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第19話
明日は待ちに待ったイベント。だけど、その前に今日は記録会だ。
連盟公式の記録会だし、企業のスカウトの人も見に来ている。ここで良い記録を残しておけば、就職活動も楽になるし、スポンサーがついたら消耗品も提供してもらえる。……小焼はスポンサーを断ってんだけど。おれなら喜んでホイホイついていっちまいそうなのに。
大学名の入ったチームジャージを着て、チームメイトの近くに小焼がいるだけで、ちょっと安心する。今まで人を避けてたから、誰かが側にいるだけでも大きな進歩だと思う。
望月のこともいつの間にか名前で呼んでたし、彼なりに仲良くなろうと努力しているんだな。安心するけど、ちょっとさみしいところもある。だって、おれ、恋人だし! 彼氏だし! 小焼の隣はおれの席ー! と心の中で叫びつつ、隣に座る。言ったら殴られそうだもん。
「そういえば、小焼くんの専門って何なの?」
「ブレ、バッタ、バック、フリーです」
「小焼。それだと全部言ってっから……何を言いたいかはわかっけど」
個人メドレーと言いたいのか全部得意だと言いたいのか、それとも天然なのか……。小焼は4種目を挙げた。望月が困ったように苦笑いしてっから、おれもつられて苦笑する。小焼は首を傾げていた。
「一番得意なのは、ブレです」
「え、ぼく、バックかと思ってた!」
「ブレです」
それならそうとハナッから言ってたら良いけど、小焼は言わない。得意なものと専門は別ってことなのかもしれない。おれもけっきょく小焼がどれを専門にしているのかはわかっていない。だって、どれもけっこう良いタイムを出すんだ。泳ぎに関しては器用なんだと思う。
きちんと指導できるくらいだから、実力は確かだ。ただ、無愛想なんだよなぁ。愛想の良い小焼を想像できねぇ。
おれが練習を見に行けてない間に水泳部員とはそれなりに友情を育めたようで、小焼はそれなりに会話できるようになっていた。他の水泳部員と比べたら全然だけど、前シーズンに比べたら、かなり進歩している。ひとりぼっちで外でランニングしてねぇもん。誰かの泳ぎをきちんと見てるもん。
知らない他校生の泳ぎを見て「キックが弱い」とか「ストロークが甘い」とか言ってるから、これはこれで……どうなんだ? 文句を言うくらいの実力があるのは皆知ってるけど、これだから高圧的だとか威圧感がどうのだとか態度がデカいだとか言われんだけど……事実だから何も言い返せねぇ。おれが言い返すことでもないんだけど!
レースが近付いてきたから、小焼は観客席から出てった。いつもならおれがついていくとこなんだけど、今日は先に「ついてこなくて良い」と言われた。
もしかして、おれ、避けられてる? と思ったくらい、ほとんど会話していない。おれと小焼がそういう関係だっての公表してっから、側にいるだけで噂されるからか? もしくは、新たなプレイの一環か? あ、駄目だ。放置プレイだと思ったらゾクゾクしてきた。駄目だ駄目だ。今は不純なこと考えちゃ駄目だって!
「小焼くんがんばれー!」
「夕顔―、ファイトー!」
部員が応援してるだけだってのに、なーんか、嬉しくなる。今までも応援してくれてたけど、心がこもってなかった。でも、今は、きちんと想いのこもった応援だ。
おれも小焼に声をかけ……て良いのか? もしかしたら、周りに何か思われるか? でも、声をかけないほうがおかしいか? え、どうしよう。おれ、小焼に何言えば良いんだ?
「伊織。夕顔に声かけねぇのか?」
「あ、ああ、うん。えーっと――」
スタンドから声をかけようとしたところで、鋭い視線が突き刺さる。
距離があるから小焼の声は聞こえない。でも、唇の動きで何を言っているかなんとなくわかる。答えてやんねぇと!
