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第7話 揺らめく灯
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山吹、元気ですか。
休暇の話だけど、列車の切符がやっと買えました。年末はそっちへ移動する人が多いみたいです。三等寝台をとるのがやっとでした。狭いという話ですが、山吹に会えるのなら何でも構いません。着くのは今年最後の日です。乗合自動車の時間に間に合うかどうか心配です。
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黒鳶、知らせてくれてありがとう。切符がとれてよかった。年末は全部の種族が移動するから、列車をとるのは大変なんだって。この村にも帰省する鹿族がけっこういる。
乗合自動車のことは心配しなくていいよ。おじさんの知り合いが同じ列車で着く客を迎えに行くというから、黒鳶も乗せてもらえるように頼んでおいた。もちろん俺も迎えに行くから、安心して。
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やっと年末の休暇が来た。
黒鳶は森林地帯へ向かう寝台列車に乗った。前回は二等の切符が買えたが、今回はあっという間に売り切れてしまい、三等で精一杯だった。黒鳶に割り当てられたのは三段式寝台の最上段だ。小さな窓からはほとんど景色が見えなかった。列車は満員で、食堂車の入口にはすぐ行列ができた。
休暇にまた森林地帯へ行く。そう狼族の同僚に話したら「翌日の朝飯まで用意した方がいい」とまじめな顔で忠告されたから、黒鳶は列車に乗る前に弁当や果物、お菓子を買いこんでいた。同僚の忠告は正しかった。混雑した車内では弁当の売り子もなかなか回ってこないのである。
以前と同じように、列車は都市部から平原へ抜け、やがて森林地帯へさしかかった。三等の寝台は揺れが激しく、狭くて、うっかり寝返りをうつとあちこちぶつけそうになる。それでも、もうすぐ山吹に会えると思うと気にならなかった。黒鳶は小さな窓から外をのぞきながら、辛抱強く到着を待った。
荷物を抱えて駅のプラットフォームに降りると、駅舎の外から黄色い髪がみえた。山吹が手を振っている。
「黒鳶! おかえり!」
おかえり。その言葉を聞いたとたん黒鳶の胸はぎゅっとつまった。山吹は駅舎の前で黒鳶を抱きしめ、迎えの車に案内した。数人の鹿族と一緒に村へ向かうのだ。乗り合わせた者たちは全員、ひさしぶりの再会らしく、狭い車内はお喋りの声が途切れなく続いた。黒鳶は山吹の隣に座っていた。周囲のお喋りをききながら黙って山吹の手を握っていたのだ。
今夜は年の変わり目の祝祭がひらかれる。村にはいたるところに提灯が飾られ、直売所には村人が用意した食べ物が並べられていた。真夜中になると、通りの先の広場で新しい年を迎える踊りを村の全員が披露するのだ。
山吹の一族はみな黒鳶をあたたかく迎えてくれた。山吹は母屋近くの真新しい建物に黒鳶を案内し、階段を上った。納屋を増築したついでに自分と黒鳶の部屋を用意したというのだ。大きなベッドを置いた部屋の床はニスでぴかぴか光っていた。窓の向こうに森の木が枝を差し伸べている。
祭りの前の夕食は簡素で、あっさりしたスープと具を炊きこんだ穀物だけ。しかしテーブルには一族が勢ぞろいしてした。山吹の父親は一同に向かって、黒鳶が山吹とつがいなのだとあっさり宣言し、祝杯をあげた。この地域の鹿族はつがいになっても儀式のようなことは行わないのである。
それに、つがいになっても共に暮らすとはかぎらない。山吹と黒鳶ほど離れていなくとも、仕事の都合で森を隔てて生活するつがいはよくいるという。
それでもテーブルはおおいに盛りあがり、黒鳶と山吹は次から次に祝福の言葉をかけられた。
真夜中になって祭りの踊りがはじまった。提灯を持った鹿族たちは広場の真ん中に据えられた木の門を取り囲んだ。音楽がはじまると輪からひとりふたりと踊り手が飛び出し、提灯を持ったまま闇に光の輪を描きながら、ステップを踏み、門をくぐる。
「俺たちも踊るんだ」
山吹がそういったので黒鳶はびっくりした。
「僕は……やりかたがわからない」
「俺のすぐうしろについて同じようにくり返せばいい。俺たちはつがいだから、一緒に門をくぐる」
笑顔に励まされて黒鳶は足を踏み出した。提灯を左手に持って、山吹の動作につづく。同じように腕を振り、足を踏み出す。周囲で歓声があがり、音楽にあわせて手が叩かれた。でも黒鳶の目は山吹を追うのに必死だった。山吹の腕がくるりとまわり、提灯が光の軌跡を描く。一拍遅れて黒鳶も提灯を回す。山吹がステップを踏み、黒鳶も進む。
