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偉大な星たちの絵 2.城からの眺め

(私はおまえだけでいい)  最初に思いを通じあわせた日から何年たとうとも、あんなふうに告げられて平静でいられるはずがない。  セルダン・レムニスケートは王城を歩きながら、まっすぐに向けられたアピアンのまなざしを思い出している。二人だけですごす、何の遠慮もない二日間はたちまち過ぎ去った。セルダンは自分の腕の中で甘い声をあげる王子の姿を頭から追いやろうとした。  アンダース殿下づきの隊に配属されても公務でアピアンの顔をみる機会はそれなりに多い。それにアンダース殿下もセルダンを「王子の友人」だと承知だから、私的な会話にまきこむこともある。しかしそんな時にこそ、アピアンとのもっとも親密な記憶を押し隠すべきだ。  アピアンは知識に貪欲で、目新しい文物も好んだ。市井の職人や魔術師には知遇を得る者もいる。しかし「王子の友人」であるセルダンを通じて近づこうとする者に対しては、セルダン自身がまず壁となった。これは嫉妬といった感情とは関係がないものだとセルダンは考えているが、この数年のあいだにアピアンが城の内外で得た評判を思うと、たまにわからなくなることもある。 「いいかげん何者かになりたい」とアピアンはセルダンに吐露したが、実はアピアンは第一王子という身分を超えて、王城では一目置かれているのだ。アピアンは審判の塔の長と親しく、法を詳しく知っている強みがあり、加えて庶民の話題から貴族のゴシップまで、これまでの王家の人間なら知らないような事情にもなぜか通じていた。王宮の会議では王とアンダースにまっこうから意見することもある。アピアン王子の言葉にはたいてい事実の裏付けがあり、意見する時は日和見に走るようなことは決していわない。  そして二十八歳になった今も王子には浮いた噂がまったくない。これについて人々の見方はさまざまだ。たとえ相手がいたとしても、誰にも気づかせない用心深さをプラスに捉える者もいれば、マイナスに捉える者もいる。隣国に意中の姫君がいるにちがいないという憶測を語る者もいるが、王子はそういった話を完全に黙殺した。これは二十歳になったばかりのメストリン王子とは正反対である。今日の王城は、第二王子がとある貴族の令嬢を見初めた噂でもちきりだった。  白い衣をひるがえして精霊魔術師が優雅な足取りで戸口へ向かう。アピアンも立ち上がり、そのあとに続こうとした。王の会議が行われる部屋は王宮の中でいちばん華美な空間ではないが、壁にはびっしりと装飾がほどこされている。王が席を立つのはいつも最後ときまっている。  アンダース殿下も立ち上がるのがみえた。廊下にはセルダンが控えているかもしれない、とアピアンは思う。たまに起きるすれ違いは日々の生活の楽しみだ。 「アピアン」  王が呼びとめ、アピアンの足は止まった。 「陛下?」 「相談があるのだ。残りなさい」  アピアンは失望を顔に出さないようにする。廊下にセルダンがいると確信していたわけではないし、いま彼に会う必要もない――必要なときは呼びだすこともできる。もちろん、セルダンが非番のときにかぎるが。  王はアピアンが円卓の椅子を引くとどこかほっとした表情になった。この会議の場ではアピアンが目にすることがめったにない表情だったが、アピアンは気づかなかった。セルダンのことを考えていたのだ。レムニスケートの山荘でふたりで過ごしたばかりなのに、無意識に求めてしまうのはなぜなのだろう。  それともこう思う理由はむしろ逆――ふたりきりで過ごしたばかりだから? 突然セルダンの裸体が脳裏にうかび、アピアンは唾を飲みこんだ。こんな場所で昼間から思い出すようなことではない。王に視線を戻し、とりつくろうようにいった。 「ご相談とは珍しいですね」 「おまえは早耳だと評判だからな。メストリンのことだ」  アピアンはうなずいた。メストリン王子の噂はついに王の耳にも入ったらしい。 「イダリス家の令嬢ですね。メストリンがこんなに性急な行動をとるとは思いませんでした」  王は意外だというように眉をあげた。 「前から知っていたのか? メストリンから聞いたのか?」  アピアンは肩をすくめた。 「ちがいます。たまたま耳に入っていたのです。恋愛沙汰について私がメストリンに忠告できると思いますか?」 「恋愛沙汰といったな」 「ええ、ただの恋愛沙汰です。最初に耳にしたときにざっと調べましたが、まったく偶然の出会いのようです。ところがイダリス家は娘を社交界に出すつもりがなく、当主は近寄る相手をことごとくはねつけていた」 「そこで王子の身分を明らかにして奪いにいったのか。成功はせずとも王子が見初めた、という話はあっというまに広がったわけだな」 「イダリスの当主を牽制するためでしょう」  アピアンはそう付け加え、王はため息をついた。 「おまえの見立てでは、この件にこれ以上の裏はないと?」 「おそらくは」 「わかった。あとでメストリンと話そう」  王は椅子をゆらし、アピアンはこれで終わりかと立ち上がりかけた。だが王は意味深な目つきでアピアンをみている。 「ところでアピアン、おまえは?」 「私がなにか」 「そろそろ身を固めたいと思わないのか。最初に結婚を勧めたのは今のメストリンとおなじ――二十歳だ。もし噂が事実なら……」  王の真剣な目つきにアピアンは顔をしかめた。 「どの噂でしょう」  自分について流れる噂もアピアンは知らないわけではない。十代のころからアピアンは秘密主義の王子で通してきたから、なかにはかなり荒唐無稽なものもある。しかし誰がこれを王の耳に入れたのか。今回のメストリンの件はすでに「噂」とはいえない事件だが、アピアンに関する噂に真実はほとんどまじらない。  しかし王の声はまじめくさっていた。 「遠方に意中の相手がいるという話だ。おまえがレムニスケートの息子と遠出するのはそのためで、レムニスケートの山荘で逢引していると」  アピアンは一瞬あっけにとられ、それから声をあげて笑った。 「残念ながら陛下、その噂は間違っています」  笑いながらもアピアンは残念に思わざるをえなかった。当分、あの山荘には行かない方がいいにちがいない。行くとしても別の誰か――レムニスケートの使用人でもいい、誰かに何事もないと証明させたほうがいいかもしれない。  アピアンはすこし大げさにふるまいすぎたようだ。王はいささか機嫌をそこねたようだった。 「レムニスケートはおまえが止めれば誰にも漏らさないだろう。その相手は公にできない立場なのか? 私や王国臣民に顔向けができないことをしているわけではあるまいな」  今度ため息をつきそうになったのはアピアンの方である。 「レムニスケートが忠実なのは私ではなく王国と陛下です。そのようなことがあれば、それこそ父上にご注進にあがるでしょう。セルダンは私の友人ですが、腐ってもレムニスケートですよ」  ため息をこらえてひたいに手をやる。今こそ告げるときかもしれない。 「父上はそんなに私に結婚してほしいですか。しかし私は」 「アピアン」  王は息子を制するように呼び、おもむろに立ち上がった。 「おまえにみせたいものがある」

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