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閑話休題(キスの日なので。)

 来宮吉野は三島律にキスができない。付き合って三年で、これは異常事態なんじゃないかと思っている。そもそも吉野がねだれば律からキスをしてくれてしまうから、機会を逸してしまっている可能性もあると、吉野は八つ当たりのような考察をしてしまう。 「吉野くん、吉野くん」  律が名前を呼んでくる。顔を向けると、遊んで欲しそうな犬の顔をしている。「キスしたい」の顔だ。それに吉野はひとつひとつ答えていく。 「今、ごはん食べてるから」 「今、食器洗ってるから」 「お風呂入るから」  全部「NO」だ。一度「ゴーホーム」と言ったら「ここが家だからね」と笑われたので、以降「ステイ」と呼んでいる。吉野の心の準備ができていないので、待ってという意味なのだけれど、多分律はそれをきちんと汲んでくれている。吉野が「せんせぇ」と呼ぶまで、にこにこと待っている。  それはそれで、吉野の良心が痛むところがある。たまには無理矢理しても怒らないのに、と無茶な欲求が顔をもたげるけれど、吉野がそれを律に言ったことはない。 「むぅぅ」  湯舟に浸かって、今日こそは、と思う。今日こそは、律にキスをする。  それからあと数時間で今日が終わることを思い出して、やっぱり明日かな、と思い直す。  ドライヤーできちんと髪を乾かしてからリビングに戻ると、律は借りてきたドラマを観ていた。 「あれ? 髪乾かしてきちゃったの?」  テレビから顔を離して、律が尋ねてくる。何かいけなかっただろうか。「だめ?」 「だめじゃないけど。僕が乾かしてあげたかったな、って」  律は気紛れに吉野の髪を乾かしてくれるし、吉野もやる。ふわ、と律の髪から同じシャンプーのにおいがするのに、照れてしまう。  冷蔵庫からパックの麦茶を取り出して、コップに注ぐ。それを持って、リビングでクッションを抱えている律の隣に、ぴったりとくっついって座った。 「吉野くん?」  小さく首を傾げる律は、多分吉野の気持ちを読んでいる。それでも吉野が言葉にするまでは待つつもりらしい。吉野は渇いてくる口の中を、麦茶で潤す。 「せんせぇ、キスして」  言い終わると同時に、吉野の手からコップが抜き取られる。次いでかけていた眼鏡も外される。 「吉野くん、眼鏡外すと雰囲気変わるよね」  よく律に、ネコ科の動物のようだ、と言われる。 「せんせぇは、どっちが好き?」  律の目を見て尋ねる。「どっちも」と答えが返ってきて、一緒に唇にキスされる。ちゅ、と音がした気がした。唇の境目が律の舌先で舐められる。「口開けて」の合図だ。大人しく従うと、熱くてぬるりとしたものが入り込んできて、緊張で吉野の舌が強張ってしまう。  くすくすと笑って、律が顔を離した。眼鏡もかけてもらった。 「吉野くん、可愛い」  頭も撫でられる。それらすべてが律が吉野をまだ子供扱いしているようで、吉野は俯いて下唇を噛んだ。  寝室の明かりが消されて、大分時間が経った。隣で規則正しい律の寝息が聞こえる。そちらの方を向くと、思いの外近い位置に律の顔があった。吉野はどきりとしつつも、睫毛まで数えられそうだ、と思う。 「せんせぇ?」  試しに呼んでみるけれど、返事はない。吉野はそれを確認して、深呼吸をする。これは練習だから、と自分自身に言い聞かせるけれど、心臓がばくばくと煩い。  吉野は眠る律の唇にそっと唇を寄せていく。律の呼吸が頬にあたる。触れるかどうかの距離が、吉野の限界だった。 「……やっぱ、だめ」  来宮吉野は三島律を好き過ぎる。

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