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第18話

 記録会までは、あと少し。最終調整の段階に入り、姿見に映る自分の体が気になった。夏樹が調子に乗ってつけたキスマークが蕁麻疹のように見えてくる。これのおかげで、裏で何かと言われているようだが、放っておいてほしい。無関心でいて欲しい。  周りに何を言われようが、私は同じように泳ぐだけ。  うるさいうるさいうるさいうるさい。  大きな声ではないが、うるさい! 「夕顔くーん。今日のキック練習一緒にしよぉ」 「……ひとりにしてください」 「え。うん。ごめんねぇ」  関わらないでほしい。もう誰も傷つけたくないから、近付かないでほしい。ひとりでいれば、誰も傷つけない。誰も叩かない。血を見ることもない。夏樹に迷惑をかけることもない。  やはり、ひとりが……私には合っている。  スタート台を蹴り、プールに飛び込む。  指先から水に身を委ねる。包み込まれるような感覚が心地良い。吐き出した息が泡になって流れていく。  何にも考えたくない。何で泳ぐか、理由なんて必要無い。ただ、この感覚が心地良い。  そして、泳いだ後に、プールサイドに人懐こい犬がいたら良い。  くるんと巻いた尻尾を大きく振りながら寄ってくる小さな犬がいたら良い。頭を撫でてやったら、更に喜んで尻尾を激しく振るような…………。  プールサイドに上がり、耳に入った水を抜くために首を左右に振る。ベンチに置いたタオルとドリンクを取る。  望月が隣に座った。 「ねぇねぇ夕顔くん。伊織くんは?」 「今日の午後提出締め切りのレポートが終わっていないと言ってました」 「そっかぁ」  あいつはまたギリギリまでレポートをやらずに置いていたらしく、星祭りの後ぐらいから必死になってやっているようだ。もう少し計画的にできないのかと思う。大雑把過ぎる。  隣の望月はドリンクを飲みながらスマホを弄っていた。メッセージアプリを開いている。他人のスマホを見るのはマナー違反だから、視線を逸らす。  目の前では、水飛沫があがっている。きらきら輝いていて、綺麗だ。綺麗だが、あの飛び込みは美しくない。ストリームラインができていない。吸い込まれるように、受け入れられるように、水面が凪ぐような……着水が良い。 「夕顔ー、一緒にブレの50m泳いでくれよ!」 「……一緒に、ですか」 「ひっ! や、やっぱり良いや! ごめん!」  名前を忘れたが、水泳部の誰かだ。夏樹の知り合いだろうから、後で夏樹に聞けば良い。赤色のハーフパンツの誰か。……けっこういるからわからないかもしれないな。  それにしても、聞き返しただけなのにどうして怯えられるんだ。向こうで何かひそひそ話しているのも気に食わない。  「ゲイが並んでて気持ち悪い」とか言う暇があるなら、泳げ。練習しろ。  うるさい。やはり、うるさい。ひとりが良い。ひとりで良い。 「夕顔くーん、そろそろ休憩終わりじゃない?」 「……奏、ブレの50やりますか?」 「えっ!? 奏って呼んでくれた!? じゃあ、小焼くんって呼んで良い?」 「どうでも良いです。ついでに、向こうの奴らに声をかけてください」 「あ、さっきお誘いしてくれた川岸くんだね! オッケー!」  奏はトコトコ歩いて川岸に話しかけていた。  ひとりで良い。ひとりが良い。  だが、夏樹に迷惑をかけるのはまずい。他の部員とも仲良くしろと言われたが、変な差別がある。それさえ忘れてしまうくらいの泳ぎを、見せるしかない。  奏が声をかけてきた川岸、そして川岸と共にいた佐藤、奏、私がスタート台に立つ。  スタートの合図は、マネージャーの女子部員がしてくれる。名前は忘れた。 「Take your marks!」  ――静寂を置いて、ホイッスルの音が響く。  鋭く飛び込む。指先で水に切れ込みを入れ、そこに滑り込んでいく。水を強く掴んで、キックでしなやかに流していく。力を抜いて、大きく動く。腕を伸ばし、姿勢を意識しながらストローク。プル。テクニカルパドルで練習した甲斐があったか、フォームが自然に楽になった。  短水路なので、壁に触れて蹴りを入れて引き返す。隣のレーンのやつとの差は5mぐらいか? もっとあるか? 遅いな。文句があるなら、もっと速くなってから言え。  泳ぎ切り、プールサイドに上がる。標準タイムを切っていたが、自己ベストには遠い。0.1秒でも速くならないと。もっと速く。  やっと泳ぎ切った3人は息を切らしていた。たかが50m泳いで息を切らすなど、低レベル過ぎる。話にならない。  踵を返し、プールに飛び込む。クールダウンをして、身支度をした後、夏樹のゼミ室へ足を向けた。  乳首から熱が広がっていく。服に擦れるだけで、熱を吐き出したい欲が高まってくる。絆創膏を貼るのを忘れた。炎症を抑える薬でも塗ってもらえないか。  スポーツ医学ゼミのドアを3回叩いてから研究室に入る。  パソコンの前には力尽きた夏樹が寝ていた。 「夕顔おはよ! 夏樹なら、力尽きた」 「おはようございます。レポート終わったんですかね」 「バッチリ終わって、俺のと一緒に出し終わったよ」  夏樹のゼミ仲間が、彼の頭を撫でながら話す。妙に腹が立つ。どうしてだかわからないが、夏樹に触ってもらいたくない。 「夏樹は私のモノなんで、気安く触らないでください」 「わっ! そりゃごめん!」  本当に寝ているのか寝たふりになっているかわからないが、とりあえず私も彼の頭を撫でてみる。