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第22話

 同人誌即売会のイベント当日。  何でこんなに早朝から出ないといけないのか気になるが、聞いても理解できなかった。  夏樹が車で迎えに来たので助手席に座る。後部座席では、ふゆが口を開けて寝ていた。 「おはようございます」 「おはよ! 朝早くから愚妹のせいでわりぃなぁ」 「気持ち良さそうに寝てますが大丈夫ですか?」 「楽しみでなかなか眠れなかったんだとよ。おれもワクワクして5時間しか寝れなかった!」 「……けっこう寝てますよね?」 「おう。普段通りだな! 冗談はさておき、隣の駅で、はるを拾って、それから会場に向かうから」 「わかりました」  私も寝ていて良いだろうか。目を閉じる。夏樹が腕をつついてくる。 「何ですか」 「いやぁ、皆寝たら寂しいからさ。これから高速道路乗っていかなきゃなんねぇし……」 「会場ってそんなに遠いんですか」 「おまえ、さてはイベント会場へのアクセス見てねぇな!? 陸の孤島だぞ!」  記録会に集中していたから、イベント会場の場所を知らなかった。カーナビを見る。目的地まで2時間かかるらしい。……なかなか遠い。  電車で行ったほうが速い気もする。サークル入場がうんぬんかんぬん……ふゆが説明していたことを思い出した。コスプレ参加になるから、入場時間がどうのこうの。夏樹に任せておけばなんとかなると思って、ほぼ聞いていなかった。  けいがサプライズゲストとして何かに出演することはわかっている。ステージが何処にあるか調べないとな。 「おっはー! 今日はよろしくお願いしまーす!」 「おはよ! よろしくな!」 「よろしくお願いします」  ギャルが後部座席に乗り込む。名前……何だった? 「夏樹、あの……」 「あー、ああ! この子は春日だよ。あっちは、秋ノ次冬夜な。で、おれは、なちゅ。おまえは……コウだな。おまえの母ちゃんいつも『コウちゃん』って呼んでたろ? 後で冬夜せんせーが名札配ってくれっから! 春日ー、撮影OKか?」 「もちろん! あたいは撮られてなんぼさ! ついでに店のアカウントもフォローしてもらいたいとこだね!」  どうやらギャルについては、春日と呼べば良いらしい。  本名を知られると色々まずいことになる時があるとネットで調べたら書いてあった。コードネームのようなものか。  夏樹は信号待ちついでにタバコを咥えた。後ろで春日もタバコに火をつけていた。煙が、増えた。 「げほっ、けほんっ」 「あー! ごめんごめん! タイミングずらしたほうが良いな!」 「え、あ、コウ兄さんってタバコ苦手なのかい!? ごめんね!」 「いえ、大丈夫です……」  夏樹は毎度のことだから何も思わないが、春日については見た目のわりにしっかりしてる子だと思った。遊んでいるギャルではないのか……。 「マジカル衣装仕上げるの大変だったんだよー。フリル叩くのに時間かかってね。妹も手伝ってくれたから、ウィッグのカールは完璧だよ」 「マジカルバージョンのダウナーちゃんの衣装作ったの!? すげぇな!」 「業者製ので良いのが無くてね。改造するくらいなら、作ったほうがサイズもピッタリ合うからさ。通常のは良いやつあるけど、大きいイベントだし、魔法大決戦のマジカル衣装やりたくってねぇ」 「あの時のダウナーちゃんめちゃくちゃ良かったよな! わかる!」 「夏樹はけっきょくアニメの続き見たんですか?」 「ちゃんと見た! ダウナーちゃんの最後の魔法でチカちゃんを強化して逃すの、マジ泣いた! 作画も力入ってたし、スタッフにダウナーちゃん推しがいたんだよきっと!」  と、夏樹は熱く語っているが、私は眠い。  春日と話が合うなら、私は寝ていても良いだろう。目を閉じる。 「おっはよー!」 「うっわ! 急に大声出すなよ!」 「ごっめーん! あ、春日さん! 初めまして! 秋ノ次冬夜です! 今日はよろしくお願いします!」 「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします!」  ふゆが起きたようだ。賑やかな声が聞こえる。寝ていても大丈夫そうだな。  