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第10話(※)

甲斐(かい)先生、少しやつれたんじゃないか」 「そうですか?」 御園(みその)に言われて自分の頬を撫でさする。言われてみれば確かに、以前と比べて少しほっそりしたような気がする。 「倒れる前にしっかり休めよ」 気遣わしげにポン、と肩を叩いて職員室を出ていく。いつも言動が男前だ。直也(なおや)もああなりたいものだ、と出来もしない願望を掲げてみる。 今日は(あずま)が学校に来なかった。これが何を意味するかというと、ついに約束の時が来てしまったということだ。それで朝から憂鬱だった。 (やるって言っちゃったからなぁ……) 非合法的な行為を進んでやる教師というのは、如何なものだろう。それが当人から求められていることだとはいえ、到底許されることではないはずだ。バレたら免職というチキンレース状態に、果たしていつまで耐えられるのか。まるで先の見えないトンネルの中を歩いているようだった。 仕事が片付いて、8時過ぎに帰宅した。そのまま東の部屋に向かうのではなく、一旦自分の部屋に入る。 「え〜っと、なんか食べ物……」 生憎と手料理は得意ではない。戸棚にあったレトルトのカレーの素と、冷凍の白米を冷蔵庫から出して、ビニール袋に入れる。 「…………要るよな」 そして、気は進まないが、ベッドの下から避妊具を取り出してポケットに入れた。自分の部屋を出て、鍵を閉める。 ピンポーンとチャイムの音が鳴り響く。いくらか待たされて、ゆったりとドアが開いた。隙間からジャージ姿の彼が顔を出す。 「……来てくれたんですね」 (あれ、普通だ) 淡々とした東の声に、発情の兆候は見られなかった。しかし部屋に入ると、あのシナモンに似た香りがふわりと鼻腔を擽った。東が玄関の鍵を閉めて居間に戻ってくる。 「ヒートはもう終わりましたよ」 「え、じゃあ」 「……でも、折角来てくれたんですから」 「駄目だぞ。決めただろ、ヒートの時だけって」 東は不満げにむぅ、と口を尖らせた。珍しく子供っぽい表情に少しドキリとする。ふと手に持っているビニール袋の存在を思い出して、台所に向かった。 「東、晩飯食べたか?」 「いえ……」 「じゃあ一緒に食べよう。カレー持ってきたから」 「え」 勝手にレンジを拝借して、レトルトのパックを温める。東はきょとんとしながら、直也の挙動を見つめていた。 「どうした? 腹減ってないのか」 「……そこまで、減ってはないです、けど」 それならご飯の量を減らせばいいか、などと考えていた直也の腰に、すっと腕が回される。ぴたりと背中に東の身体がくっついた。 「東」 「先生……キスだけ」 駄目ですか、と小さく強請る声に、不覚にもグラッと来てしまった。応えてやりたい気持ちと、約束は約束だからという気持ち、そしてさらにここで断ったら身体だけの関係みたいになって嫌だな、という気持ち。それぞれを天秤に掛けた結果、東の頬を両手で包み込む。 「……キスだけだぞ」 「はい……」 東が目を閉じる。柔らかい感触は、いつかの薄い記憶を呼び起こさせた。唇を離すと、下から追いかけてきて再び重なる。 「せんせ、もっと」 甘い蜜を煮詰めたような声が、直也の理性を溶かしていく。舌を入れ込んで、口の中全部を味わうように舐め回した。 「んん、ン」 「……東?」 突如くたりと力が抜けた彼に気づき、体を離すと床にへたり込む。瞳がとろんとして、唇が半開きになっていた。手のひらに掛かる吐息が熱い。もじ、と膝を擦り合わせたのを見て、嫌な予感が飛来した。 「東、もしかして」 直也が予想を口にするより早く、東が艶やかな笑みを浮かべる。 「ヒート、また来ちゃいました……」 「そんなこと、あるのか……?」 「だから、おかしいんですよ、僕の体」 番を失ったオメガの話はあまり聞いたことがない。全員がこうなるのかは分からないが、これも番に捨てられた影響なのだろう。 「せんせぇ……」 力の抜けた体で、東が直也の脚にまとわりつく。直也は短く溜息をつくと、彼の体を持ち上げた。見た目以上に軽い体を抱き上げて、敷きっぱなしになっていた布団の上に下ろす。 