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第6話
「何でよりにもよってこれなんだよぉ……」
「似合うから良いじゃないですか」
この家で夏樹に似合う服と言えば、母がデザインした服しかない。私の服だとサイズが合わないが、これならジャストフィットする。
ゴスロリだから首輪をしていても違和感は無い。それどころか黒い服に赤がよく映えている。
夏樹はフリルブラウスを着て、コルセットスカート、パニエ、女性物デザインの下着をはき、市松模様の薄手のストッキングをはき、ドロワーズをはく。最後にレースアップ式のアームコルセットをつけた。一度も迷うことなく着ているのは、さすがとしか言いようがない。慣れている。
「なあ小焼。メイク道具あっかな?」
「母の部屋にありますよ。メイクするんですか?」
「だって、ゴスロリだからメイクしねぇと……色々怖い」
「わかりました」
どう怖いのかは……うっすらわかる。ノーメイクでゴスロリを着ていると叩いて晒し者にしてくる人種がいることは知っている。「ブランドの価値が下がる」とか「似合わない」とか騒いでいる人種だ。その晒し行為がブランドの価値を下げているような気もするし、好きな服を好きなように着させてやれとも思う。まあ、似合わない人に関しては、顔の造りの問題がおおいにあるから私が何か言えたものでもない。……だからメイクしろってことか?
母の部屋からメイク道具の詰まったポーチを持ってくる。どれが何かはわからないが、夏樹はポーチから次々に道具を取り出して塗っていた。
30分ほどして、バエスタでお馴染みの「なちゅ」が鏡に映っていた。大きな目が更に大きく見える。メイクってすごい。
「よし! こんなもんだろ!」
「……思ったんですが、何で夜に女装しろって言った時はあんなに嫌がっていたんですか?」
「色々怖いから」
「はぁ?」
どうやら「女装する!」と決心してやるのと無理矢理着せられるのでは考えが異なるようだ。今の夏樹は自主的に準備しているので、落ち着いている。変な興奮状態になっていない。
夏樹が今着ているのはIMGの夏の新作だが、製品前のタイプなので、ショップに並んでいるものとデザインが少し異なるし、サイズも彼に合わせて小さめだ。夏の新作はショップでも予約完売しているし、ウェブ予約ではサーバーが落ちたと聞いている。
「小焼。どうだ? おかしいとこないか?」
「無いですよ。母に送る写真撮って良いですか?」
「あ、ちょっと待ってくれ。ヘッドドレスつけてない」
犬耳のついたヘッドドレスをつけて準備完了のようだ。夏樹はダブルピースをしている。
「それ、ダサいからやめろってふゆに言われてませんでした?」
「えー、でも、なちゅちゃんはこのポーズが定番だろ?」
そういえば、バエスタにあがっている写真、ほとんどダブルピースしていたな。ダサいって言われてもやり続ける精神力は褒めても良いかもしれないが、調子に乗ると面倒臭いからやめよう。
楽しそうにダブルピースをしている夏樹をスマホで撮影して、母に画像を送る。時差を考えていなかったが、起きたら返してくるはずだ。きっと「ナチュー!」と名前を叫ぶだけのメッセージが来る。
「ああ、そうだ。このリュック使ってください」
「おー! すげぇ! 悪魔の翼だー! 尻尾ついてるー!」
「リュックは一緒に撮影してませんでしたっけ?」
「おれ、これ初めて見た! 強そうで良いな!」
「『カワイイ』と言うものですよ、多分」
黒い翼に尻尾のついたリュックを渡す。商品名は何だったか……忘れた。デビルなんちゃらだと思うが、もっとオシャレな名前だったような気もする。なんでもいいか。
荷物を移し替え、リュックを背負った夏樹を撮影しておく。これはバエスタの管理をしているスタッフに送っておこう。夏樹の自撮りも貰わないとな。
「夏樹。自撮りしてバエスタのスタッフに送ってください」
「あーい。えーっと、ひかりー良い光は何処だー盛れる光―」
夏樹はスマホを掲げたままグルグル回り、自撮りしていた。けっこう真面目に仕事をしてくれる……。
「よし! これでどうだ? 見てくれ!」
「背後に使用済みのゴムが見えているので……」
「うげっ!? モザイクかけて誤魔化す!」
「余計卑猥になりませんか?」
「うーん。盛れたのになぁ。トリミングしてスタンプで誤魔化すか」
