼を見つめながら、胸の中に押し迫った感謝や悲しみ、それから、喉まで迫り上がっていた「ごめん」と言う言葉を何とか飲み込み、抑えて、口を開いた。 「お父さんは、それでいいの」 「お前が死にたくなるくらい苦しくなることを望みたくない」 「、、俺、謝んないよ」 その父の夢を壊してしまうのは確実に自分だ。 けれど義人は怯む事なく、ただ静かにそう言った。 「お父さんの夢、ひとつ壊すけど、謝んないよ。それは藤崎にも自分にも失礼だから」 死のうとした日から、義人は自分を変えると決めた。 藤崎といられる事に感謝して、自分を卑下する事をやめる。 自分達が決めた道を行く。 自分自身を信じる。 そう決めたからには、もう自分達を否定するような発言はしたくなくて、義昭にとってどれだけ残酷だったとしても伝えねば、と強い視線で彼を見つめ返しながら言った。 「うん」 義昭は頷いて、何度も目元を擦る。 義人はその返事に安堵すると、クス、と笑ってティッシュの箱を布団の上から持ち上げて父に差し出す。 これから先、例え何年も父と会えなくなったとしても、家に帰れなくなったとしても、「いつか」を信じようと決めたのだった。 「じゃあ、無理するなよ」 「うん」 「連絡くらいはするから、身体に気をつけて、藤崎くんと仲良くな」 「はい。お父さんも、もう若くないんだから無理しないでね」 「うん」 暫く話した後、午後からの診察に間に合うようにと義昭は義人の病室を後にした。 (帰ったらお母さんに話さないと) 咲恵に黙って勝手に義人の病院まで来ていた彼はそう思いつつ、静かに廊下を歩いて階段まで向かう。 義人の病室は2階で、今日は廊下には2人程他の患者がいて、1人は看護師に付き添われていた。 どこの病院もこんな感じなのだな、と他人事のように考えて帰りを急ぐ。 「あれ、、佐藤さん」 「あ、」 名前を呼ばれてハッとしたように顔を上げる。 もしかしたら戻ってきて少し話せるだろうかと思っていた相手が突然目の前に現れて、義昭はギクッと身体を強張らせて固まってしまった。 「こんにちは、、義人くんのお見舞いですか?」 藤崎久遠が目の前にいる。 いつもなら午前中からいる筈の彼は今日は用事で遅くなるらしいと義人が言っていた。 本当なら2人と話したくて来た義昭としてはここで会ったのもまあ良かったな、とは思うのだが、義人と同様、心の準備ができていなかったので少しビクビクしている。 階段に差し掛かり、降りて行こうとしていたところだった。 「あ、すみません。お帰りになるところでしたよね」 「ああ、いや、、いや、いいんだ」 「?」 視線が泳ぐ義昭をキョトンとした顔で眺めつつ、藤崎は階段を上り切る。 「あの、少しだけお話しさせていただけませんか」 彼の隣に並ぶと、思い切ってそれを口にした。 「、、、」 ここにきたと言う事は少なくとも義人に会ったのだろう。 見たところひとりで来ているが、落ち着いた様子だったのはゆっくり話しができたのかもしれない。 義昭の様子を見ながら藤崎は口元を緩めて首を傾げる。 それを見上げて、義昭は困ったように頷いた。 「本当は君も入れて少し話せたらなと思って来たんだ」 2階の階段の前にある広く作られた談話スペースには4人掛けのテーブルがいくつかあり、壁際に自動販売機も置かれている。 義昭は自分のを持っているからと言うので、藤崎は自分の分だけお茶を買って、彼が座っている椅子のテーブルを挟んだ向かいに座った。 「そうでしたか。すみません、今日に限っていなくて」 周りにはテレビを見ている老人2人と、飲み物を買いに来た若い女の子がいて、どれにしようかと迷っている。 テレビはプロ野球の試合の再放送をしているようだった。 「いやいや、気にしないで。私も、連絡も何も入れなかったんだ」 義昭は不思議に思った。 あれだけ警戒していた男を相手に、割と自然と話せている事を。 