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第4話

御園(みその)(あずま)に近寄り、シャツの襟を引っ張る。白い項に首輪は着いておらず、薄らと歯型が残っていた。昨日今日ついたような傷ではなさそうだった。 「……相手は、分かってるのか」 首を短く横に振る。御園は沈痛な面持ちで襟を直した。 「警察には相談したのか」 またも否定。 「……行こうとは考えなかったのか」 頷く。御園が深く溜息をついた。直也(なおや)も遣る瀬無い心境だった。 「親には言ってあるのか」 そこで初めて、東が口を開いた。 「…………どうでもいい、って」 「何?」 「そんな……」 ぼそりと呟かれた一言に驚愕する。関心が無さすぎる。放任主義の域を超えていた。 「御園先生」 「……児相だな」 御園と目配せを交わして、直也は他の職員と相談するために職員室へ急いだ。日頃は「廊下は歩く!」と注意している身で、長い廊下を駆け足で進む。 (どうして、罪の無い子供があんな目に遭わなきゃならないんだ……) 走りながら、どうしようもない無力感に臍を噛んだ。 その後、東は児童相談所ではなく「オメガ性保護施設」に引き取られていった。発情期の真っ只中であったことと、肝心の番の相手が分からないことが決め手となった。それから一週間ほど、学校には一度も登校していない。 施設の職員と情報を共有している御園は、「親元には返せないだろうな」と苦い顔で言っていた。数日前、父親らしき人物が怒鳴り込みに来たのだそうだ。子供を自分の所有物としか認識していない言い草で、とても帰宅させられる状態ではないらしい。 「……もう少し、早く気づくべきでした」 「……そうだな。俺達教師の責任でもある」 空き時間に情報を貰いながら、ふと弱音を零す。御園も無力感に苛まれているようだった。学校側で出来たのは通報くらいで、何も力になってやることが出来なかった。 「東の様子は、何か言ってました?」 「体調は問題ないと。ただ、感情の起伏に乏しいのではないか……と言っていた。元からそういう性格、という可能性もなくはないが」 それと、と御園が顔を曇らせる。苦虫をかみ潰したような顔をしていた。 「日頃から性的虐待を受けていた恐れがある、とも言われた」 「……それは、つまり」 「父親だろう、十中八九」 御園が目元を押さえて天井を仰ぎ見た。信じ難い話だった。放任、物扱いに留まらず、性的虐待までとはおぞましい。 「……学校、来られますかね」 「学校には行きたがっていると言っていた。来週にでも登校してくるだろう」 「本当ですか」 「ああ」 直也達にとってはそれだけが救いだった。学校が彼にとって心休まる場所になっていればいい。そう祈りながら、彼が学校に再び姿を現すのを待ち続けた。 「カイちゃんおはよー」 「おう、おはよう」 直也はいつものように、登校してくる生徒達に声を掛けていた。生徒の波が落ち着いて、そろそろ戻ろうかと踵を返した時だった。 「あの……」 「はい。あっ」 声を掛けられて振り返ると、ショートヘアの優しそうな女性と、制服を着た生徒が立っていた。その顔に見覚えがあり過ぎて、思わず大きな声を上げる。 「――東!」 「…………お久しぶりです」 「久しぶり! よく来たなぁ」 東はトレードマークになりつつあるマスクをして、直也にぺこりと頭を下げた。その隣にいる女性が、彼に続いて丁寧にお辞儀をした。 「保護施設『カミツレ』の朝井(あさい)です」 「生徒指導の甲斐(かい)です」 つられて直也も頭を下げる。朝井は施設内で彼を担当している職員のようだ。 「御園先生にはお話が行っているかと思いますが、今日から学校に通うことになりました」 「そうなんですね。良かったです」 「初日なので様子を見ようかと思ったんですけど……大丈夫そうかな、東くん」 「はい」 東は変わらず無表情だが、動じていないという意味では教室に入っても平気そうだ。 「俺も教室まで着いていきますから。いきなり入るのが難しければ、今日は保健室にいてもらっても構いませんし」 「そうですね。じゃあ、よろしくお願いします。帰りにまた迎えに来るから、連絡してね」 「はい」 朝井はそう言って元来た道を帰っていった。普段関わることのない施設なので、どんな所なのか興味半分、不安半分だったが、職員は良い人そうで安心した。 「じゃ、行こうか」 声を掛けると、東は直也の隣を黙って歩き始めた。話したいことがあり過ぎて、何から話そうかと考えている間に、東がぽつりと何事かを呟く。 「ん?」 「……甲斐先生って」 「うん」 「下の名前じゃなかったんですね」 「え、今ぁ?」 どうやら彼に名前を覚えられていなかったらしい。周りが皆「カイちゃん」と呼ぶせいか、甲斐を下の名前だと思い込んでいたようだ。 「俺の名前は甲斐直也です。甲斐性の甲斐に直る也、ってな」 漢字まできちんと説明してやると、納得したように頷いていた。 「東誓人(ちかと)、です。東に、誓う人で、誓人」 「うん、知ってるよ。よろしくな」 にこりと微笑むと、東はしぱしぱと目を瞬かせた。そういえば、と彼の耳元に視線を移す。 「ピアス、もしかして塞がった?」 「あ……はい」 スルッと耳に髪をかけて、柔らかそうな耳朶が顕になる。軟骨はまだ微妙に開いていたが、他はほぼ塞がりきっていた。 「うんうん。どうせ着けらんないから、次に開けるのは夏休みかな」 「……そう、ですね」 またも教師としてどうなのか、という発言をした直也に、東は感情の無い瞳を不思議そうに向けて頷いた。

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