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第125話「約束」
入院生活が終わる日、自身の病室だった部屋で義人は再び担当医である吉野と顔を合わせ、最後に診察を受けていた。
「痛いだろうけどもう動かして良いから、少しずつグーパーしてみたり、もの持ってみたりして下さい。日常生活に支障出ないくらいまでリハビリ頑張りましょう」
「はい」
「傷はほっとけば塞がります。ただしまだ痛みは出るので、痛み止め出しときますね。それ受け取ったら帰ってもらって大丈夫です。強めのじゃなくて、今飲んでるのでいい?」
「はい、大丈夫です」
吉野は淡々と質問をして、手元ではクリップボードに貼り付けられた紙に義人の答えや腕の状態を書き込んでいっている。
カルテだろうか。
「ん、ではそのままで。ご両親は今日は来ないのかな」
描き終わってペンを止めると、顔を上げて一瞬だけ藤崎を眺め、吉野は再び義人を見つめた。
既にベッドからは出ていて帰り支度を済ませてある病室内には、確かに義人と藤崎以外には誰もいなかった。
ただ閉められた窓の外から蝉の声がしている。
「はい、自分達だけで」
コクン、と義人は苦し気もなく微笑んで応える。
「そう」
吉野は彼の様子を見て少し考えるような仕草をすると、意外と分厚い眼鏡をグッと押し上げ、肩を落としてから再び口を開いた。
「精神科は大丈夫そうに見えるけど、私の専門じゃないから。何かあったら相談には行くように。少しは楽になるだろうから」
「はい。色々ありがとうございました」
「うん」
義人が割と快活に笑って返答したので、彼はフッと笑う。
それからクリップボードを伏せて左腕に着けている銀色の腕時計で時間を確認すると、また義人を見た。
「義人くん」
「はい」
「君みたいに自分でしてしまうひとってね、結構すぐに戻って来ちゃうんだ」
「え、」
そして最後に、一番大切な話しをし始めた。
「癖になってしまう人も、やらなきゃ済まなくなってしまう人もいる」
その話しが義人自身が傷付けた自分の左腕の話しなのだと気がつくのには時間はいらず、吉野の落ち着いた声に静かに相槌を打ち、義人は頷いた。
「追い詰めるわけじゃなくて、これだけは言わせてね」
「はい」
眼鏡の奥の目がどこか疲れたように、切な気に細められて、吉野が笑ったのだと分かる。
「戻ってきちゃダメだよ」
重たいひと言だった。
「もうダメだよ。そこの彼を悲しませるのも、ご家族を悲しませるのも。きっと違う道があるから、それを見定めてね」
「、、はい。ありがとうございました」
義人は「担当がこの人で良かったな」とぼんやりと考えながら頭を下げて、病室を出て行く吉野と看護師を眺め、また頭を下げた。
彼らが出て行った後、背後に立ってずっと黙っていてくれた藤崎に振り向いた。
「久遠」
「ん」
「帰る」
「うん。帰ろ」
左手にはグルグルと包帯が巻いてある。
大学が始まってもきっとまだ外れないそれを誤魔化すために、「骨折した」と嘘をつこうと2人で決めてあった。
「あれ?」
「はあー、運転緊張したあ。お疲れ、おかえり、佐藤くん」
「ん、おお」
借りてきていたレンタカーをふたつ手前の駅で店に戻し、そこからは電車で移動。
玄関のドアはいつも通り藤崎が開けてくれて、義人は1週間ぶりの自分達の家に足を踏み入れるなり、拍子抜けしたような声を出した。
後から玄関に入ってきた藤崎は義人の荷物やらを一旦床に置くと、靴を脱がずにボーッとしている彼の肩を叩く。
本当に疲れたし、部屋はどこか他人行儀で落ち着かない気がした。
それくらい遠い記憶になってしまっていたし、帰ってこられるのだろうかとずっと不安だったのだ。
「皆んないるのかなって思ってた」
「あー」
キョトンとした義人が藤崎を振り返ると、5センチ高い視線はニコ、と細められる。
「何か遠慮してくれちゃった。誘ったんだけど、明日会いに来るって」
「ふぅん。ちょっと寂しい。まあいいや、ゆっくりすんぞ〜」
ストレスやらプレッシャーやらから解放された義人は、どこか腕を切る前よりも気楽そうで明るくなったように見える。
藤崎は「調子良いなあ」と困った様に靴を脱ぎ散らかしてリビングに向かう彼の背中を眺め、スニーカーを整えてやってから、自分も靴を脱いで廊下に上がった。
「久しぶりの我が家、、はあーーーー」
「疲れたね。お腹空いてない?」
「途中でお昼食べただろ。空いてないよ」
「ガッツリとカツ丼食べてたもんね」
「お前も豚カツ御膳だったじゃん」
どちらにしろカツだ。
「コーヒー淹れる?」
「んー、、んーーー」
「なに」
ラグの上にベタッと座りながら両腕をソファに上げて顔を突っ伏している義人は唸る様な声を上げる。
「どしたの?」
藤崎は玄関の鍵を閉めた事を確認するとニヤつきながら義人が顔を押し付けているソファの座面に腰掛けた。
「、、、」
「肌弱いんだから顔上げて。荒れるよ」
「久遠」
「んん、なに。どうしたの」
久々に甘えたな声が聞こえて、藤崎はニッと口角を吊り上げながら義人を見下ろす。
「騒ぎ起こしといて、申し訳ないんだけど、」
「うん」
ソファから離して藤崎を見上げた顔は何故か泣きそうで、それでいて頬が真っ赤になっていた。
「あのさ、、えーと、」
「うん」
「、、だ、抱く?」
「ふはっ!」
弱った表情に思わず笑いが漏れた。
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