いつのまにかふたりは木の門をくぐり抜けていた。提灯の明かりが揺れ、村人の笑顔が黒鳶を取り囲んだ。「新しい年へようこそ」
踊りがおわっても音楽は残った。年配の者たちは家に戻っても、若い鹿族たちは通りで飲み食いし、喋りつづけていた。黒鳶も取り囲まれて都会のことをあれこれ聞かれたが、山吹が割りこんできて彼らを撃退すると、黒鳶の手を引いて部屋へ連れ帰った。次の日は午後おそくまで、ふたりきりですごした。
休暇は瞬く間に過ぎ去った。
村を離れる日になると、山吹も一緒に乗合自動車で列車の駅までやってきた。まだ山吹は隣にいるのに黒鳶の心は沈んでいた。このまま山吹も一緒の列車に乗って行けたらいいのに。それとも自分がここに留まればいいのだろうか。
でも自分に何ができるだろう。村の暮らし――製造所のあれこれについては多少見せてもらったが、自分がやれる仕事があるだろうか。
「黒鳶、すぐ会いに行くよ」山吹がいった。
「これからは俺がおやじに代わってあちこち回ることになったんだ。手紙を書く」
「うん。僕も書くよ」
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山吹、元気ですか。次にこっちへ寄るのはいつ頃になりそうですか。
僕は官舎を出ることにしました。今の部屋は日も当たらないし狭いから、もっといい部屋を借りるんだ。山吹がここに来るときは宿をとらなくても大丈夫です。僕の部屋に来ればいいから。
待っています。会いたいです。
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黒鳶は街はずれに新しい部屋をみつけた。勤務先の役所からは遠くなったが、日当たりがよく、明るかった。山吹は年に二回、平原の町や都市の卸し先を回り、そのたびに黒鳶をたずねた。黒鳶は年に三度の休暇のたびに山吹の村へ行った。
訪れる季節が変わると天気も製造所の作業も変わった。黒鳶はすこしずつ作業を手伝うようになった。村で山吹と会い、街で山吹と会う。これをくりかえすうち、いつのまにかニ年が過ぎた。
黒鳶の生活には張り合いができた。するとなぜか役所の仕事も以前より面白くなった。引っ込み思案な性格はあいかわらずだったが、いつのまにか黒鳶の心の中にはしっかりした拠りどころが生まれて、それが自信につながっていった。
次に山吹が黒鳶を訪れる時を楽しみにしていたある日、手紙が来た。
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黒鳶、おやじが怪我をした。医者がいうには治るまで動かない方がいいそうだ。で、いろいろあって、俺がしばらく製造所をまとめなくちゃいけない。卸し先まわりにはナラおじさんが行く。ごめん。黒鳶の休暇を待つよ。会いたかった。
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「最近、休暇のたびに旅行にいってるんだって?」
山吹の手紙が来た翌日のことだ。雑談の最中に熊族の上司がそんなことをたずねた。黒鳶が働きはじめてからずっと、何かと目をかけてくれる相手である。
「はい」
「そうか、前はどこにも行かないで暇をつぶしているといってただろう。どんな所へ行くんだ? 楽しいか?」
「楽しいです。いつも森林地帯の……鹿族の村に行ってます。香料の産地で有名な――」
「ああ、人手が足りていないところだな」
何の話をしているのかと黒鳶は上司の顔をみた。
「役所の話だよ。中央から派遣された職員が急にやめたって、聞いたばかりでね。異動願いが受理されなかったというんだが、辺鄙な場所に我慢できなかったらしいともっぱらの噂だ。休暇でたずねるくらいなら楽しいかもしれないが、都会っ子には辛かったみたいだな。黒鳶はどうなんだ?」
「たしかに色々不便ですね」黒鳶は森と村の光景を思い出しながら答えた。
「でもとても……いいところです。僕ならきっと平気です」
雨の季節がはじまったのはそれからまもなくのことだ。
例年より早い訪れだったが、黒鳶の街に雨はあまり降らなかった。ところがそのかわりのように森林地帯には連日大雨が降り続いた。
やがて洪水が起きたというニュースが流れ、黒鳶は気が気でなくなった。森林地帯は広かったが災害の範囲も広かった。一部の川の下流が氾濫し、上流では崖が崩れたり、土砂に埋まった道もあるという。山吹の村にも被害が出ていた。
現地の役所が応援を募集していると聞くと、黒鳶はもうじっとしていられなかった。すぐに臨時派遣職員に志願した。
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