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第11話
まめたの散歩の後二度寝した。
起きたら、ふゆがおれの部屋で作業を始めていた。まだイベントまで時間があんのに、頑張るなぁ。
「また勝手に入ってんのかおまえ」
「お兄ちゃん寝てるんだもん。ホッチキス留めお願いしまーす!」
「あいあい。でもさ、イベントって再来週だろ? 準備が早くねぇか?」
「遅いくらいだよぉ! まだ無配ペーパーができてないの! 造形は演劇部の大道具係の子に頼んだけど、他がまだなの! そうそう、小焼ちゃんの許可は取れた?」
「おう。コスしてくれるって。服は胸囲があるからLLが良いってさ」
「雄っぱいやばいね! 完コスじゃん!」
ふゆは喋りながらコピーした原稿を整えて渡してくるので、おれは原稿をホッチキスで留めていく。
造形ってのは、武器とか防具とかそういうのを作ることだったっけな……。演劇部の大道具の子が作るなら凄いのできそう。完コスはキャラクターに完全になり切ってるんだっけ? 忘れたや。ふゆが説明してくれてたけど忘れた。小焼に頭叩かれた衝撃で忘れたのかも。あいつけっこうバシバシ叩いてくるし。
「衣装って今買っても間に合うのか?」
「大丈夫! ブレアンならいくらでも国内にあるから!」
「へえー」
ふゆがコスプレ衣装を買う時は海外から荷物が届く。生産に2週間はかかるとか言ってたし、2月頃に「旧正月で納品が遅れてるー!」って騒いでるのを聞いたことがある。
自分で型紙から服作ってる時もあるけど、それはだいたい演劇部で使うやつだ。何で部活のは自分で縫うのに、こういう時は買うんだかさっぱりわかんねぇ。
製本作業をテキトーに手伝い、ひと段落したところで朝メシだ。
ふゆの手料理『たまごとにんじんとひき肉を混ぜて焼いたもの』。小焼ならきちんと料理名が言えるんだろうなぁって思う。料理の腕は、我が妹ながらけっこう上手いと思う。あの性格さえどうにかしたら、良いお嫁さんになれると思う。
「お兄ちゃん、ダウナーちゃんゲットしたよ! 春日さん来てくれるって! これでおっぱい見放題だね! 小焼ちゃんもいるし、両手に巨乳ギャル!」
「小焼を巨乳ギャル扱いしてやんなよ」
「ところで、えっちなことはしたの? お泊りデート詳しく教えて!」
「もうおれからおまえに教えることは無い。免許皆伝だ」
「そんなこと言わずにー!」
小焼が昨日ふゆに会ってるはずだけど、この分だと答えていないようだ。でも、さすがに妹に「セックスした」なんて言えねぇし、兄としてどうかと思う。
テキトーにはぐらかそうとしたんだけど、話すまで付き纏いそうな気がしてきた。どう説明すっかなぁ……。女子高生に性教育か? それにしては内容があれだし。
首を掻きつつ考える。手に少し引っ掛かりを感じた。そうだ。
「ふゆ、ここ」
「歯形―!」
「ネコに噛まれた」
「もー! お兄ちゃんのえっちー!」
ふゆはニヤニヤしながら両手を合わせて拝んでくる。はいはい、ネタ提供できたなら良かったよ。
さて、家にいたらふゆの作業を手伝うことになりそうだから出かけよっかな。
部屋に戻ってテキトーに服を着替える。半袖のパーカーに七分丈のカーゴパンツ。楽だ。めちゃくちゃ楽。
「お兄ちゃん出かけるの?」
「おう。お兄ちゃんはおまえの手伝いばっかしてらんねぇからな。あんまりおれの部屋荒らすなよ」
「うん! お兄ちゃんのパソコンでエロ動画見るくらいにするね!」
「見るな! あと、課金だけはするな! 絶対だぞ!」
「はーい! いってらっしゃーい!」
「いってきます」
数カ月前に勝手にゲイビデオ購入してやがったから心配だ。お陰で男同士でのやり方がわかったけど、感謝はしない。あいつ、二次元だけでなく三次元も見るのかって思ったし、高校生の好奇心ってのは怖い。
スイミングスクールでも覗いてみっかな。小焼が泳いでいるはずだ。あいつの泳ぎは見ていて安心するし、楽しそうだし、おれも楽しくなる。なにより、めちゃくちゃキラキラして見えるんだ。最近は更に輝いて見える。
