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第12話(※)

とん、とんと優しく(あずま)の背中を叩く。ぐすっと鼻をすする音が聞こえたので、ティッシュの箱を差し出してやった。 「っ、先生……嬉し、です。ほんとに?」 「うん。俺、ちゃんと東のこと守りたいんだ」 「〜〜っ、う、ううぅ」 直也(なおや)の腕の中で、彼は子供らしく泣きじゃくっていた。この子を、教師としてではなく、一人の男として側にいて守りたい。さっき、そう強く思ったのだ。 ただの庇護欲ではない。ずっと誤魔化し続けていたが、直也の気持ちは随分前から彼に向いていた。他の誰でもない、自分の手でこの子を幸せにしてあげたい。それは、大人から子供に向ける愛情とは少し違っていた。 「先生、好きです、大好き……っ」 「うん……俺も、好きだよ」 普通、抱きたいなんて思わない。項に傷があることを疎ましく思ったり、そこを噛みたいなんて思ったりしない。紛れもなく、直也は彼に執着していた。 勘違い、異常者、犯罪者。何とでも言えばいい。直也は彼を愛して守ると決めた。それだけだった。 「……先生」 落ち着いた東が、布団の上に座って直也を見上げる。 「僕達、付き合うってことは、普通にセックスしてもいいってことですか?」 「……それはちょっと違うな」 付き合うにあたって、直也は彼との間に新たな取り決めを行った。 「発情期以外のセックスは、東が卒業するまで無し。そこはちゃんとしたいんだ」 「…………」 「そんな目で見てもダメなものはダメだ」 「…………はい」 かなり不満そうだったが、一応決まりには従ってくれそうだ。 「卒業するまで、一緒にいてくれるってことですよね」 「……俺はそのつもりなんだけど、東は違うのか?」 少し意地悪をすると、彼はぶんぶんと首を横に振った。眉を下げて、捨てられた子犬のような目で直也を見つめる。 「いやです、ずっと一緒がいいです」 「うん、じゃあ一緒にいるよ」 ぽんぽんと頭を撫でると、一気に顔を火照らせてフリーズしてしまった。いろいろと容量オーバーなのかもしれない。 「とりあえず、学校では今まで通りにしような。バレるといろいろマズいし」 「はい……」 「……って言ってもどうしような? なんかやりたいことある?」 恋人らしいこと。正直、直也から彼に対する想いは、まだ彼から直也に対するそれと一致しているとは言い難いだろう。純粋な恋情ではないし、ただの愛情でも同情でもない。今は、彼を正当に守れる理由が欲しかっただけだ。よって、何かをしたいという欲求は特になかった。それなら、彼のしてほしいことをしてやりたいと思ったのだ。 「…………抱き締めてほしい、です」 東は顔を赤くしたまま、呆然と呟いた。 「勿論。おいで」 両腕を広げて、彼の正面へ動く。東は少し躊躇していたが、おずおずと頭を直也の肩に載せてきた。直也の方から背中に腕を回して、薄い身体を抱き寄せる。 「……ゆめ、みたいです」 「あはは……」 夢、と言われると、どうしても酒に呑まれたあの日のことを思い出して苦い気持ちになる。東が遠慮がちにシャツの背中を摘んだ。 「本当に僕、先生の恋人になれるんですか……?」 「うん。今までみたいに曖昧な関係でいるより、ずっと良いだろ?」 「……そう、ですね」 東は意味ありげに言い淀んだ。それについて追求すべきか迷っている間に、彼が直也の首筋に唇を寄せる。ちゅ、と軽い音を立てて唇が肌に触れた。 「ん、何」 「こういうことしても、怒らないですか?」 体を離して、こてんと首を傾げる。あざとい動作に思わずムラッと来てしまったが、セックス禁止を言い渡したのは他でもない自分だ。 「怒る訳ないだろ。じゃあ、それはつまり、俺もしていいってことだよな」 「え」 可愛らしい悪戯に、大人気なくやり返す。わたわたと慌てる東の首筋を、チュッと痕がつかない程度に軽く吸った。 「んっ」 「な。あんまり悪戯し過ぎると、困るのは東の方だぞ」 「お、怒ってますか……?」 