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第32話

 部活が休みの時は、バイト先で泳がせてもらっている。最近は奏も泳いでいる。共にスタートしても彼は私の何百倍も遅い。何メートル差をつけられたいんだと思うほどだ。  ストリームラインは春より整ってきていたが、まだ荒い。波紋がやかましい。もう少し静かに泳げないのかと思う。 「小焼くんやっぱり速いねぇ」 「奏が遅いだけです」 「もうー! 小焼くんが速いんだよぉ!」 「私より速いやつはいっぱいいます」  そう、いっぱい。  私は特に一番になりたいわけではない。一番に執着していない。水に飛び込めば、誰もがひとりだ。周りは関係無い。速さも関係無い。ひとりでいられる。水の中で静かに。  ひとりでいい。ひとりがいい。傷つけたくない。迷惑をかけたくない。 「そういえば、伊織くんは来ないの?」 「夏樹もバイトがありますからね。今日は朝から夕方まで入ってるはずです」 「へぇー。そういえば、伊織くんって何のバイトしてるのぉ?」 「塾の講師ですよ。個別指導する時もあれば、集団指導する時もあるそうです。けっこう評判は良いそうですよ」 「伊織くん優しいから教えるの上手そうだねぇ」  優しいことが指導力に関係するかはわからないが、話を台無しにしないように頷いておこう。夏樹が「相槌うっといたら、話す人も悪い気しねぇから!」と教えてくれた。  奏は一方的に話を続けている。デートしたらしい。ホテルで食べたアイスクリームが美味かったと話してくれた。そんなに美味しいアイスクリームなら是非とも賞味したい。ホテルの場所を尋ねたら、割引クーポン券を貰った。ラブホテルだったのか。 「このホテルね、コスプレ衣装もたくさんあるんだよぉ!」 「バニーはありますか?」 「小焼くんバニー服好きなの!?可愛いよねぇ。ボクも好きぃ。夏樹くんなら顔が可愛いからよく似合うと思うよ」 「いえ。私が着ます」 「え?」 「はい?」 「小焼くんのサイズは……無いかなぁ……」 「残念です」  夏樹に着せるしかないか。だが、夏樹に着せても、元からちっちゃくて可愛いしな……。  奏はスマホでホテルのサービスについて説明してくれた。スマホはしっかり防水対策されていた。食品保存用の袋に入れるとは安上がりだが賢い。 「部屋も色んなのがあるんだよぉ。保健室とか体育倉庫とか電車とか夢のようなシチュエーションがいっぱい! アダルト撮影でも有名なホテルなんだぁ」  デジャヴでは無かったか。見たことあると思っていた。  これは、巴乃メイの作品で見た。タイトルは『巴乃メイの強制潮吹き絶頂体験』だったか……。内容を思い出して下半身がやや熱くなった。あの作品は良かった。嫌がる彼女を押さえつけ、無理矢理犯す。何回も見返したものだ。教室で担任に犯されるもの、保健室で男子生徒に輪姦されるもの、体育倉庫で管理作業員に犯されるもの、3本立てで良かった。アンケートの葉書を送ったら、サイン入りのポスターが当選した。何処に貼るか悩んだままだ。  ……なちゅのポスターも作ってやるか。母からセーラーカラーデザインの服が届いたことだし。  そういえば、けいのブロマイドを貰ったんだった。母から服が届いたらしく、IMWの新作を着ていた。やはり、可愛い子に可愛いものを着せると可愛いだけだな。可愛いがゲシュタルト崩壊してしまう。 「伊織くんと行ってみてねぇ」 「機会があれば……」 「小焼くん達は、えっちのお誘いってどうしてるのぉ? ボクらは燃えあがったらしちゃうんだけど……」 「夏樹は私が『よし』と言うまで待ちます」 「すごいねぇ! オトナだぁ!」  何がオトナかさっぱりわからない。  忠犬なちゅ号だから、コマンドに従うだけだ。もし、夏樹が私より大きくて力があったら……無理矢理にでも犯すだろうか。強姦するだろうか。あの性格ならしないか? だが、性欲だけは抑えられないようだし……。  ……無理矢理にでも、求めてみられたい気もする。アダルト動画の「こうされたかったんだろ!?」という煽りの気持ちもわかる。 「伊織くんって、優しいから乱暴なことしなさそうだよねぇ。ゆっくり優しく前戯に時間かけるでしょ?」 「そうですね……。早く欲しいと言っても、まだ慣らしていないから、と……」 「ひゃー! ラブラブだぁー!」 「私はもっと……」  私はもっと、何だ? 今、私は何を言いかけた? 変に気恥ずかしい。体が熱くなってきた。  奏から逃げるようにシャワー室へ向かった。頭を冷やすために、水を被る。夏樹の言っていた「チン冷却」を思い出して、口角が上がる。ばかだ。