記録会も近いから、調整すんのに練習見てやりたい。泳げないおれが練習メニュー考えてんのもあれなんだけど、アプローチとしてはド素人が見ても綺麗に見えるフォームなら、めちゃくちゃ速く泳げるんだと思っている。プルを意識した練習メニューにはさせてっけど、そろそろキックに変えっかな。フィンでもつけて……。
考えつつ、電車に乗ってスイミングスクールに向かう。スイミングスクールの最寄り駅には、リンゴ飴の専門店ができていた。シナモンをまぶしたもの、ココアをまぶしたもの、抹茶やほうじ茶、きなこ、色んなフレーバーがある。小焼はもう食べたかな。買って行ってやろうか。でも、泳いでる間に溶けたら嫌だからやめよう。リンゴ飴って溶けんのか知らねぇけど。
スイミングスクールの生徒も先生も顔馴染みだから、顔パスがきく。「小焼くんなら泳いでいるよ」と教えてもらえたので、安心してプールに向かえる。これで小焼がまだ来てなかったら、おれは何しに来てんだって思われるだけだ。
プールサイドを歩く。長水路のほうはシニアクラスの生徒さんでいっぱいだった。ここにいないってことは、短水路を泳いでんのか。
25mプールを覗く。プールの中央で水に背中をつけて伸びをしているキラキラが見えた。……何でおれは沈むんだろ。小焼は水の上で伸びができるくらいには浮いてるのに。
「小焼ー!」
「何しに来たんですか?」
「何しにって、おまえの練習見に来たんだよ。おれはおまえの超スペシャルデラックススポーツドクターだぞ!」
「そうですね」
そう言って、小焼は水に沈む。数秒してこっちまで泳ぎ切った。耳に入った水を抜くために数度首を振る。まるで猫が体を震わせて水を落としてるようだ。
「で、今日のメニューは?」
「え」
「え、じゃなくて。メニューは?」
「あー、じゃあ、いつもどおりで……」
「練習を見に来たって言うから、何か考えてきたのかと思いましたよ」
そう言って、小焼はプールサイドのベンチに置かれていたボストンバックからストップウォッチとホイッスルを取り出して、おれに投げる。「キャッチ」の言葉と同時に受け取った。
「フリーの100mタイム計測お願いします」
「おう。任せとけ」
小焼は体を軽くほぐしてから、スタート台に乗る。ピシッと伸びた背筋が綺麗だ。体のあちこちにおれがつけたキスマークが見えてんだけど、あれって、スクールの人に何か言われたかな……。向こうでシニアクラスの生徒さんが微笑んでるのが少し気になってくる。いけねぇ、今は小焼のタイムトライアルに集中しねぇと。スタートの合図を出してやんねぇと。
「Take your marks!」
――静寂を置いて、ホイッスルを吹く。
小焼が飛び込む。指の先で水に切れ込みを入れ、そこに滑り込んでいく。水面は凪ぐほど穏やかだった。水を力強く掴んで、やわらかいキックでしなやかに流していく。
どうやったらああいう動きになるのか、おれにはさっぱりわからない。
壁を蹴って、一度目のターン。短水路は脚力があればあるほど有利になる。蹴ってからの伸びが良いからか良いタイムが出やすい。小焼の脚力だと、大きなリードを取れっから、50mで勝てない相手がいても、100mでなら勝てるってこともある。……小焼は勝ち負けより、自分のことしか考えてなさそうだけど。
ストップウォッチを止める。ベストタイムより0.2秒遅い。キャップとゴーグルを外し、頭を振りながら小焼がこっちに歩いてくる。
「どうでした?」
「ベストより0.2秒遅れてるくらいだ。仕上がりとしては良いほうかな」
「夏樹がボタン押すの速いだけでは?」
「あー……、なんか、そんな気もする。けど、おれは、きっちり、ホイッスルと同時に押してるぞ! なんなら、押すほうが遅いかもしれねぇ!」
「それはそれで、困りますね。もう1本泳ぐから、今度はきちんとしてください」
「あーい。わかったよ」
