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第4話
4.
――あの人は、どうして俺なんかに構うんだろう?
放課後、一人きりでの読書タイムにいつの間にか加わった、あの人の訪問、という習慣。
最初は戸惑うだけだった。何で担任でもないのに、わざわざ俺の教室にやって来るのか分からなかったから。だけど、時間が経つにつれて、もしかしたら単に本が好きで、本について話したいからなんじゃないか? と俺は思い付いた。
彼がやって来るのは毎日じゃない。まあ、教師だから仕事もあるだろうし、自分の時間に空きがある時にやって来るんだろうとは想像がつく。
俺が本を読んでいると、ふらりとやって来て、本の話を少しだけして、そして去って行く。特に他に何という会話を交わすわけじゃない。本当に大したことがない話だけしかしない。忙しい仕事の合間の気晴らしなのかもしれないし、単なる暇つぶしなのかもしれない。
それでも俺は徐々に、あの人の訪問を心待ちにしている自分に気付いていた。
父親の本棚に置いてある本を手に取る時、次にあの人がどんな事を話してくれるんだろう? と秘かに楽しみにするようにすらなっていた。
「よっ、今日は寝てないな」
「……いつも居眠りしてるわけじゃありません」
この日も雨が降っていた。
今年の梅雨明けは例年よりも遅くなる、と昨晩のニュースで話していたのを思い出す。
「今日も雨、止まないな」
彼はいつもの指定席である俺の前の席に、椅子を跨ぐようにしてこちらを向いて座る。
「どれどれ、今日は何読んでるんだ?」
彼は机の上に開いてあった文庫本を手に取った。ここまでは何も変らない、いつもと同じ行動だった。
「泉鏡花……」
彼の顔色が変った気がした。
「あの……」
俺はどうかしたんですか? と言葉を続けようとしたが口を噤む。彼の瞳が頼りなく揺らいでいた。俺は訝しげに彼を見つめる。彼はそんな俺の視線に気付くことなく、黙り込んでいた。
静かな教室の中で、雨音だけが絶え間なく響き続ける。
彼の顔がくしゃっと悲しそうに歪められた。そして数秒後、何もなかったかのように、いつもの態度に戻って口を開いた。
「幻想文学もいいよな」
「幻想文学……?」
「泉鏡花が書いていた小説のジャンルだよ」
「そう、ですか……」
「お前の親父さん、色々読む人なんだな」
普段通りにしているようだったけど、どこかが、いつもと違っていた。
声に張りがない。
何か物思いに取り憑かれたような、そんな表情。
俺は問いには答えず、無言で彼を見つめていた。彼は俯いて、しばらくの間じっとしていたが、顔をこちらに向けてから、ゆっくりと立ち上がる。
「浅茅生 ……興味深い話だから、ちゃんと読んでみろ。ちょっと読みにくいかもしれないけど」
「あ……はい」
「遅くならないうちに帰れよ」
彼はそう言って教室を出て行った。その後ろ姿はどこか寂しげで悲しそうに見えた。
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