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第3話
3.
雨が降っている。
――梅雨だから、仕方ないか。
毎日鬱陶しいぐらい雨の日が続いていて、気分も暗く落ち込む。学校に着くまでに、足元がぐっしょり濡れるのが嫌だったし、何よりむわっとした湿気が気持ち悪い。汗と湿気で張り付く制服のシャツを脱ぎ捨ててしまいたい衝動に駆られる。
俺は元気なんて出るはずもなく、ただぼんやりと日々を過ごしていた。
――よくみんな平気な顔してられるよな。
クラスメートたちは、晴れていようが雨が降っていようが、毎日同じように過ごしていた。勉強や教師について文句を言ったり怒ったり、友達同士でつまらない話題で笑ってはしゃいだり。そんな彼らを遠くからぼんやりと眺めながら、俺の日常は通り過ぎていく。
今日も一日が終わろうとしていた。
俺は誰からも声をかけられることもなく、振り向かれることもなく、じっと一人で息を潜めて終わるその時を待ち続けている。
いつものことだ。別に何も感じない。もう、こんな風に1年以上ここで、こうやって一人ぼっちで過ごしてきたから。
これまでの人生において友達……それも親友と呼べるような存在がいなかったわけではない。俺はあいつといつもずっと一緒にいて、これから先もずっと一緒にいられるって思っていた。今思えば、そんなのは子供の幼い考えでしかなかった。親の引っ越しで離れてしまってからは、物理的にだけではなく、心も遠く離れてしまった。あの当時の俺は、彼を親友と呼べる存在だと思っていた。でも今は本当にそうだったのかどうか分からない。
何度か出した手紙も、返事が来たのは一度だけ。
俺は、その一度きりの返事を何度も何度も繰り返し読んだ。それこそ一字一句暗誦出来るぐらい。
いつの間にかホームルームも終わっていて、気が付くと教室に残ってるのは俺一人だけだった。窓の外が賑やかだ。生徒たちが傘を差して、雨の音に負けじと大声で会話を交わしながら下校するのが見える。俺は鞄の中から文庫本を取りだした。
本を読むのなら、図書室へ行けばいい、と言われそうだが、俺は教室の方が落ち着いた。実は最初の頃はよく図書室へも行っていたのだ。だが、図書室はいつもやって来る常連の生徒が何人かいて、ある日その内の一人から「いつも来てるね。本が好きなの?」と話しかけられて行くのを止めた。
誰かに自分という存在を認識されるのが嫌だったのだ。
あくまでも自分は誰の目にも映らない、透明人間みたいな存在でいたかった。誰かに気にされたり、話しかけられたりするのが面倒だった。だから、誰もいない教室で一人居残って本を読むことにしたのだ。
しとしとと、雨の音が耳元で優しくリフレインする。
まるで子守歌みたいだ。
――何だか、眠くなりそう。
ページを捲る手が止まる。ふわふわと気持ちが良くなって、視界がぼんやりとしてきた。字が滲んでよく見えない。
――気持ち良いな……
瞼がゆっくりと閉じていくのが分かった。暗闇に雨音だけが響き渡る。いつまでも、いつまでも止まない雨音。
次の瞬間、ハッと気付くと、目の前にあの人がいた。
「……あ、」
「ずいぶん、気持ち良さそうに寝てたな」
彼は笑顔を浮かべた。
――知ってる、この笑顔。
デジャブだ、と俺はもう一度思う。
「今日はそんなに眠くなるような本読んでるのか?」
彼は俺の手の下に敷いていた文庫本をすいっと抜き取る。
「……松本清張? 何だ、今度は社会派か?」
彼は本のタイトルを確認すると、苦笑した。
「純文学から社会派に転向したってこと?」
「……そうなんでしょうか?」
いつもと同じで、俺はただ単に父親の書棚から順番に抜いてるだけなので、それがどんな本なのか意識なんてしていなかった。だからその本が純文学なのか社会派とやらなのかなんて、全然分からなかった。
「お前、やっぱり変ってるな」
「そうですか……?」
俺は自分を変っている、と評されて、良い気分ではなかった。人のことを変ってるなんて、気軽に言っていいもんじゃない。第一、この人は俺の親じゃないし、友達でも担任でもない。俺についてなんて、何一つ知らないじゃないか。それなのに、人を変ってるなんて言って、俺をからかってるんだろうか?
「……雨、止まないな」
彼は俺に本を返すと、顔を窓の方へ向けてそう言った。俺もつられて窓の外に目を向ける。
しとしとと降り続く雨。いつまでも降り続いて、止むことを知らない雨。
「さてと、俺も仕事あるから行くな。……遅くならないうちに帰れよ」
そう言って、あの人は教室を出て行く。
そして俺はふと思う。
――俺が寝てる間、ずっとここに座って起きるのを待ってたのか……?
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