後ろでどっちが攻めやら受けやらヤンデレがどうのこうの言ってる。わんこ攻めが良いだとかマッチョ受けが良いだとか、ガチムチかわいいだとか、なんだかよくわからないが楽しそうだ。  そんな話を聞いている間に、寝て起きたら会場についていた。 「はーるばるきたぜー! イベント会場ー!」 「歌う必要ありますか?」 「ある! 気分アゲアゲになる! おれだけ寝不足でランナーズハイだ!」 「お前は6時間寝てるでしょうが」 「いや、5時間だ!」  手を開いてドヤ顔をされたが、どうでも良い。  車からキャリーバッグを下ろして引いていく。ふゆから名札を受け取った。ブレアンのベースが描かれている。名前も『コウ』と書かれていた。ついで、チケットを渡された。 「じゃあ、着替え終わったらスペースに集合ね!」 「あーい!」  更衣室の前で解散する。  夏樹についていって、スタッフの誘導に従ってビニールシートに座った。 「そんじゃ、着替えっか! ふゆからこれ預かってんぞ。おまえの敏感乳首を守るガーディアンだ! いだだっ! 殴るなよ!」 「一言余計です。で、使い方は?」 「あっ、そっか。おれが貼るから、おまえは……エロい声出すなよ!」  服を脱いだところで、肌色のシートを貼られた。素材がわからないが、やわらかい。胸を揉まれたので手を叩いておいた。 「触るな」 「わりぃわりぃ。すんごいおっぱいだからつい……。あとはわかるよな!」  頷いて、着替えを進める。  夏樹も着替え始めていた。ヒロインのチカをやるからかブラジャーをつけている。なかなか美乳で、ほどよく手の中に収まりそうな小ぶりの胸だ。触りたい衝動に駆られたがどうにか抑える。夏樹と同じことをしてどうするんだ。  着替え終わったので、カラコンを入れる。メイクをしてからウィッグを被るように言われたので、夏樹のメイク終わりを待つ。  そういえば、今日の彼はオーバーニーソックスをはいている。ふとももがつやつやしているので、毛を処理してきたようだ。  メイクが終わり、ウィッグを被った夏樹が振り向く。 「可愛いですね」 「へへっ、ありがとな。そんじゃ、おまえのメイクすっか」  喋らなければ女に見える。骨格がわかりづらい服だから、肩や首で男だと気付けないかもしれない。  目を閉じる。ブラシやスポンジで塗りたくられる。メイク道具の名前などわからない。夏樹は鼻歌交じりで楽しそうだ。 「よし! できた!」 「……お前ってメイク上手いんですね」 「勉強しといた! ベースのコスプレ画像見まくってメイク研究したんだ」 「他にやることなかったんですか」 「だってぇ、やるなら全力でやりたいだろ」  言いたいことはよくわかるが、こいつはなかなか忙しい院生のはずだ。レポート提出をギリギリにするくらいなら、学業を優先してくれ。  着替えが終わったので、集合場所に向かう。既にシンタローとダウナーがいた。 「ちょっ、ま、まっ、待って! 無理! むりぃ!」  ふゆが騒ぎながら春日の後ろに隠れた。何かあったのか? 忘れ物か? 虫でもいたか? 「無理。待って待って! 推しが、推しがいるぅ! 待ってぇ! あたし、死んじゃうー!」 「死ぬな生きろ!」 「生きるー! ってか、お兄ちゃんもめちゃくちゃ可愛いし! 何なの!? 待って!」  何を待って欲しいかわからないが、ふゆはひたすら「待って」を連呼する。夏樹と春日が笑っていた。 「あー、やばい。え、どうしよ。あたし、こんなに完成度と再現度やばいベースの横にいられないよ。やばい! お兄ちゃん隣に居て!」 「おれが隣にいるのは良いけど、おまえの新刊シンベスだろ? シンチカじゃねぇだろ?」 「そうだけどぉ! むりぃ! ほんっと、むり! 待ってぇ! あたし、ベスチカも好きだし、シンダウも好きぃ!」 「わかるよ! あたいも、ベスチカとシンダウ好き!」 「やったー! 仲間だー!」  よくわからないが、盛り上がってるな……。  ふゆと春日が騒いでいる間に隣の席の人達が来た。目が合った瞬間に「待って待って待って!」と言われた。何を待てば良いんだ……。  ふゆがすぐに挨拶してお菓子を渡していた。こういうルールでもあるのだろうか。  特設ステージが真前にあるスペースだった。