「小焼ー! 愛してるー!」
「い、伊織、それは違うんじゃねぇか」
「伊織くんここでいちゃつかないでよぉ」
「夕顔すっげぇ睨んできてっけど!」
「あれ、戻ってきたら殺されそう……」
うん。間違えたっぽい。おれ、後で死にそう。親指立てて首を横に切って下にズドーンってされたし、絶対今「殺すぞ」って言ってた。あれはわかる。おれ、殺される。やばい。
周りがざわざわしたまんまだから、場内アナウンスで静かにするように言われたし、やべぇ。裏サイトとネットニュースで叩かれそう。そんで、ふゆのネタになりそう。
ふゆも小焼の泳ぎ見に来るって言ってたんだけど、あいつ、何処にいんだろ? 来てるってメッセージは入ってたんだけど……、とスマホを見たら『お兄ちゃん急に愛を叫ばないでよ!』ってメッセ―ジが届いていた。ちゃんと来てるし、おれの声が聞こえるとこにいんのかよ。
ブザーが鳴って、小焼はスタート台に立つ。一度姿勢を正してから、すらっとした脚がしっかり構えを作る。
「Take your marks!」
――ブザーが静寂を切り裂いた。
一斉に水へ飛び込む。反応は悪くない。たとえ反応が遅れたとしても、小焼ならターンで追い抜ける。いや、あいつに周りは関係ねぇか。周りとのコミュニケーションも連携プレーも、水に飛び込んでしまえば関係無い。ひとりになる。自分の力だけで、誰よりも速く泳げば良いだけ。
だからあいつ、泳いでる時は楽しそうなのかな……。誰にも関わらなくて良いし。
グッ、と伸びた腕が水を掻いて推進力を生む。決まったように足の裏で水を押して、進んでいく。どの泳法でも、小焼の泳ぎは見ていて安心するし、楽しそうだ。水が小焼に触れられることを喜んでいるようにも見えるくらいだ。そんなことないって思うんだけど、そう見えてくる。思わずため息を吐いちまうくらいには、美しい泳ぎだった。綺麗だった。
お見事としか言えないほどの最高のタイムを出して、小焼は1着でゴールした。周りにいたスカウトの人達も注目している。……あの人ら、後で声かけてくんのかなぁ。ナンパされねぇかちょっと心配だ。だって、小焼は綺麗だし。
ブレの100mを泳ぎ終わった小焼が戻ってくる。おれと目が合った瞬間に、目つきが鋭くなる。あ。そうだった! 殺されるんだった!
「夏樹。さっきのアレは何だったんですか?」
「読唇術しようとして失敗した。ごめん」
「正直でよろしい。正直者のお前には、しっぺとデコピンを与えましょう」
「いだだだっ!」
腕と額にダメージを負った。力加減してくれてるつもりかもしれねぇけど、かなり痛い。力加減とは? と言いたいくらいには痛い。
小焼は周りの視線が気になるようで「走ってくる」と言って行っちまった。次のフリーの200mまではまだ時間があるし、ひとりにしてたほうが良いか? それとも、追いかけてやるべきか?
「伊織くん、ついてかないの?」
「うーん。どうしたら良いか悩んでんだ。おれが近くにいたら騒がれちまうだろうし……小焼は静かに過ごしたいだろうしさ」
「でも、好きな人となら一緒にいたいと思うよぉ。ぼくは一緒にいたいもん!」
「俺もー、彼女と一緒にいてぇ」
「俺も俺もー!」
と、水泳部の皆が言うので、おれは小焼の後を追うことにした。素直じゃない時があっから、もしかしたら、おれと一緒にいたいのかもしんねぇし! ……いや、おれが一緒にいたいだけか。
会場の外に出る。小焼が屈伸運動をしていた。
「小焼ー!」
「他の人の泳ぎを見ないんですか?」
「ん。おれは、小焼の泳ぎ以外眼中にねぇぞ!」
「ばか」
「おう。そう言われると思った!」
小焼は少しだけ口角を上げておれの頭を撫でてくれた。機嫌が良さそうだ。水泳部の皆が言ってたことは正解だったんだな。好きな人とは一緒にいたいもんだよな! 抱きつきたいけど我慢がまん。ここでイチャイチャしたら色々言われちまうはずだ。それは困る。
「次もきちんと見てろ」
「おう。見とく! 小焼以外見てねぇけど!」
「良い子にしてたら『ご褒美』あげます」
耳元でいつもより低い声で囁かれて、腰がゾクゾク疼いた。あ、ちょっと出た。おれは中学生かっての! こんなとこで暴発しちまうなんて、恥ずかしい!
抱かれるかもって思うくらいには色気のある雄の声してて、ビックリした。おれが抱くんだけど! おれが、小焼を、抱くんだけど! 濡れるってこんな時に言うのかもしんねぇ。実際にちょっと下着汚れたし。
小焼のジョギングにおれはついていけねぇから、席に戻ることにした。その前に、トイレ行こっと。
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