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第124話「場所」
「義人」
「あ、」
携帯電話を見ていなかったらしい。
藤崎が彼の病室の引き戸を音もなく開けると、義人は目元を拭うのをやめ、ハッとしたようにドアの方を向いた。
「何で泣いてるの」
擦り過ぎだ。
目の周りが赤くなってしまっている。
このままだと数時間後には腫れるだろう。
「あ、の、、っ、」
生まれてからずっと一緒にいて、ずっと自分を見てくれていた父親としばらくの間は会えないのだと、義人は義昭が出て行って直ぐに泣き出していたのだ。
選んだのは父と自分にしろ、あまりにも寂しくて、同性愛と言うものがまだまだ世間に溶け込めないものなのだと思って、悲しくなって、そうしてぼろぼろと涙を流して泣いている。
「藤崎、俺、」
「さっき会ったよ、お父さん」
「あ、」
藤崎は義人のいるベッドまで近付くと、まずは左手の状態を見た。
動かさないようにしているので包帯も何もずれてはいないようで、とりあえず安心する。
それから泣いている義人にティッシュを取って、ズッズッと吸っている鼻に押し付けてやった。
「話してきた。時間が欲しいって言うのも、聞いた」
「っん、それ、俺も聞いて、話してッ、、そうしようって、言った」
「うん」
「ずっとじゃないのは、分かってるけど、ッ、ごめ、な、何か、」
「うん」
「悲しいって、だけじゃなくて、嬉しいのも、あるんだけど、あ、会えないの、は、やっぱ、寂しいっ」
しゃくり上げるように言葉を詰まらせながら泣く義人。
藤崎は持ってきた荷物をいつも座る椅子に置くとベッドのそばに立って、ティッシュを鼻に押し付けたままパタパタと掛け布団に涙を落としていく彼を抱き寄せ、ギュッと腕に力を入れた。
「ありがとう、俺を選んでくれて」
自分と離れない、と言う選択をしてくれた事が嬉しい。
未来がある筈だと前向きになってくれたのも嬉しい。
義人の体温を抱き締めながら前屈みになって、彼の頭に顎を置く。
病室はシン、としていて、そこに小さく義人の啜り泣きの声が響いている。
「1人じゃないよ。俺がいるよ」
「うん、っ、」
「でも今は泣いてて大丈夫だよ。楽になるまでゆっくりしよう」
午前11時。
12時から14時までは面会禁止時間になるため、藤崎はその時間は外で過ごす。
けれどそれまではゆっくりと義人を泣かせようと、彼は抱き締めた身体をゆっくり撫でた。
「じゃあ明日はそのままうちに戻ってくるんで良い?」
「うん」
昼食の時間を挟んで午後14時過ぎになった。
目元が腫れて一重になってしまった義人は自販機で藤崎が買ってきてくれた小さい缶コーヒーを開けずに目元に当てている。
保冷剤がわりに冷たい缶の表面を皮膚に押し付けて、腫れを引かせようとしていた。
「何か疲れたなあ」
「そうだね。1週間くらいの話なのに」
「帰ってゆっくりしたい」
「うん」
ふう、と息をつく義人を眺めて、昼、彼に会えなかった時間に昭一郎と取り合っていた連絡の内容を藤崎は思い出していた。
義昭が朝早くから病室に来てくれていた事と、彼と話した内容だけは伝えておいた。
きっと帰ってから色々と咲恵と話すだろうから、下手に気を回さないで欲しいと言う事も。
昭一郎からは「分かりました。ご連絡ありがとうございます」とだけ返信が来て、それで会話は途切れている。
後は義昭が帰ってから、向こうの家族と色々話すだろう。
「藤崎」
「ん?」
「待たせてごめんな」
「っ、」
へにゃ、と弱ったように笑う義人の顔が見えたので、それがマイナスな発言でないのだけは受け取れた。
相変わらず童顔な整った顔がそうやって笑うと、どうにも藤崎も口元が緩んでしまう。
「んん、明日まで頑張って待つよ」
(帰ったら絶対に速攻で抱く)
藤崎は少しぎこちなく笑い返した。
「毎日来てくれてありがとう」
「好きな人のためなら頑張るよ」
「ッ、お前ってサラッとそう言うこと言うよなあ」
「んー、、聞かれたらどうすんだ、とか言わないんだね」
「え?ああ、ここ病室だし、個室だし」
椅子に荷物を置いた藤崎は、また義人がベッドの左側に寄ったのをいい事に我が物顔でベッドの右側に上がり込んだ。
ズボッと掛け布団に足を突っ込むと、コーコーと冷房モードのクーラーから流れ出てくる涼しげな風で前髪を揺らしている。
窓の外はまた蝉がうるさかった。
「でもいつもなら気にするよ、佐藤くん」
大学3年生の夏。
出会ってから3度目の恋人同士の夏だ。
「、、バレる、とか、そう言うのは、まあ、完全に気にならなくなった訳じゃなくて、」
「うん?」
「何か、まあ、万人に受け入れられないのは十分分かったんだけどさ」
「うん」
いつもなら顔を真っ赤にして「人に聞かれたらどうすんだ!!」と怒る彼が出てこなかったのを不思議に思っていると、義人はそっと藤崎の左手を握り、静かに話し出してくれた。
「入山も、遠藤も、滝野も、光緒も里音も、和久井も、あと、恭次と前田くん。それから、お前のお父さんとお母さん。これだけの人が受け入れてくれてるのは、やっぱりすごいことなんだなあって、さっき1人のとき考えてた」
自然と握り合った手に力が入る。
確かに今回は否定されてしまった。
拒絶もされている。
しかし確かに同性愛者である彼ら2人がこれだけ多くの人達に受け入れられる事はとてつもなく貴重で、それでいて大切な事だった。
「そっか」
「うん、、まあ、あれだな」
「ん?」
繋いだ手を、ポス、ポス、と何か落ち着かないような雰囲気で上げては掛け布団に落としてを繰り返す義人を、藤崎はニコ、と笑って見つめる。
義人は何やら、照れ臭そうな顔をしていた。
「きっとこの先もっと、受け入れてくれない人が多くなるし、」
「うん」
「傷つく事も増えると思うけど、」
「うん」
ポス、と布団に繋いだ手を置くと、彼はまた弱ったように、へにゃっと笑って藤崎の方を向いた。
「俺達を解ってくれるこの人達が、俺達の帰ってくる場所だから。弱気になる必要ないよな」
絡んだ指に、キュッと力が入った。
「うん。そうだね」
藤崎は嬉しそうに笑い返して、嫌がる義人に無理矢理キスをした。
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