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偉大な星たちの絵 3.星の系図

 王は尖塔の方へ歩いていく。まさか、とアピアンは思った。王宮の地下から城門まで続く秘密の通路のことを考えたのだ。尖塔の真下にその入口がある。アピアンは鍵を持っているが、王が同じ鍵を持っていても不思議はない。  しかし王は尖塔の手前で方向を変え、アピアンがこれまで一度も気にとめたことのない、目立たない扉の前で止まった。胸元から取り出した鍵はアピアンが持っているものによく似ている。 「父上、ここは?」 「ここは……」王は言葉を探しているかのようにためらった。「王家の記録庫のひとつだ」 「記録類は審判の塔に保管されていると思っていましたが」  王はアピアンにこたえず、扉をあけて中に入った。王が壁に手を触れると回路魔術の照明が光った。埃くさい匂いがアピアンの鼻をうつ。中は想像したよりずっと広かった。大きな家具類がアピアンの目をひく。ひと目で年代物とわかる彫刻をほどこした長持ちや箪笥が壁沿いに置かれ、あいだをタペストリーが仕切っている。  王は巨大な石甕のうしろに吊るされたタペストリーをめくった。王の動きにつれて、まるで生命を取り戻したように明かりがともる。アピアンは王が持つ鍵に回路魔術が反応しているのだと見当をつけた。 「すべて王家の……使われなくなった骨董だな。宝物庫と呼んでもいいかもしれないが、歴史を知らない者にはほとんど価値がない」  埃のせいだろうか、王の声がすこししゃがれて聞こえる。アピアンは長持ちのひとつに手をかけた。鍵はかかっておらず、簡単にひらく。泥棒なら金銀や宝石を期待するかもしれないが、中身は古い甲冑のようだ。装飾がほどこされているわけでもなく、とくに貴重なものにはみえない。 「もう三十年――いや、もっとか。おまえが生まれるより前のことだ。疫病が蔓延して施療院から病人があふれ、王城にも病床が必要になった。最後は王宮の西翼を看護のためにあけた。その時、王家の古い家具や什器をここに入れたのだ。値打ちものはほとんどないが、おまえに見せたかったのは……」  王がもう一枚タペストリーをめくると、明かりの中に夜空の色があらわれた。絵画だ。 「この絵は先々代の女王――おまえのおばあさまの寝室にあったものだ」  絵の左右は城壁に似た灰色の石積みが描かれている。下部にはこちらに背を向けて夜空を見上げているふたりの人物が描かれている。絵の中心が夜空にあるのはあきらかだった。青みがかった黒の背景に輝く星が散らばり、それぞれが金色の線で結ばれている。 「星図ですか?」アピアンは首をかしげた。「それにしてはずいぶん違う――」 「いや。これは星図になぞらえた王家の系図だ。とても古いものだ。おそらく描かれたのは回路魔術が発明されたころだろう」  王はつかつかと歩いて絵のすぐ前に立ち、夜空の左上を指さした。 「これが我らが始祖たる王」  九つの点に囲まれて大きな星がひとつある。アピアンはそこから伸びる金色の線をたどった。始祖の星から線でつながる、小さな星、大きな星――この絵を描いた者はどんな法則でこれらの星ぼしを並べたのだろうか。線はときに重なり、ときに長く伸びて、奇妙な模様を形づくった。始祖の星を囲む九つの小さな星からは蜘蛛の網のように銀色の細かい線が伸び、王家の星の背後で星雲のようにぼやけている。 「父上、これはレムニスケートですか?」 「その通りだ」 「この系図……は、正確なのですか?」 「ひとつひとつの星が先祖に該当するか、という意味なら正しい。ただ、これが描かれたいきさつは記録に残っていないのだ。何かの記念なのだろうが、おまえのおばあさまも、特に意味を考えたことはなかったと聞く」  アピアンは目だけで星の線をたどりながらたずねた。 「父上はお考えになられた?」 「先代王が疫病に倒れたときに」  その口調に含まれた苦い響きにアピアンは思わず王の横顔をみつめた。 「この国は小さく、大国のはざまにある。最初の始祖が王都を定めたあとも、いつ他国に攻め入られ、併合されてもおかしくなかった。さまざまな陰謀に精霊魔術師が暗躍するなか、我々の先祖は魔術の裏を見抜く統治と防御の才によって国を守った。これはおまえにも受け継がれているものだ」 「父上は、この絵はその力の流れを示すものだと思っておられるのですか」 「ああ。精霊魔術師は国のために力を発揮するが、国を陥れることもできる。疫病が蔓延したあのころ、何度も実感したよ」  王がいわんとすることはあきらかだ。それでもアピアンは説得されるつもりはなかった。 