「……脱がすよ、東」 「ん……」 ジャージの下と下着をまとめて脱がせると、トロリと粘液が糸を引いた。既にグズグズになった後孔に、指を二本差し込む。腹側を撫でると、腰がゆるゆると揺れた。 「あ、あっ、あん、ぁ」 「気持ちいい?」 「ぅあ、きもち、いぃ」 指を動かす度に愛液が溢れて、シーツが濡れていく。よく見ると、似たようなシミが乾いた跡があった。 (俺が来る前も、こうやって耐えてたのかな) 直也に抱かれるのを想像しながら、一人で自分を慰めて待っていたのだろうか。そう思うと堪らなくなって、責める指を増やす。 「ううぅ、せんせっ、せんせぇ」 「何、東」 「ん、もっと、奥に欲しいです……」 「……指はこれ以上入らないよ」 分かっていて惚けると、ビクビクと身体を震わせながら、東が自分の後孔を指で拡げた。 「先生のおちんちん、ここに欲しいです……」 「…………分かったよ」 頭が沸騰して駄目になりそうだった。ズボンの前を寛げて、自分の物を軽く扱く。硬度を持たせてから、ポケットのコンドームを取り出して被せた。腰を抱いて、先端を押し当てる。 「入れるよ、力抜いて」 従順に脱力した彼の中に、ゆっくりと押し入る。初めてではない感触に、罪悪感で胸が押し潰されそうだった。しかしそれも、確かな快感にすぐ塗り変えられていく。 「あ、あ……先生の、はいってる」 「うん。全部入ってる」 「気持ち、いいですか、せんせ、っ」 「……気持ちいいよ」 慎重に腰を動かすと、東が首を振り乱して喘いだ。背徳感が快感を増幅させて、頭が白くスパークした。段々と本来の目的を忘れて、行為そのものにのめり込んでいく。 「あんっ、あっ、ああぁ♡せんせ、せんせぇっ♡」 「はっ、は……ヤバい、気持ちいい……っ」 東の上に覆い被さって、遠慮なしに腰を打ち付ける。パチパチと肌のぶつかる音が静かな部屋に反響した。望み通り、奥まで入れてから限界まで引き抜いて、一気にまた最奥に先端を押し付ける。その度に東が濡れた声で鳴いた。 「ひんっ♡おく、奥すきっ、もっとぉ♡」 厭らしく腰をくねらせて、自ら快感を求める。彼の言葉に導かれるように、腰を激しく打ち付けた。 「あ♡あっ、それらめっ♡イく、イく、イくっ♡♡♡」 「っ、う」 奥の窄まりに先をぐりぐりと押し付けると、東の脚がガクガクと震えて、両腕が直也の背中にしがみついた。搾り取るように締め付けてくる中に耐え切れず、直也も皮膜の中に精を吐き出す。 「はっ、は、っ……あ、ぁ……っ♡」 「はあ……」 小さく痙攣する身体から自身を引き抜いて、ゴムを外して捨てる。ティッシュで自分の性器と彼の濡れた後孔を拭ってそれも捨てた。 「東、大丈夫か?」 「んん……はい……」 少し怠そうだが、意識はしっかりしているようだ。上体をゆっくりと起こして、下着を履いている。 「ヒート、終わった?」 「はい……多分」 「そっか。良かった」 これで直也の役目は終わった。あとはもう帰ればいいのだが、そこでレンジの中にあるカレーの存在を思い出した。 「カレー、食べれそうか?」 「あ…………はい」 東が頷いたのを見て、立ち上がって台所へと向かう。手を洗ってから、半解凍状態のご飯を温めて、適当な皿にカレーと一緒に盛り付けた。 「よし、食べよう。いただきます」 「いただきます……」 最近のレトルト食品はクオリティが高くて馬鹿にならない。東と食べたカレーは、普段の食事よりも少し美味しく感じられた。 「東は自炊してるのか?」 「はい、一応。安く済むので」 「偉いなぁ。俺も自炊しないとなぁ」 仕事帰りは面倒臭くて、ついついコンビニ飯になりがちだ。金が貯まらない原因の一つでもある。自省する直也を、東がぼうっと見つめていた。 遠慮する東を押し退けて皿を洗って、ついに帰る時間になった。何だかんだで一時間以上も経っていて、随分遅い時間になってしまった。 「じゃあ、また学校でな。おやすみ」 「……おやすみなさい」 あんなことの後だというのに、共に食事をしたお陰か、自分でも驚くほどすんなりと別れの挨拶が出てきた。罪悪感が薄れるのを危惧しながら、自分を改めて律しなければと強く思った。 別れ際の東は、どこか寂しそうな顔をしていた。

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