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第27話
夏休みに入ったから、学校には部活や卒研のやつしかいない。普段賑わっている校舎も、まるで別の場所のように静かだ。
世界中におれ一人だけみたいだって笑ったのも一瞬だった。陸上部が元気良く走っていった。
スポーツ医学ゼミのドアを開く。おれしかいない。それもそっか。ミラはアメリカに帰ってるし、慎吾も里帰りの真っ最中だ。
席に座ってパソコンのスイッチを押す。接触不良になってんのかカチカチカチカチ連打してやっとディスプレイに明かりがついた。
水泳部のタイムトライアル結果を打ち込んでいく。望月のタイムがあがってきてっけど、今期は予選落ちしたから、来期は決勝までいけたら良いな。佐藤は調子悪かったのか。鈴木はだいぶ良くなってそうだ。
でも、小焼には関係無いんだよな。
おれが水泳部のタイムをまとめていても、小焼には関係無い話だ。おれは小焼の専属スポーツドクターだから、彼だけ見てりゃ良いんだろうけど、周りから吸収できるもんもあるから、つい他も見てしまう。
あいつのストロークが綺麗だとかリカバリーが上手いとか、そんなアドバイスをしたところで、他人に興味無い小焼には関係無い。と、思ってたんだけど、最近は互いに練習を見るくらいに馴染んできたようだ。チームメイトと仲良くなってくれたのは嬉しいけど、ちょっと複雑だな。おれがいない間に敏感乳首をイジめられたりしてねぇかな……。イジめられるだけならまだましだ。揉んだは、カッとなった小焼が誰かを傷つけないか。
他人に怪我させた時の小焼のメンタルは豆腐よりも弱い。紙防御かってくらいペラペラでぽにゃぽにゃだ。そんな時に「やらせろ」なんて迫られたら、やられちまいそうだ。小焼は綺麗だし、心配になる。
次の試合までの調整メニュー考えねぇと。持久力を伸ばしてトップスピードを維持したまんま泳ぎ切れるようにするか、推進力に特化するか……、小焼と相談しねぇと。
おれは『水泳の先生』になれねぇし、側にいるだけしかできねぇけど……。
スマホが鳴ってる。小焼の母ちゃんから?
「は、はい。もしもし、夏樹です」
「はーい、ナチュ! アンチェよ!」
良かった。日本語だ。前に夜中に起こされて、何言ってんのか理解できないまま話してたから助かる。寝起きだと英語はわかんない!
それを小焼に伝えたら「日本語で話すように言っておきます」と言ってたから、伝えてくれたんだな、きっと。
で、小焼の母ちゃんーーアンチェさんから直接おれに電話してきた時は、嫌な予感しかしない!
「ナチュー! あなたの日本のアニメのコスプレ写真をコウから貰ったわ! So cute!!! やっぱりナチュはCawaii!」
「あ、ありがとうございます……」
「インスピレーションがわいたから、デザイン案を送ったの。また確認してちょうだい。あと、コウをよろしくね。ママの代わりにいっぱい愛してあげて。でも、セックスのラウンドは控えめにするのよ! バーイ!」
一方的に話されて、一瞬で切られた。
メールを確認する。フリフリゴテゴテのゴスロリだ。また女装かぁ。そりゃ、なちゅは女装モデルだから仕方ねぇだろうけど、おれだって男に見られたい。小焼のように筋骨隆々のパーフェクトボディになれたらなぁ……。おれのワガママボディの頼りなさと言ったら、あーあ……。
って! セックスって言ってたよな!? 話したのか!? そういや、小焼は、おれと付き合ってることを親に報告するとかなんとか言ってたような……。セックスしてるってことも話してんのかな。あー、恥ずかしい! 文化の違いかもしんねぇけど、恥ずかしい! クリスマスにセフレと乱交パーティーするような両親でも、聞かれたら恥ずかしい!
「はーい!」
ドアをノックされたから返事をする。誰が来るんだと思ったら、はるだった。
「邪魔するよ」
「あり? 夏休みじゃねぇの?」
「夏休みさ。ふゆに聞いたら、大学にいるってね。先日のお礼と、今日、誕生日って聞いたから、プレゼントだよ」
「え!? ありがと!」
「気に入らないなら好きにしな。じゃあ、あたいはバイトがあるから」
「おう! またな!」
はるから綺麗にラッピングされたプレゼントボックスを貰った。何が入ってんだろ? リボンをハサミで切って、包装紙を破く。ライターだ!
「やっべー! オイルライターかっこいい!」
100均の使い捨てライターを使ってたから、めちゃくちゃ嬉しい。五芒星が刻まれてて、オシャレだ。火の魔法っぽい!
すっかり忘れてた……。今日、おれの誕生日か。だから母ちゃんに朝から「夕飯何食べたい?」って聞かれたのか。納得。
学生時代に誕生日を友達に祝ってもらえた思い出が無いんだよなぁ。夏休みだもんな。
月日が経つのは早い。小焼と付き合い始めて更に早く感じる。毎日が楽しい。
バイトも夏期講習プリント作んなきゃいけないけど、やりがいがある。お、そうだ。生徒に「今日はおれの誕生日!」って言えば祝ってもらえっかな! そうしよっと!