あいつは、本当にばかだ。  子供達の声が聞こえてくる。そろそろバイトの時間だ。コーチとして仕事をしなければならない。男女共に見てやらないと。  シャワー室からプールサイドへ戻る。奏が手を振っている。夏樹より背は高いが、彼も「可愛い」に分類されるはずだ。ハムスターのようなきゅるきゅる感がある。 「夕顔コーチ! 彼氏さんは元気!?」 「元気ですよ」 「彼氏ってなぁに? 夕顔コーチは男だから、彼女じゃないの?」 「ううん! 夕顔コーチには彼氏がいるんだよ! ぼくのかあちゃんが言ってた!」  ああ……、そういえば、スイミングスクール内の会報誌に私について書いていたんだった。  私に『年上の同性パートナーがいる』というのは、そんなに重要な情報でないと思う。夏樹との関係は昔から噂されていたものだから、現実にそうだったと思われるだけだ。  同性愛者が身近にいるだけで、生徒が減るならそれで良い。だが、性について悩む子が相談に来るきっかけにもなる。……先生はそう言っていた。スイミングスクールという特性上、生徒がいなければ経営できない。先生には恩があるし、私は世間でどう思われようが興味が無い。だが、夏樹は気にするか。夏樹は世間体を気にして、交際していることも隠そうとしたくらいだ。堂々としていれば良いのに。 「やだ、きもちわるい」 「男が男を好きって、きもちわるい」 「おれもそういう目で見られるの? やだ」  誰が子供を相手にするか。  せめて16歳ぐらいになってから言えと思う。あんまり幼いとそそらない。  こういう生徒は近いうちに別のスクールに移動すると思う。そして、噂を聞いて、興味本位で入ってくる生徒もいるはずだ。生徒が増えるなら、先生の特になる。性について悩む子が相談できるスクールなんて前代未聞だ。  無視をして、指導を始めよう。私の仕事は、子供達の泳ぎをコーチングすることだ。恋愛相談会にするつもりはないし、そういうのは夏樹がすべきだと思う。  水を切り、隙間に指を滑らせる。力を抜いて、流すように水に身を預ける。全身を包み込む圧が心地良い。酸素を求める体が、限界の先も求める。駄目だ。私が溺れてはいけない。プールの底を蹴り、浮上した。  上手く泳げない子供達の補助をし、タイムを伸ばしたい子供達のフォームをチェックし、アドバイスをした。この子達はきっとまだ速くなれる。すぐに奏を抜くはずだ。その次は私。そして、世界へーーと上手く話ができるものか。  この中の何人が水泳を続けて、プロのスイマーになるんだか。何も速さを競うものばかりじゃない、球を投げたり、飛び込みの美しさを見たり、ダンスを披露したり、水中でおこなうものは大量にある。  水に触れるきっかけ。水に慣れるきっかけ。その辺りに役立てば良い。泳ぎ方を覚えておけば、いざという時に救助に参加できるかもしれない。奏だって、ヘタクソだが、川での救助に参加した。勇気ある行動だ。彼は褒められるべきだ。私よりも、たくさん。 「コーチ! あのね、わたし、ちーちゃんが好きなの」 「そうですか」 「女の子が女の子を好きになっちゃダメ? ママに『おかしいわよ』って言われたの」 「おかしくないですよ。好きなものは好きなんです。それがたまたま同性だった。もしくは……いえ、なんでもないです。ママとはもう一度話し合ってみてください。わかってくれますよ」 「うん! ありがとー、夕顔コーチ!」  もしくは、手身近に好意的な異性がいなかったから……とは言えないな。あの子は女子校だったはずだ。性の発育過程で周りに男子がいないから、女子に興味が移った可能性もある。しかし、本当に好きかもしれない。わからない。私には、何を言えばわからない。カウンセラーにはなれない。こういうものは、夏樹に任せたほうが良い。……あいつはスイミングスクールに全く関係無いが。  バイト終わりに駅前のリンゴ飴専門店でシナモンのかかったリンゴ飴を買った。色々なフレーバーがあったので、次はココアにでもしたい。  見た目はシナモンがコーティングされているので、すりガラスのような質感だ。光の加減でキラキラ輝く赤いリンゴが綺麗だ。早速齧り付く。途端にパリッと良い音が鳴る。薄くコーティングされた飴はパリパリしており、リンゴ自体はシャキシャキ感の強いものだったが、甘味が強く感じられた。さすがにリンゴ飴の専門店だけあって、リンゴにはこだわっているようだ。上品なシナモンの香りが鼻を抜けていく。良い買い物をした。リピートしよう。  さて、せっかくだから夏樹に会いに行くか。

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