夏樹はゴミ箱をトリミングして少し見切れている部分に肉球のスタンプを置いた。見事な誤魔化しっぷりだが、ベッドが写っていることに関しては……大丈夫なのか? スタッフの判断に任せよう。編集も加工もしてくれるはずだ。
外出準備が終わったので、夏樹の車に乗り込む。
「で、何処行くんだ?」
「スポーツショップに行きたいです。ナビに目的地入れます」
「んーっと……、ああ、ここか。おれ、楽器屋行きたいから付き合ってくれ」
「わかりました。昼はこの辺にイタリアンレストランがオープンしたらしいので、そこに行ってみたいです」
「おう。良いな! おれ、ナポリタン食べたい!」
「ナポリタンは日本料理です」
「え。知らなかった……」
「とりあえず、車出してくださいよ」
「あいあーい。出発進行!」
夏樹はビシッと指差す。何をしているんだこいつ。
街に出るのは久しぶりだ。信号が多い。車が多い。人が多い。自転車の信号無視が多い。信号が多いから無視するのか? 何でだ? 数秒くらい待てないのか? 生き急いでいるのか? 死にたいのか? 何だ?
「やっぱ、駐車場料金高いなぁ……」
「ぼったくりですかね」
「土地代だろ。土地代」
話をしながら車を降りる。夏樹は厚底ブーツを履いているので、普段より視点が高い。声がいつもより近く感じる。
話さなければ女子に見えると思うが、今日は肩の骨格がわかりやすい服だから、男だとわかるか……。
それにしても人が多い。繁華街なだけある。あちらこちらを様々な情報が飛び交っている。派手な色の髪の人が何人もいる。カラコンをしている人も、ピアスを大量にあけた人も、処理しきれないくらいの個性が溢れている。
ロリータ服の女性2人組がこちらを見て「なちゅちゃんだー!」「なちゅちゃんかわいいー!」と手を振ってきたので、夏樹は笑って手を振り返していた。
さすが人気バエスタグラマー……。本人は一切管理していないアカウントだということは、私と本人とブランド関係者しか知らない。記事の文面は特に当たり障りのないものだから、夏樹のキャラクター性と違いはない。むしろ、夏樹に書かせたらフォロワーが減りそうだ。
「おれ、人気だな?」
「学内にもファンが多いそうですよ」
「あー、それ、聞いた。おれってわかんの?」
「わかると思いますよ」
「うーん。もっと化けられるようになりてぇなぁ」
メイクの勉強をする気満々なので、夏樹のこういう一生懸命なところは尊敬する。努力家だってことはよくわかっている。天才肌ではないから、努力だけで苦難を乗り越えてきた。たまに頑張りすぎるから、無理矢理にでも息抜きさせないといけないんだが。
スポーツショップでインナーを買い、夏樹が行きたがっている楽器屋に付き合う。上機嫌に歌っているが、さっぱり何かわからないので、また夏樹のオリジナルソングなんだと思う。
「何か買うんですか?」
「ん。ギターの弦が切れてたの思い出したから、買おうと思って」
「ギター弾けましたっけ?」
「父ちゃんが友達から貰ったんだ。まだ弾いたことないけど、いつか弾けるようになる。そん時は、小焼にラブソング贈る!」
「……中学の時に書いたポエム集使えばどうですか?」
「嫌だよ! 恥ずかしいだろ!」
夏樹が中学二年の時に書いていたポエムで「運命の鎖 が魂 に絡みついて離れない」だけ覚えている。面白すぎて。
物持ちが良いと言うか、ごちゃごちゃした部屋だから、捜せば当時のノートも見つかると思う。小学生の時の日記まで残っているぐらいなのだから。
「で、小焼。どれがどの弦かわかるか?」
「わかりませんよ。店員に聞いてください」
「そうだな! すみませーん!」
夏樹は店員に向かって走っていった。あいつ、今の自分の服装を忘れているんだと思う。店員が見るからに驚いた表情をしている。その表情で彼も思い出したようだ。話が終わったらしく、少し赤面しながら戻ってきた。
「おれが求めているのは4弦ってわかった……」
「良かったですね。なちゅちゃん」
「うぅ、恥ずかしい……」
「お前の恥ずかしいの基準はどうなっているんですか」
ギターの4弦を手に取り、夏樹はレジに向かう。……本当に基準がわからない。
買い物も終わったので、イタリアンレストランへ向かおうと歩いていると、見覚えのあるちっちゃい青いのが見えた。
「おっ! けいちゃーん!」
「はうぅっ!? なちゅちゃんやの!」
「あ、そっちで呼ぶんだな」
「そりゃこの服装ですからね……」
今日はIMWの和ゴスラインの狂宴シリーズか。これも予約完売していたような気がする。けっこう母のブランドの服を持っているんだな?
