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第8話

(いっっっ……ってぇぇ〜……) ガンガンと痛む頭を床から持ち上げる。散らかった床から起き上がると、ぐらりと視界が白く揺れた。 (……? なんか、腰がダルい……) 床で寝たせいだろうか。殊更痛むこめかみを押さえながら、ベッドの上に這い上がる。 「………………え」 白く細い裸身が、シーツの上にぐったりと倒れていた。骨が浮いた肋から、黒髪の隙間に見える顔に視線を移す。顔には見覚えがあった。他の誰でもない、(あずま)に間違いなかった。 「……ゆめ」 思い出した。夢を見たのだ。いやに鮮烈で、明瞭で、身勝手かつ最低最悪な夢を。面倒を見ている生徒が隣に越してきて、夜這い紛いのことをするなど、夢でなければ有り得ない。 「い、っつつつ……」 突き抜けるような頭痛が襲って、マットレスに額を沈ませる。その僅かな振動で目を覚ましたのか、ゆっくりと東が身体を起こした。 「…………せんせい」 「あ、ずま……だよな」 「覚えてないんですか? 昨日のこと」 「昨日……」 どこからどこまでが夢で、どこからどこまでが現実なのだろう。あれが夢だとすれば、どうして彼は裸で寝ていたのだろう。混乱する直也(なおや)に、東は残酷過ぎる真実を突きつけた。 「全部、本当ですよ」 ――一瞬で、頭が真っ白になった。 「………………嘘」 「僕が隣に越してきたのも、先生とキスやセックスをしたのも。あ、本当のヒートじゃないので妊娠はしないですよ」 安心してください、と笑う東の感情が理解できない。頭痛に苛まれて思考が散乱していた。 「東は……俺のこと、騙したのか?」 「先生が信じちゃうのがいけないんですよ。でも、そうですね。夢だと嘘をついたのは事実です」 「なんで、なんでそんなこと……」 東を責める気持ちと、自分の無責任さを責める気持ち、両方がせめぎ合って言葉が出なかった。東は赤い唇を緩く曲げて微笑む。 「……先生のこと、好きになっちゃったんです」 「は……?」 好きって、どういうことだ。問い詰めたかったが、口が上手く動かなかった。 「先生。このこと、誰にも言いませんからね」 意味ありげにそう言うと、すっくとベッドから起き上がり、服を着始める。頭が追いつかない直也は、ただ一部始終を見守ることしか出来なかった。 「じゃあ先生、また学校で」 ガチャン、と閉まった扉を呆然と見つめる。鍵を掛けるのも忘れて、今までに起こったことを整理しようと必死に頭を働かせた。 (東が、隣に引っ越してきたは本当で、夜中にうちに来たのも本当で……セックス、したのも、本当……) ぼんやりと、昨夜の媚態が蘇る。あの状態は、感情の起伏が乏しいとは言い難かった。まさか、普段の冷めた様子も演技なのだろうか。一体、何を信じたらいいのだろう。 (……落ち着け。ひとまず、どうするのが正解なのか考えろ) 自首するか。しかし、当の東本人が証言してくれなければ、罪にも問われない可能性がある。引っ越すか。それまでにまたアクションを起こされる可能性が高い。何より、東とは結局学校で会うことになる。仕事を辞めるか。……辞めたくは、なかった。 「どうすりゃいいんだよ……」 今まで頑張ってきたことが、まさかこんな形で翳ることになろうとは。ニュースや新聞で未成年者に手を出す教師の話を見るたび、有り得ないと思っていた自分がまさか、当事者の側になろうとは。 (東は、なんで俺にこんなことを?) 身近なアルファだからか。それなら生徒同士の方が余程簡単だし、リスクも低い。わざわざ教師の直也を選んだ理由とは。 『……先生のこと、好きになっちゃったんです』 好き。所謂(いわゆる)恋愛感情の好き、性欲が絡んだ好意を、彼から向けられている。そういうことか。 「…………だからって、なんでこんな……」 普通に告白するとか、そういう選択肢は出てこなかったのだろうか。一足飛びに行為に及んで既成事実を作ってしまうなど、高校生の頭で思いつくようなことではない。 「俺は、どうするべきなんだ……」 普通は断るのが筋だ。しかし、逆上した彼に関係を言いふらされたら、直也の教師人生は即座に終わりを迎えてしまう。彼がそんなことをするような子ではないと思いたいが、別れ際に意味深な発言をしていたことから、可能性が無いとは言いきれない。 「ああ……頭痛い……」 まさかこんなことになるとは。酒を飲んだことを二重の意味で酷く後悔した。折角の休日だというのに、まともに休むことも出来ず、その日は一日中東のことで頭がいっぱいだった。

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