藤崎は礼儀正しく、見た目もあって好青年だ。 それに大人と話す態度をきちんと作って接してくれる分、入りたての若手の看護師を相手にしているようで何だか職場を思い出す。 下手に緊張しても仕方ないのだな、とどっしり構えている藤崎を見習って、義昭はふう、と息を吐き力を抜いた。 「その、、義人にね、話したんだ。今後どうして行きたいか」 「はい」 義昭が話し始めても、藤崎のピッと伸ばした背筋が傾く事はなかった。 今日はスーツではなく、胸ポケットだけ紺色になっている白いTシャツに、黒っぽいチノパン姿で随分とラフだ。 この格好を見ていると、確かに先程義人に見せてもらった写真の明るい髪色の方が似合いそうだな、とも思った。 「申し訳ないけど、まだ受け入れるどうのや、君たちを完全に理解すると言うのは難しいんだ。私達の世代では、本当にマイノリティで、同性愛と言うのは口外すべきものじゃなかったから」 「はい」 他に人がいる事もあり、義昭は音量を抑えて話している。 「ただね、その、、義人は息子なんだ。大切に育てて来たつもりだし、死んで欲しくはない。可愛くない訳がないんだよ。生まれたときからずっと見てきたし、望んでできた子で、やっと生まれてくれた長男だったから」 「はい」 「だから受け入れる準備が整うまで、、同性愛ってものや、君達と同じ人たちを深く知って、自分の息子はそうなんだ、と思えるまで、時間をくれないかな」 「、、もちろんです」 藤崎はニコ、と笑った。 きっとこの申し出に義人も頷いたのだろうと思ったからだ。 「、、ありがとう」 「義人くんとは、結構お話しされたんですか?」 「ああ、うん。別に変なことは言ってないよ、、あと、君のこととか、どうやって付き合ったかとか、滝野くん?とか、妹さんのことを話してもらった」 「ああ、そうでしたか」 義人がこうしてくれた、と話すと、驚く程穏やかに藤崎が笑った。 綺麗な顔をした子だな、と思っていたが、そんな子が自分の息子を想って溢してくれる笑みがあるのだと知ると、何となく嬉しくて、少し寂しくも感じて、何だか随分と義人が大人になってしまっていた事を思い知らされるようだった。 「、、すぐ無理をする、我慢強い子にしてしまったから」 「?」 ぽつ、と溢すように義昭は話し始めた。 頭の中には小さい頃の義人がいて、花だか草だかを持ってニコニコと笑っている。 家の近くの公園で遊んだときの思い出だった。 草の先にカメムシがついていて、「捨ててきて!」と咲恵が連呼していたのを覚えている。 「君にきっと、たくさん、迷惑をかける」 「、、、」 「それでも、幸せにしてあげて欲しい」 「、、、」 「結婚と言うものがないのは分かっているけど、あの子を1番気遣う、1番優しくしてくれる人でいて欲しい」 「はい」 「私達にはもうそれができないから、どうか、君がしてあげてくれ」 「はい」 義昭は弱々しく微笑んだ。 「君を幸せにできるかは分からないな。不器用な子だから」 弱音のように聞こえた。 近くで野球の解説者と実況の声が聞こえる。 藤崎は義昭の発言に対して「失礼だ」と思う事はなく、ただまだ不安なのだろうと思った。 「幸せですよ」 だからこそ、安心してゆっくりと自分達について考えて欲しくて、藤崎は胸を張ってそう言った。 「義人くんといられて、僕はとてつもなく幸せです」 「、、、」 「義人くんにもそう思って貰えるように、一緒に生きていきます」 「、、そうか、そうだね」 手元を見ていた義昭は顔を上げ、ニコ、と笑う藤崎に眉をハの字にして笑い返した。 「少し、寂しいね。でもそれが1番だ。一生隣にいる人同士なら」 午後の診察があるからと、それで、会話は終わった。

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