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第4話
4.
週明けの放課後、いつもと同じように図書室に行くと池永の姿がなかった。
――もしかして、何かの用事で遅れてるのかな?
俺は書棚の間をぶらぶらと歩き回る。あいつがいないと、手持ち無沙汰だな、と思いながら。あいつはいつも、俺の側にぴったりくっついて、書棚の本を指差しながら「ジュンブンも面白いけど、僕はミステリが好きなんだ」とか「ミステリでも古典的な本格物がいいよね。社会派とかは今一つ好みじゃないんだ」とか俺が聞いてるのか聞いてないのかも確認せずに、ただ楽しそうに話し続けていた。
俺が「ジュンブンってなに?」と尋ねると、池永は馬鹿にすることもなく「純文学のことだよ。ほら、この作者とかそう」と言って書棚の中からすっと一冊の本を取り出す。まるでどこに何の本が入っているのか、全部知ってるみたいだった。
「ジュンブン読むなら、この辺りとか、後はこれ……かな」
「俺でもその作者は知ってるよ。教科書に載ってるよな」
「そうだね。……でも教科書に載ってるのはごく一部だし、教科書に載ってなくて面白い作品もたくさんあるんだよ」
「池永はすごいな」
「……何が?」
「今まで読んだ本、全部覚えているのか?」
「大体ね。……でも忘れちゃうのもあるよ?」
「だけど、すごいよ。こんなにたくさん読んでるんだもんな」
「……一生のうちに人が読める本の数なんて、限られてる。ほんの一握りでしかないよ」
そう言った池永の横顔は、とても悲しそうだった。真っ白な肌が少し青ざめているように見えた。俺はその表情を目にしたら、それ以上何も言えなくなってしまった。
窓際の席に座って、外を眺める。下校途中の生徒達の姿が見えた。赤や黄色に変った木の葉がひらひらと舞い落ちている。すっかり秋も深まって、冬が間もなくやって来る気配がしていた。
――池永、来ないな。
何かの用事で遅れているのかと思ったが、今日は休んでいたのかもしれない。
週末前、最後に会った時の池永は元気そうだった。
「お休みの日、香山って何してるの?」
金曜日の放課後、池永はこの机の向かい側に座って、俺に無邪気な顔で尋ねてきた。
「休みの日? 寝てるかな……」
「ぷはっ、寝てるの? 一日中?」
「一日中ってわけじゃないけど。……寝る子は育つって言うだろ?」
「香山ってば、屁理屈! それ以上育ってどうするのさ?」
「いいじゃないか。寝だめだよ、寝だめ」
「普段あんまり寝てないの?」
「いや……そうでもないけど」
「何だ、寝てばっかりなんじゃないか。もっと生産的なことしたら?」
「生産的なこと? 例えば?」
「例えば……そうだな、ジョギングとか?」
「ジョギング? それのどこが生産的なんだよ?」
俺は笑って言い返す。池永も苦笑していた。
「筋肉を生産できるよ?」
「まあ、そうなんだけど……でも面倒だなあ。走るのは学校の体育の授業だけでいいよ」
「香山、面倒臭がりだよね。……そうだ、本を読めばいいじゃないか。家で寝転がって読めるよ?」
「そうだよな……うん。本読むよ。そしたら、もっと池永と話が合うかもしれないし」
「僕たち、もう充分話が合ってると思うけど……」
「池永……」
「違う?」
彼の白い頬が微かに染まっている。覗き込むように俺の顔を見る池永を見た瞬間、俺は心臓の鼓動が早まるのを感じていた。
俺は右手を伸ばした。伸ばした先には、開いた単行本を抑える彼の左手。その左手に自分の右手を重ねた。ひんやりとした感触が俺の右手に伝わる。体温を感じない、とても冷たい手だった。
池永は何も言わず、ただ俺を見て嬉しそうに微笑んでいた。
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