くせっ毛が指に絡んできて心地良い。不思議と良い香りがしてきた。腹が減った。 「じゃ、俺は次の講義に出るし、しばらく誰もゼミ室に来ないから、お幸せにー!」 「はあ?」  よくわからないまま祝福された。  隣の席に座り、夏樹を観察する。  どんぐりのようなくりくりの目は閉じている。短い睫毛が疎らに生えていて、下睫毛もそれほど長くはない。  こうやって、私が近くにいて静かな夏樹は珍しい。レア中のレアだ。  なんとなく、唇を重ねてみた。少女漫画的で似合わないとは思うが、したくなった。もっと夏樹に触りたい。だが、記録会が近いから、こいつには触らせてはいけない。  寝ているから反応しないか? 考えつつも、彼の白衣のボタンを外し、シャツをはだけさせ、薄いタンクトップ越しに乳首を摘む。ビクッと微かに体が跳ねていた。指先で弾くと小さな唸り声が溢れる。  下腹部もゆっくり勃ち上がってきたようだった。ベルトを外し、ジッパーを下げる。とびだしてきた夏樹のご自慢のエクスカリバーを撫で擦る。 「ヒッぁあっ! な、にぃ……!?」 「おはようございます」 「ふぇっ!? 小焼、何し、ィッあ……!」 「禁欲させていますし、レポートができたご褒美に抜いてやろうかと」 「だ、だからってぇ、ゼミ室は、ぁっ! ああっー!」  私の手に白濁が散る。夏樹は机に伏して荒い息を吐いていた。腰が震えている。  何故だか腹の奥が熱い。さみしい。これでいっぱいに、満たされたい。  夏樹の襟首を掴んで起こし、唇を重ねる。口中に舌を入れ、舐めまわし、たまに舌を吸い合い、絡め合う。  夏樹の手が私の胸に触れる。乳首が敏感に、硬くなっていることが自分でもわかるから、恥ずかしくなる。乳首を抓られ、弾かれ、吸われるだけで頭が真っ白になって、妙な幸福感に包まれてしまう。  こんなところで、こんなことをすべきではない。 「な、つき。ここじゃ、やだ」 「ここじゃなかったらして良いのか!?」 「ばか!」  軽く叩いたら、夏樹は「痛ぇ」と言って、爽やかに笑った。ドMにはご褒美になってしまったようだ。  夏樹にお似合いの貞操帯でも買ってやろうか。やっと先日、前にネット注文していた拘束具が届いた。今度から、目隠しプレイも拘束プレイもできるようになる。  大会シーズン中は、激しいプレイはできないが、夏樹は脱がないから傷が残っても大丈夫か? いいや、SMプレイに関してだけなら、私も巻き添えを食らいそうだから嫌だな。  頬を撫でて、頭を撫でてやる。本当に犬のように喜んでいる。忠犬なちゅ号とでも呼ぶべきか?  もう一度くちづけを交わす。夏樹が私の道を両手で塞ぐ。  くちゅくちゅっ、唾液の混ざり合う音が響いて、体の熱が高まってくる。下着が窮屈になってきた。夏樹に触れられて、目から生理的な涙が溢れた。きもちいい。 「っ、ぁっ……はぁ、……んっ……!」 「小焼。声、抑えて。おれの肩噛んでて良いから」  椅子に座っている夏樹の上に向かい合わせに座って肩を食む。夏樹に触られるだけで、快感が体を電力のように駆け巡っていく。腹が鳴る。さみしい。満たされたい。夏樹が欲しい。 「なつき、こっちも、触れ」 「ローションは?」 「そんなの持ち歩くか! ばか!」 「じゃあ駄目だ。小焼を傷つけたくねぇもん!」  触ってほしいのに、触ってくれない。与えられる刺激が心細い。もっと奥で夏樹を感じたい。  何でこんなこと考えてしまってるんだかわからない。  体が震える。夏樹の肩に噛みつく。弾けた怒張が白衣を白濁色の液体で染めた。濃い精液の香りが鼻をつく。  勃ち上がった自身からは、とろとろと透明の液体が垂れている。まだ、足りない。もっとしたい。せっかく禁欲していたのに、これじゃ……駄目だ。 「小焼。すげぇエロい顔してる」 「ばか!」 「痛っ! 叩くなよ! また望月みたいなやつ出しちまうぞ」 「それは申し訳なかったと思います……」  急に頭が冷えた。  夏樹も興奮が冷めたようだった、普段なら勃ちっぱなしだってのに、今は戻ってきている。私が触ればすぐに完全体になりそうだが……それをする必要は無いか。  記録会が終わって、ふゆのイベントの手伝いが終わってから……セックスをしたい。  コスプレイというのもしてみたい。ブレアンのベースの衣装を先日試着したが、乳首が擦れるから対策が必要だった。先に試着できて良かった。当日そのままだと手伝いなんて、とてもじゃないができなかった。  夏樹から下りて着衣を整える。すっかり賢者タイムに入った夏樹はあくびしながらパソコンをシャットダウンさせていた。 「ついに今週末だな! 記録会もイベントも!」 「そうですね。記録会はともかく、イベントはいまいちわかりません。けいがサプライズゲストらしいですが」 「どんなイベントなんだろな。おれもすっごい楽しみ!」 「初めてなんで……」 「大丈夫大丈夫。おれがいっから、熱中症の処置は任せろ!」 「医務室いらずですね」 「おれは、スーパーヒーラーだぞ!」 「ピーラーの間違いでは?」 「皮剥きさせんなよぉ! まったくもう!」  笑いながら頬を掻く姿が可愛いので、つい頭を撫でていた。更にでへへっと破顔する。わかりやすいやつ。  週末の予定が終わったら、『ご褒美』を与えることにしよう。  それまで、私も『おあずけ』で、夏樹には『待て』だ。

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