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第16話

 夏樹が来てくれて落ち着いた。一時はどうなるかと思った。  意識の戻った望月は「ごめんねぇ」と笑っていたし、傷ついていたが、平気そうに私に接してきていた。それでも額からの血が止まらないから救急隊員に運ばれていった。先生からの連絡で6針縫ったらしい。バイト初日に悪いことをした。  さて、忘れ物を取りに来た小学生は怯えたように震えている。どうしてこんなに怯えられているのか意味がわからない。何でだ? 何かまずいことをしたか? 職員室でキスしていたからって、怯えるようなものではないし、性的な関心を持つ年頃のはずだから、逆に興奮しそうなものだが……。  夏樹は溜息を吐きながら小学生と視線を合わせるために少し屈んだ。あんまり身長が変わらないから、屈まなくても良いような気がしてならないんだが、言わないでおこう。 「ごめんな。夕顔コーチな、無愛想だけど、おまえんこと嫌ってんじゃねぇからな。おれのことが大好き過ぎるだけだ」 「急に何言ってんですか」 「あはは。おまえがこの子を睨んだまま何も言わねぇからだよ。ほら、忘れ物を取りに来たって言ってんだから、対応してやれよ。おれが留守番しといてやっから」 「……わかりました」  鍵束を手にして、廊下に出る。小学生はとことこついてくる。名前は何だったか……。プールバッグに視線を落とす。『りゅうぐうかいおう』と書いてあった。なかなかいかつい名前だな。 「あの、夕顔コーチ……。さっきのあの人と恋人同士って……」 「そうです。夏樹は私のパートナーです」 「男同士で恋人になれるの?」 「なってますよ」  祖父の母国では珍しいことではない。同性婚だって認められているくらいだ。  異性愛が普通だと考えられているものだから、不思議に思うのも仕方ないか。  りゅうぐうはロッカールームからゴーグルを持って来た。ゴーグルを忘れるとはな……。 「俺、スクールの中に好きな子がいる!」 「へえ、そうですか」 「島津のことが好き!」  はて、島津とはどの子だったか? なんとなく記憶に残っているのは、ブレを専門に泳いでいる男の子だ。タイムをそんなに速いわけではなく、かといって遅いわけでもない。何もかもが平均的で、ぱっと秀でたところがない。だから、私の記憶に残っているのかもしれない。あまりにも普通過ぎて、奇妙だから。  興味の無い話をされても困るのだが、教え子なので、それとなく相槌を打っておく必要がある。こういう話は私よりも夏樹に相談して欲しい。  職員室に戻る。夏樹がキャスター付きのイスでくるくる回って遊んでいた。ばかか? 「何してるんですか?」 「おっ、思ったよりも早かったな! いやぁ、なんか遊びたくなっちまってさぁ! 昔、校長室の上等なイスでこんな遊びしなかったか?」 「私はお前のようなばかではないので」 「あいあい。おれがバカだったよ。で、その子も戻ってきたんだな」 「ああ……。男を好きらしいです。どうしたらいいか相談に乗ってやってください」 「相談? 当たって砕け散れば良いんじゃねぇかな? おれだって小焼に5億回ぐらい告白してんぞ」  数を盛りすぎだろ。  真面目に恋愛相談が始まったようなので、私は掃除をしておくか。先生が綺麗にしているから気になるような汚れも特に無い。やっぱりしなくて良いか。  そうしている間にりゅうぐうは帰って行ったし、先生も戻ってきたので、夏樹と共にスクールを出る。  私が助手席に座ると、夏樹はすぐに窓を全開にした。タバコを吸うようだ。 「家に送れば良いよな?」 「夏樹の家でも良いです」 「おれん家来ても、今ならもれなくふゆの原稿の手伝いさせられっぞ。って、おまえは、絵が壊滅的だったな」 「壊滅的だとか言わないでください。絵の具が気付いたら灰色になっているだけです」 「混ぜ過ぎだって!」  他愛もない話をしながら、私の家まで送ってもらった。  車から降りる前に唇を重ねる。 「ん。お別れのキスしてくれんだな」 「して欲しそうだったからです」 「そりゃしたい! ご褒美だな、ありがと」  彼は人懐こい犬のような笑みを浮かべてたので、頭を撫でてやる。更に嬉しそうに笑っていた。尻尾をぶんぶん振っているようにも見える。尻尾などないはずなのに、不思議だ。  ひとりっきりの家に帰る。  カギをかけて、自室に戻る。ベッドに倒れ込めば、微かに夏樹の香りがした。それと、濃い精液のにおい。ゴミ箱から香るのかもしれない。使用済みのゴムが無造作に放り込まれている。あまりにも大雑把に入れられているから、中身が流れ出てティッシュに染み込んでいるものもあった。  腹の奥が疼く。体の熱が上がっていくのが自分でもわかる。あんなにヤッたってのに……おかしい。なんで、こんなに欲しくなるんだ。  スマホが震えている。 「あ、もしもし。こ、小焼くん。あ、あの、いま、電話大丈夫やの?」 「大丈夫ですが、何ですか?」  鈴を転がしたかのように可愛らしい声が聞こえてくる。けいは息を呑んだ。何かを言いかけてやめたようだ。それを数回繰り返して、やっと決心したようで、小さく「よ、よし!」と聞こえてきた。さっさと用件を話して欲しいところだが、急かすと泣きそうだから待っておいてやろうと思う。 「ウチ、再来週のイベントで……」 「再来週のイベントって何ですか?」 「あ! え、えっと、えっと、同人誌即売会があるやの。年に2回開催されてるおっきいイベントやの。小焼くん知ってる?」 「ふゆが何か言ってたやつですか?」 「そうやの。そのイベントやの! ウチ、そのイベントで、えっと……サプライズゲストとして……ステージに立つの」 「サプライズゲストがサプライズゲストとしての情報を流して良いんですか?」 「小焼くんには伝えておきたかったやの。メイちゃんのことを教えてくれて、ウチとメイちゃんを出会わせてくれたから……恩人やの」 「恩人というほどのものではないと思いますが」 「ウチ、アイドル頑張るの。応援して欲しいやの」 「わかりました。応援します」 「えへへ、嬉しいやの。それじゃあ、またね、やの」  サプライズゲストがサプライズの内容を伝えてくるのはどうかと思うが、けいは自信を持ちだしたのか、前よりはっきりした声色で話していた。電話口でもおどおどされたら何も聞こえなくなりそうだから、助かる。  しかしながら、まだデビューもしていない子がサプライズゲストになんてなれるのか? 巴乃メイも一緒にってことだろうか? デビューイベントってことか? よくわからないが、応援しておこう。けいが可愛いのは事実だ。間違いなく推せる合法ロリ色白美少女……。  再来週のイベントが楽しみになってきたな……。

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