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第126話「生還」
包帯が巻かれたままの左腕にビニール袋を被せて口を輪ゴムで止める。
パツンッとはじいたゴムの音が脱衣所に響いた。
「んん。蒸れる、気持ち悪い」
「我慢我慢」
藤崎によって丁寧に剥がされた衣類は全て床に落ちて、義人は素っ裸に腕の包帯とビニール袋と言う格好で、嫌そうに藤崎に背を向けて立っている。
「佐藤くんの肌、久しぶり」
「んっ」
カチャカチャと腰に巻きついたベルトの金具を外しながら、藤崎は目の前にある義人の背中を眺め、我慢ならず肩に吸い付く。
ピクッと揺れる身体の反応が愛しくて、どうにもさっさとズボンを脱ぎたかった。
「藤崎」
「ん?」
「早くしろ」
「はーい」
バサ、ドサ、と音を立てて藤崎の着ていたものが床に落ちると、彼は言われた通りに浴室への折戸を押し開けて義人の手を取った。
「おいで」
何だか久々で肌がざわめく。
甘ったるい声に導かれて浴室に足を踏み入れると、ビニール袋に包まれていない右手で戸を閉めた。
思っていたより蒸し暑い浴室ですぐにシャワーのハンドルを回し、藤崎はバシャンとお湯を流し始める。
「身体」
「ん?」
「洗え」
「ふはっ、はーい。仰せのままに〜」
俯いて「解せぬ」と言う表情を浮かべつつ、無理なことは無理で割り切ろうと義人は藤崎に向かってそう言った。
片腕が使えないのはやはり不自由だ。
ニヤつきながら満足そうに義人の分のボディタオルを折戸の取っ手から引き抜くと、シャワーにあてて水を含ませ、2人で気に入って買った香りのボディソープを垂らしてワシワシと泡立てる。
(この匂いも久々)
浴槽の縁にもたれかかった義人は、テキパキと自身の身体を洗う用意を済ませていく藤崎の動きを見ながら、浴室いっぱいに広がった爽やかでいて少し甘いボディソープの香りを堪能した。
大体、風呂に入るのも久々なのだ。
体臭が気になって仕方なかったし、流石にベタついてきた髪も嫌だった。
「あ、先に髪洗う?」
「ん?うん」
藤崎の方も久々に自宅に義人がいる事に浮かれているのか、いつもなら頭、身体、の順番で洗う義人のリズムもパッと出てくると言うのに、今日は少し焦ったように間違えていた。
泡立たせたボディタオルを一旦風呂桶の中に入れて浴槽の閉じられた蓋の上に置くと、風呂椅子を移動させて壁につけられた鏡の前に押し出した。
「どうぞ」
「ん」
言われるがままに座ったが、尻が少し冷たい。
座面が冷たくなっていて、ひやっとした。
「お湯掛けるよ」
「ん」
ザアア、と脳天からお湯が掛けられる。
ひょこひょこと跳ねていた元から癖のある義人の髪がしなだれてツヤツヤになっていく。
ひと通り髪が濡れるとシャワーが止まり、「シャンプーするよ」と声が降ってくる。
コクン、と頷くとまた懐かしいシャンプーの匂いがして、藤崎の大きな手が義人の頭を捏ね始める。
(頭、ちっさ)
(手、でっか)
お互いにそんな事を考えつつ、「痒いところありませんかー?」と藤崎による接客が始まり、義人はクスクスと笑いながら「ねーよ」と返した。
「流すよ」
「ん」
また頭の上からお湯がかけられると、サラサラと肌の上を滑って泡の塊が排水口まで流れていった。
義人は目をつぶって藤崎が髪に絡まった泡を流していく手の感触を楽しんだ。
ゴツゴツした長い指が頭を撫でてるみたいで気分が良い。
(戻って来れたんだなあ)
ぼんやりとそんな事を考えてしまった。
当たり前に入れたこの部屋も、当たり前に使えたボディソープやシャンプーも、死んでしまえばどんなに願っても二度と触れる事すらできなかった筈のものばかりで。
髪を掻くこの大きな手だって、死んでしまえば永遠に感じられないものだった。
(生きてて、良かった)
馬鹿な事をしたのだと何度も頭に浮かんで来る。
けれどもう、あのときはそうするしかない程にギリギリでもあった。
「もういいよ」
「え、?」
パチ、と目を開けると、シャワーを当てられて曇りが落ちた鏡越しに背後にいる藤崎と目が合った。
「ん?、、トリートメントしていい?」
キョトンとした顔の藤崎がいる。
「あ、うん」
「考えごとしてたの?」
「うん、」
鏡越しに絡めた視線の先は、今度は少し不安げな表情をした。
視界の端にギリギリ捕らえられる左手のビニール袋をチラリと見下ろして、義人も困った顔をする。
まだこんなにも自分の「死」を考える時間があると藤崎が知れば、きっと悲しむだろうからだ。
「義人」
「ん?」
しかし案外、名前を呼ぶ声は怒っても悲しんでもいなかった。
「生きてるよ。大丈夫。ね」
トリートメントを手に取るのをやめ、義人の背後に膝立ちした藤崎はゆっくりと後ろから彼を抱き締める。
シャワーを浴びて温まった体温が触れ合うと、直に肌が密着するのは本当に久しぶりで、直ぐに「抱かれたいな」と馬鹿な考えが過った。
甘ったるくてたまに少し痛く、腰を劈くように快感を感じるあの行為も、藤崎の硬い筋肉に触れるこのときも、耳元で優しく声がするのも。
2人きりの浴室も、本当に久しぶりで、そして。
「ほんと、ごめん、、ごめん」
生きていて良かったと味わう事ができる、何よりも大事なものだった。
「もう謝るのなしだって言ったじゃん」
抱き込んだ背中が咽せるたびに跳ねる。
藤崎はぐちゃぐちゃに泣き出した義人の二の腕をさすりながら、肩に顎を置いてグッと腕に力を入れた。
「でも、ッ、でも、」
「次から謝るごとにちゅーするよ」
「っん、や、やだ」
「嫌なんかい」
クックッと笑うと、義人もズズッと鼻を鳴らしながら小さく笑った。
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