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第5話
5.
それからしばらくの間、あの人と言葉を交わす機会がなかった。
期末テストが近づいてきて、俺は放課後居残りせずに、真っ直ぐ家に帰宅していたからだ。いつも通り放課後本を読んでも良かったが、さすがに勉強しないとやばいような気がしていた。親もテスト前だから刺激しないようにと思っていたらしく、余計な話は一切してこなかったので、別に早く帰宅しても構わなかった。だけど、あの人に会えないのは少し寂しかった。本の話を聞けないのが残念だったというより、あの人の声が聞けないのが寂しかった。優しい、包み込むような、柔らかく心地良く響く低い声。
そう、まるで雨音のような。
期末テストも無事に終わり、いつの間にか梅雨も明けていた。
真っ青な空。ぎらぎらと焼きつけるような太陽。梅雨が明けた途端に、真夏がやって来た。一体この国の気候はどうなってしまったんだろう?
まるで熱帯のような暑さにうんざりしながら、学校に通った。
でもこんな苦行とも、あと1週間でお別れだ。1週間後には夏休みがやって来る。特に夏休みの予定なんてない。でも、夏休みが待ち遠しかった。学校に行かなくて済むから。家に一日中籠って、誰にも気にされずにゲームしたり本を読んだり出来ると思うと、気が楽だった。学校では、一人きりで過ごしていたとしても、いつも誰かに気にされないようにって、それなりに気を遣うから、すごく疲れるんだ。そんな気疲れと無用の生活が訪れると思うと、心底安心した。
期末テストが終わってからは、俺の放課後の読書タイムも復活していた。だけど、あの人は教室には来なかった。多分、テストの採点や成績表なんかで忙しいんだろう。
俺は来ない人を待ち続ける寂しさをいつしか味わっていた。
――こんな気持ち、前にも感じたっけ。
来ない手紙の返事を待ち続けたあの頃。たった1年ちょっと前の話。でももう10年ぐらい経ってしまったかのように感じている。
――ああ、そうか……
俺はふと気付いた。
自分が何かを待ち続ける時、それは実現しない幻に変ってしまう。
手紙も……あの人も。
来るだろうと期待するから、来なかった時の寂しさ、悲しさは倍以上に感じるんだ。
俺は二度と期待するのを止めよう、と手紙の時に思ったじゃないか。
人間は学ぶ生き物のはずなのに、俺は自分の経験から何も学んではいなかった。
寂しさに押し潰されそうになる気持ちを忘れようと、机の上の文庫本に意識を集中させる。だけど、文字はただの記号の羅列にしか見えなかった。
『浅茅生……興味深い話だからちゃんと読んでみろ』
テスト前、最後に会った時、そう言われたのを思い出す。
あの人がそう言うから、俺は何度も繰り返して読んでみた。
幻想文学、というのが一体どんなジャンルなんだか、他の本を読んだことがないから、よく分からなかったけど、怪談みたいな話だった。
死神に取り憑かれた女の話。
一体これのどこが興味深い話なんだか、さっぱり理解出来なかった。
――今度会ったら、この話について色々聞いてみたい。
いつも俺はあの人が一方的に話すのを、ただ聞いているだけだった。何も自分から話そうとはしなかった。
聞いているのが心地良かったから。
まるで雨音のように響くあの人の声。
とても温かくて、柔らかくて、心地良くて、いつまでも聞いていたかった。
静かな教室で一人きりで本のページを捲りながら、あの人の声を思い出す時、俺の心は喜びで満たされた。
――会いたい。
窓の外の青空を眺めながら、心の中では見えない雨が降り続いているのを感じていた。
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