スマホを見る。おれが一番祝ってもらいたい相手からの連絡は無い。第3プールで泳いでるから、会いに行ったら祝ってもらえっかな。……何年か前に小焼から貰ったのは、いつもタバコを入れてるポーチだ。ボロボロだけど、小焼から貰ったモンだから、まだ使いたい。
さっさと資料まとめて小焼の練習見に行こ!
こういう時に限って、ことごとくミスタイプする。『小焼に会いにいく』って、『ご褒美』を自分で設定しちゃ駄目だった。誤字がすさまじいし、途中でキーボードの入力形式がおかしくなって、急にアルファベットではなく、ひらがなが出たから驚いた。
やっとこさプリントができたから、休憩を兼ねて小焼の練習見に行こ!
第3プールへ向かって歩みを進める。ちらほら学生の姿が見える。何ヶ月か前は「ゲイだ!」とか「ホモだ!」とか後ろ指さされてたけど、今じゃ掌を返したように応援をされる時がある。でも、なんだかバカにしたような笑い顔の人が多いから、同性愛への理解はまだ遠そうだ。
「男同士でセックスするの気持ち悪い」って、ひそひそ言ってるやつもいたけど「他人のセックスについて考えるほうが気持ち悪いですよ」と小焼が怒ってた。殴りそうな勢いだったから止めるのが大変だったなぁ。
思い出を噛み締めつつ、プールへのドアを開く。
キラキラが見える。やっぱり、綺麗だ。
「小焼ー!」
呼びかけたら、こっちに泳いできた。と思ってたら、水飛沫を浴びた。わざと飛沫があがるようにターンしやがった……。びしゃびしゃだ。おれの隣で他の部員がゲラゲラ笑ってた。
「笑うなよー!」
「ごめんごめん。だって、アニメのように見事に、被って、ぷぷっ」
笑いながら話された。小焼なら殴ってるぞ! おれで命拾いしたな!
ちょっとしてから小焼がプールから上がってきた。猫のように首を振って、水抜きをしてる。
「こんにちは」
「おう、こんにちは!」
「何か用ですか? ゼミ室で課題研究してるんでしょう?」
「息抜きに来たんだよ」
そっけない態度でおれの横を通って、彼はベンチに座る。ドリンクを飲んでるだけなのに、首筋がえっちだ。
この感じだと、おれの誕生日は忘れてっかなぁ……。
「そういえば、明日は花火大会ですね」
「あ、そうだっけ。忘れてたや」
「さっき掲示板でポスターを見ました。夏樹はバイトですか?」
「明日のバイトは昼に入ってっから、花火大会前には終わる! 行きたいのか?」
「夏樹は行きたくないんですか?」
これは……行きたいんだよな? 小焼がイベント事に誘ってくんのは珍しい。でも、お祭りだからけっこう人がいるんだよな。それが少し心配。
「おれは小焼となら地獄にでもついていく!」
「地獄には行きたくないです」
「モノの例えだって。本気にすんな」
背中をぺちぺち叩きながら話したら睨まれた。赤い目がぬらっと光る。
「……例え世界が敵になっても私の味方でいてくれますか?」
「もちろん! その前に、世界を敵に回すようなことすんのすげぇな!」
「何をしたら世界を敵に回すのか気になりますね」
小焼の興味が思わぬところでズレちまった。こういうことを言うのは珍しい。いつも「ばか」と言って蔑んだ目で見てくんのに。
「それで、花火大会デートのお誘いしてくれてんのか?」
「ふざけないでください。休憩が終わったので、泳いできます」
「おう。行ってこい!」
逞しい背中を見送る。
とんっ、と軽くスタート台を蹴って、少しの水飛沫で水中を進んでいく。やっぱり綺麗だなぁ。
潜水してる時のドルフィンキックがめちゃくちゃ美しい。見惚れちまうくらいには綺麗なフォームだ。
何分かして、小焼がベンチに戻ってきた。
「お疲れ!」
「まだいたんですか」
「おう。おれは、小焼が楽しそうに泳いでんの見るの好きだからさ」
「私のことが好きなのではなく?」
「えっ!?」
イタズラっぽい笑みに心臓が跳ねた。やばいやばい。動悸がすごい。ドキドキする。そんなの反則だ。笑うだけでも珍しいことなのに、不意打ちでそんなこと言われたらやばい。無理。好き!
「それはそうと、今日、誕生日ですよね?」
「おう! 覚えてたのか?」
「お前がカレンダーに書いたんでしょうが」
「あっ。そういや書いてた」
でっかく花丸つけて『夏樹の誕生日!』って書いたや。忘れてた。
小焼はため息を吐いた。あきれてるぅ!
「後でゼミ室にプレゼント持っていくので待っててください」
「ん。待ってる!」
おれの頭を撫でてから、小焼はまたプールに向かってった。
よし、ゼミ室に戻ろう! プレゼント楽しみだな!
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