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第11話

 こうして梅雨明け直前の某日、晴れて三島律は来宮吉野とオツキアイすることになった。  といったところで、生活の何かが大きく変わったことはない。相変わらず来宮は気紛れに保健室に来たり来なかったりする。生徒もいろいろ忙しいのだろう、と三島は書類を片付けながら思う。  あれからしたことはひとつだけだ。 「せんせぇ、連絡先、教えて」  来宮はスマートフォンを差し出してきた。黒いカバーのついた、二代前のデザインだった。「言ったでしょ? もっとせんせぇと話したいんです」そう言って来宮はあざとく小首を傾げてみせた。 「いいけど、」 「こーがいむよー、するから」  来宮はそっと人差し指を唇にあてた。意味、わかっているじゃないか。  三島も白衣のポケットからスマートフォンを取り出す。銀色の機種を見て、「あ、いちばん新しいやつ」と気付くのは、さすが、と言うべきか。三島はショップの店員に勧められるがままこの機種を買ったので、見ただけではわからない。正直メールと通話とインターネットが使えれば問題なかったから、こだわりもない。  そして三島は来宮と、コミュニケーションアプリの連絡先を交換した。交換した連絡先を見ると、来宮は友達数人と一緒に撮ったらしい写真を切り抜いてアイコンにしていた。ネコ科の目が年齢相応の表情をしていて、この表情は三島も見たことなかった。教室ではこんなふうに笑うのか。 「せんせぇ、これ、何ですか?」  一方来宮はスマートフォンの画面を見て、首を傾げていた。多分アイコンのことだろう。 「ん。ペンギン」  三島の答えに、さらに来宮は首を傾けて、「『ペンギン』?」  それから数秒後、「ああ、後ろ姿。変な恰好ですね」と得心いったらしい。「水族館、行きたいな」などと三島を見上げてみてくる。相変わらずの捕食性の生き物の目をしているので、「狩るのか?」と思ってしまう。いずれにせよ数年前、当時付き合っていた恋人と一緒に行った水族館で撮った写真だということは、しばらく黙っておこうと三島は決めた。 「ありがとぉございます」  ふふ、とスマートフォンを両手で持って、来宮は笑う。連絡先の交換ひとつで、上機嫌だ。そして数回画面を叩いたかと思うと、三島のスマートフォンが着信を知らせた。着信は目の前の来宮からで、開くと「吉野です」とだけあった。「せんせぇ、よろしくお願いしますね」ぺこ、と来宮が頭を下げるから、なぜか三島も釣られて頭を下げた。「うん」  仕事が一段落して、机の隅に置いておいた銀のスマートフォンに手を伸ばした。来宮が羨ましがった機種だ。正直三島が使うよりも来宮が使った方が有効に使えるんじゃないだろうか、とも思う。  画面をスワイプしてロックを外すと、コミュニケーションアプリを立ち上げた。特別着信が来ていたわけではない。来宮のアイコンをクリックすると、昨日のやり取りが表示された。 『先生、お疲れ様』 『はい、お疲れ』 『電話してもいいですか?』 『もうちょっと待って  折り返しかける』 『わかりました』  そのあとは通話のマークが出ている。こうやって見ると、随分と簡潔的だった。連絡をとり合っている間は、来宮のあの捕食性の動物のような目を思い出していた。「先生」という文字も、あの舌足らずな「せんせぇ」で再生されていた。  通話の内容も同じくらい他愛のないことだった。主に来宮が話して、訊かれると三島が答える。来宮の話はクラスの誰それがこんなことをした、という報告から、最近読んだ本の話、ゲームの話、といったもので、三島はなぜか来宮のクラスの事情に詳しくなっていった。その合間に「せんせぇ、ごはん食べました?」だとか「せんせぇ、何時に寝るの?」だとか、気を遣われた。十歳も年下の来宮から気を遣われることに苦笑しかけたけれど、きっと来宮は目いっぱい背伸びをしているんじゃないだろうか、と思うと今度は可愛らしさに頬が緩む。

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