「怒ってないよ。でも、あんまり困らせないでほしいな」 直也とて教師である前に男で、アルファだ。我慢にだって限度というものがある。 「……困ってくれるんですか?」 「めちゃくちゃ困ってるよ。だから東も我慢してな」 東は嬉しそうに笑っていた。こうしていると歳相応に見える。初めて見かけた時は、もっと暗くて落ち着いた印象だった。 (……どれが本当の東なんだろう) 最初に会った東、今こうして笑っている東、そして、ヒートに浮かされて人を誑し込んでしまうような、狡猾な東。短い間にいろいろあり過ぎて、まだ彼のことがよく分からなかった。 「…………先生」 「ん?」 「……やっぱり、セックスしたいです」 「ダメです」 こういう所もあるし。キッパリと断ると、東はぐりぐりと頭を直也の胸に押しつけてきた。猫みたいで可愛いが、絆されてはいけない。一度決めたことは、きちんと最後まで守り通さなければならない。 「……じゃあ、一人でするのはいいですか」 「え?」 「今から一人でするから、一緒にいてくれませんか……」 「な、なん……」 ちょっと言われている意味が分からない。東はたじろぐ直也に構わず、下着の中に手を入れる。クチュ、と濡れた音が聞こえた。 「ん、ん………先生に突かれた所、まだジンジンするんです……っ」 「おい、東……」 腰を軽く浮かせて、見えないが恐らく指を後孔に入れているのだろう。ゆらゆらと腰を揺らして、直也を誘惑してくる。 「あ、ふ……先、生、ぎゅってして」 お願いします、と切実な声で強請られる。必死に頭の中で考えた結果、これくらいはいいだろうと結論づけて、背中に手を回した。東の体がびくんと揺れる。 「あ、先生、先生っ」 顔を近づけると、シナモンの香りが濃く漂ってくる。そういえば、この香りは彼のフェロモンなのだろうか。番のいるオメガのフェロモンは感じられなくなるはずだから、そんなはずはないのだが。 「……東、いい匂いするね」 「へ、あぅ、うう……にお、い?」 「うん、シナモンみたいな……ちょっと癖になる匂い」 甘くてスパイシーで、好みが分かれそうな癖のある香りだ。直也は好きだった。 「匂い……」 いつの間にか東の手が止まっていた。少しだけ体を離して、直也の目を見上げる。その顔は真剣だった。 「それって、いつからですか」 「え? 会った時からずっとするなぁって思ってたけど」 「………………」 「香水、じゃないよな? 柔軟剤?」 どこのメーカーか教えてもらおうかな、などと呑気に考えていると、東は信じられない物を見たように唇を震わせた。 「……それ、フェロモンだと思います」 「え? でも……」 「……どうして?」 「さあ……」 番から切られたオメガについては、まだ研究が進んでいないため分からないことも多い。番がいなくなると再びフェロモンの質が変わる、という話は聞いたことがなかったが、もしかするとそういうこともあるのかもしれない。 「その匂い、強くなったり弱くなったりしますか?」 「……そういえば、東がヒートの時はすごく濃くなる気がする」 今まではフェロモンだと気づいていなかったせいで気にも留めていなかったが、そう考えると納得が行く。誘発されることこそないものの、ヒートの時に強まるのはフェロモンと同じだ。 「……フェロモンにあてられることは、ないんですよね」 「抑えられなくなったことはないな」 酒に酔って自制が効かなかった時を除けば、理性を失ったことはない。そこは普通のフェロモンと違っていた。ますます正体が謎に包まれていく。 「……今度、病院に行ってみます」 「そうだな。何か分かるといいんだけど」 体調に変化があるときっと不安になるだろう。すっかり落ち着いてしまった東の背中を撫でる。甘えてきた彼を抱き締めて、布団の上に転がった。 「大丈夫だよ。俺がついてるからな」 何があっても、絶対に守ってみせる。こくん、と腕の中で頷いた彼に、改めて決意した。

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