「けいちゃんは買い物?」
「ウチは、オーディション受けてきた帰りやの……。ふゆちゃんが勝手にウチの履歴書で応募して……書類審査通ってしもて……」
「あいつ、何してんだよ……」
「オーディションって、何のですか?」
「これやの」
けいは雑誌の切り抜きのような紙を差し出してきた。
アイドル事務所のオーディションだな。この事務所、名前を見たことがある気がするんだが、何処で見たんだろうか……。それほど大手ということか?
「せっかくやから記念のつもりで……オーディション受けてきたの……。ウチ、他の子より可愛くないし……きっと落ちるの……」
「けいちゃん可愛いから自信持って良いって。なっ? 小焼もそう思うだろ?」
「そうですね。可愛いと思いますよ」
「あうぅ、ウチなんて全然ダメダメやの……。ウチなんて……」
普通に話しているが、元カノだということを思い出した。まあ、仮だからダメージは少ない。仮だから。
俯いて手遊びをしながら何か言っているんだが、何を言っているか街の喧騒で聞こえない。顔が茹でたタコのように真っ赤になっている。タコのカルパッチョが食べたくなってきた。
「あー、けいちゃんなのー!」
横から声がした。ピンク色の髪に紫色の瞳のちっちゃい女性が手を振りながら駆け寄ってくる。地雷系と呼ばれそうなファッションに身を固めた黒いマスクの女子だ。……ん? 何か見たことがあるような?
「巴乃メイ……?」
「うちのこと知ってるなの? えへへ、嬉しいなのー。握手あくしゅー!」
両手で右手を包まれた。しっとりして、もちもちしている手だ。まるで羽二重餅のような肌をしていた。
「メイちゃん!? まじで!?」
「あなたもうちのこと知ってるなの? 嬉しい―! 握手あくしゅなのー!」
「あ、あ、ありがと!」
夏樹は握手してもらってデレデレと破顔していた。何だろうかこの状況。理解が追い付かないが、目の前に巴乃メイがいる。やっぱりちっちゃいし、可愛い。……そして、けいと似てる。
「あうぅ、メイちゃんこんにちはやの。えっと、メイちゃんは、今からお仕事やの?」
「そうなのー。雑誌のグラビア撮影なの! けいちゃんはお買い物?」
「ウチは、オーディション受けてきたの……」
「えー! すごいなのー! どこどこー?」
「ここやの」
「ここ、うちの事務所なの! 社長に電話して受かるようにしてあげるなのー!」
「えっ!?」
けいは未成年者だが、大丈夫か? いや、巴乃メイも19歳だから、未成年者なんだが、大丈夫か? 道理で事務所の名前に見覚えがあるはずだ。
オロオロしているけいとのんびり電話しているメイと道行く巨乳女子を思わず二度見している夏樹と……なんだかカオスだな。それより腹が減ってきた。甘い香りがしてクラクラする。早く何か食べたいな。混み始める前にランチにしたい。
「夏樹。腹が空いた」
「おう。そんじゃ、そろそろ行くか。けいちゃんまたなー。メイちゃんはありがとー!」
「バイバイなのー!」
「あ、バイバイやの」
手を振りながら、2人と別れる。推しとはあまり距離を縮めるものじゃない。認知されるだけでも、けっこう胸が苦しい。
イタリアンレストランはちょうど私達で席が埋まった。
良かった。食事にすぐありつけそうだ。
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