もしかして、ここがサプライズゲストが登場するステージか? それなら好都合だ。 「そういえば、夏樹よりふゆのほうが背が高いですね」 「うぐっ! 気にしてること言うなよ! こいつは厚底で身長盛ってるから! あと、なちゅって呼んでくれ」 「わかりました」 「ねえねえ自撮りしよ! 設営終わりましたー!って投稿するから!」 「あたいのスマホでも撮らせてくんな!」  4人で寄ってどうにか撮影できた。  席に座って開場を待つ。腹の虫が鳴いている。 「コウ。腹減ってんのか? これ食うか?」 「唐辛子の素揚げなんて食べられませんよ」 「けっこう美味いんだけどなぁ。ほい、おまえの好きな豆大福」  夏樹から豆大福を5個貰ったので頬張る。  餅がよく伸びて、軽く噛むだけで、ふんわり切れる。噛み心地が良く、舌触りが良い。甘さ控えめの粒あんで、程良い塩加減だ。  食べている間に開場のアナウンスが流れた。拍手と同時に足音が聞こえてくる。大多数が行進している。スタッフが「走らないでください!」と叫んでいる。想像よりも激しい。  すぐに待機列ができた。『最後尾はこちら』と書かれた札を持つ人がいる。  夏樹から聞いていたが、ふゆはけっこう人気があるようだ。次々に本が持ち帰られていく。販売ではなく頒布しているらしい。 「冬夜さんおはようございますー! あー、もう、シンタローお似合いですー!」 「わー、沢村さん来てくれたんですね! ありがとうございますー!」 「こ、こちらの方って、もしかして、バエスタで人気の……!」 「そう! なちゅちゃん! そして、なちゅちゃんの隣にいるのがコウちゃん! で、こっちが、春日さんだよー!」 「あー! 待って待って! やっぱり実物も可愛いー!」  ここに来る人は「待って」が合言葉なのか?  同じようなやりとりをもう15人ほど聞いた気がする。写真撮影にも応じて、の繰り返しだ。  人が途切れずに来る。隣のサークルにはほとんど人が来ていないように思うんだが……。隣で優劣をつけるのは嫌だな。 「私もイベント会場を見て回りたいです」 「コウちゃんが好きそうなロリの本なら、4号館だと思うよー!」 「……私はロリが好きなのではなく、イカ腹が好きなだけです。まるっとした腹が愛らしくて撫で回したくなる」 「おまえ、ギリギリの発言してっぞ。コウだけだと心配だから、おれもついていくよ」 「うん。わかったー! 春日さんは?」 「あたいは知り合いが午後から来るから、その時に回るよ。お目当ての本はキープされてるからね」  というわけで、夏樹とスペースを離れた。  隣が何を頒布しているか正面から見る。  サークルのポスターには、ブレアンの双子の魔女が描かれていた。キャラ名は確か……シルキーとハスキーだったか。幼さが残る顔をしたふとももがむちむちの可愛いキャラだ。で、そのキャラの本のようだ。 「これください」 「は、は、はい! 500円です!」  何故だが驚かれたが、可愛い双子魔女のイラスト本を手に入れた。  隣で夏樹がニヤニヤしている。 「おまえ、やっぱりロリ好きなんじゃねぇか?」 「何言ってんですか。ニーハイに乗る脚の肉が良いんですよ」 「いやいや、おまえが何言ってんだよってレベルだぞ」  カバンに本を入れて、イベント会場を歩く。時々「待って待って! 今のベスチカかわいい!」と声が聞こえてくる。写真を求められることもあった。この文化はよくわからないが、できるだけ応じるように言われているので、応じておく。 「シルキーハスキーのコスプレイヤーは少ないですね?」 「背が低くて可愛い子じゃねぇと難しいのかもな。人気キャラだから、半端にしたらガチ勢に叩かれんだよ」 「私達は大丈夫ですか?」 「大丈夫だろ。さっきから騒ぎまくられてるし。やっぱ、コウが美人だからだろなぁ」 「なちゅが可愛いからですよ」 「あはは、ありがとな」  人懐こい笑顔を向けられたので頭を撫でておく。ベレー帽についた犬耳がよく似合っている。チカのマジカルモードの服は探査能力が高い犬仕様だから……、夏樹にピッタリだな。  売店で食料を買って、スペースへ戻った。

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