5本連続で泳いで、標準記録を0.5秒上回るようになった。泳げば泳ぐほど、スピードが上がってくる。でも、小焼に長距離を泳ぐほどの持久力は無い。
瞬発力と持ち前の筋肉のしなやかさでうまく泳いでいる。力の入った泳ぎではなくて、流すような泳ぎ。全力で泳ぐなら200mまでが安牌といったところだ。400mや800mになると途端にタイムが落ちてくる。
「ほい、お疲れ。10分休憩したらブレすっか?」
「ブレよりバックの練習がしたいです」
「バックか……。おれが来た時浮いてたのは、バックの練習中だったか?」
「いえ。夏樹がどうして沈むか考えていました」
「それで、わかったか?」
「わからないです。休憩はもう良いので、お願いします」
「あいあい。インターバルメニューにすんのな。それなら、50mを30秒切ってこいよ」
「わかりました」
自分でも持久力について考えてたのか、インターバルメニューに切り替えるなんて珍しい。いつも好き勝手に追加メニューするくらいなのに、おれの指示に従ってくれる。……好き勝手に変更されてるっちゃされてるんだけど、何にも相談しないし、返事しないことが多いから、今日は珍しい。雨でも降るんじゃねぇかな。
フリーのタイム計測をした時と同じようにホイッスルを吹く。
小焼は強く壁を蹴って、すぐに水中に姿が消える。しばらく水中を泳いだ後、浮上してくる。おれなら浮くだけでもいっぱいいっぱいになるってのに、あいつは浮くのも沈むのもできんのかな……って思いつつ、ストップウォッチを見る。折り返しのタイムはまずまず。戻ってきた時に30秒切れるかどうかはビミョーなところ。
壁に手が触れたタイミングで止める。31秒28だった。
「どうでした?」
「31秒28。もう少しペースあげられっだろ? 1本毎に30秒休憩であと19本な」
「わかりました」
30秒後にもう一度ホイッスルを吹く。すぐに水中に姿が消える。ドルフィンキックで潜水したまま進んでいく姿は、お見事としか言えない。よっぽどの体力が無いと、15mギリギリまで無呼吸状態で泳ぐことはできないはずだ。体内の酸素を一気に使うから負荷が多いったらありゃしない。でも、その分、速く泳ぐことができる。体力と引き換えに水中を進むか、体力を温存してどれだけ最初の15mを進むかが勝負の分かれ道になる。
ストロークは大きく、S字を描くように。小焼が言っていた。
高校生に指導する時にも、ストレートプルとかC字プルの説明をしていた。理論的に考えると、水をしっかり掴んで推進力を得るには、S字プルが一番良いはずだ。でも、上手く交互に掻くことができないと蛇行して余計に疲れてくる。テクニカルパドルでプルの強化をしたから、その練習の効果が今出ているのかもしれない。そう思えば、軽い捻挫も良いきっかけになった。……でも、未だに、小焼は部員の名前覚えてねぇんだよなぁ。望月ぐらいしか。
50mバック20本の平均タイムは30秒05だった。そこそこ良いペースで泳げている。後半でもタイムを伸ばしてきたのは、コツを掴んだか。
珍しく肩を上下させて息を切らしながら小焼があがってきたので、タオルとドリンクを渡す。
「ほい、お疲れ。珍しく息切れしてんな?」
「……けっこう……苦しい」
「肺のこともあるけど、大丈夫か?」
「だいじょ……うぶ、です」
「10分休憩してからもう1セットの予定だったけど、やめっか? しんどいだろ?」
「いえ……。やります……」
「ん。わかった。そんじゃ、10分休憩してから20本な。それから、プル練習50m10本して、キック練習25m45本して、ダウンすっか」
「……わか、り、ま……した……」
けっこう消耗してそうだ。
持久力をどうするかが課題だな。肺のこともあるから、無理させらんねぇし……様子見ながらしてやんねぇと、おれは小焼のパートナー。超スーパーハイスペックスポーツドクターだ。
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