「しかし父上、隣国の王家の血統にはこのような防御の力はありませんが、それでも統治をなしとげています。魔力が血統で受け継がれるとは限らない以上、我々に似た性質の者も市井にいるかもしれません。それに回路魔術を生み出したのはこの国の出身者です。我々はむしろ、魔力に関する硬直的な考え方をあらためるべきでは?」  言葉の調子が強すぎたにちがいない。王は落胆した表情でアピアンをみた。 「たしかに隣国には隣国のやり方がある。魔術に関してはこの先も新しい発見はあるだろう。ではおまえは、この絵に何の意味もないと?」 「いいえ」  アピアンはためらったが、正直にいった。 「この絵はとても美しい。それに私もこの星につらなるひとりだと思うと、誇らしく感じます。私だけではない。父上もアンダース殿下もメストリンも、これらの星につながる。ここにはレムニスケートもいる」 「アピアン」王は星と星のあいだの空白を指さす。 「ここに私の星が描かれていれば、おまえとメストリンがつながっているのだ」 「父上、私は……」  アピアンはあてもなく室内をみまわし、ついで星の絵に視線をもどした。ひと息でいいはなつ。 「はっきりいいます。私は女性を相手にできません。たとえ誰を娶っても相手を失望させ、侮辱されたように思わせてしまうでしょう。さもなければ誰にとっても残酷なごまかしをすることになるか、どちらかです。私にはあなたの望むようなかたちで子をなすことはできません」  王はまばたきもせずアピアンをみつめた。驚いているのか、非難しているのか、そのまなざしの意味がアピアンには読み取れなかった。だからとりなすように付け加える。 「父上、私の星がどこにもつながらないとしても、メストリンがいます。彼は私とはちがう」 「アピアン」  王は奇妙なほど静かな声でたずねた。 「おまえは……女でなければいいというのか?」  アピアンは肩をすくめ、王は壁の絵の方へ向き直った。 「そうかもしれません」 「おまえが生まれたとき、おまえの母が亡くなった。それが――」  どういうわけか、王の言葉はアピアンの体の奥に長いあいだ秘められていた熾火のような怒りを呼びおこした。アピアンは大きく腕をふり、王をさえぎった。 「父上、そのことは関係ありません。私はこの城で何の不自由もなく育ちました」 「その通りだ。だが私はおまえのことを忘れていた。王妃がここへ来るまでな」  王はちらりと息子をみて、目をそらした。アピアンは小さくため息をついた。 「知っていました。あの方がここへ来て、前王妃の忘れ形見はどうしているのかとたずね、あなたは私を思い出したんです。覚えています。父上が私を見て……驚いていたのを」  王の視線がふたたびアピアンに戻る。 「ではこれは私への報復なのか? おまえのその……」 「父上、まさか」アピアンは自分の声に冷静さを保とうとした。 「私は私であるだけです。私は王家の義務として結婚はできない――結婚しても本当の意味でその義務は果たせません。たとえこの絵の中に私の星があったとしても」  王はしばし無言だった。アピアンは黙ったまま、また絵を眺めた。画家は星を厚塗りにし、細い線の一本一本も浮き上がるように描いている。目で金の線をたどりながら、この会話がどこへ行きつくのかとぼんやり考えをめぐらせる。 「アピアン」  王がしゃがれた声で呼び、気まずい空気を破った。 「結婚の話はともかく――私はおまえに愛する者がいてほしかったのだ。私におまえの母や、王妃がいるように」  王の口調には困惑したような、哀願するような響きがあったが、アピアンには聞こえていなかった。さっき王の言葉にかきたてられた理由のない怒りが、体の内側に残っていたせいかもしれない。 「それなら問題ありません。愛する者ならいます」  アピアンはそっけなくいった。 「それは誰だ。おかしな輩なら――」 「? まさか。セルダン・レムニスケートです」  アピアンはハッとして口を閉ざしたが、遅かった。セルダンだけはではありえない。しかしとっさの怒りにまかせて口に出すべき名前ではなかった。王の視線を強く感じる。アピアンはかたくなに顔をそらした。 「レムニスケートの山荘。そういうことか。いつからだ?」  アピアンは自分の愚かさに歯噛みする思いだった。王は問いの答えを辛抱づよく待っている。 「……何年も前からです」 「秘密を守るのが巧みだな」王の口調は誉め言葉にも皮肉にも聞こえた。 「おまえの事情はよくわかった。行っていい」

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