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第15話

 もう一度ショーケースの前に立つと、今度は何度も往復して、ドーナツを厳選して六個にまで絞った。余れば明日の朝ごはんにすればいいだろう。会計をして、ドーナツの入った箱を入れたビニール袋を提げて店を出る。 「来宮っ」  慌てて追いかけてきた由比が、背後で吉野を呼ぶ。それに振り返って、「ごめん」のジェスチャーをしてみせた。駅までの足取りは軽く、電車を待っている間、プラットホームで律に「ドーナツ買った」のメッセージを送る。それはすぐに既読がついて、このスマートフォンの向こう側には律がいるのだ、と実感する。  電車に揺られている間はすぐだった。二駅で最寄り駅に着く。箱が斜めにならないように慎重にビニール袋を提げる。  大勢の人たちと一緒に駅の改札を潜って出ると、そこには律がいた。一度、吉野の心臓が大きく跳ねた。「なんで」と独り言が漏れる。  ネクタイこそ締めていないけれど、ワイシャツにジャケットを羽織っている。朝見送った通りの恰好だ。それでも部屋で見るのと、外で見るのとでは全然違う。ちゃんと社会人の恰好だった。恰好いいなあ、と思うと同時に吉野が幼く見える気がした。 「せんせぇ、なんで?」  吉野は律の元に駆け寄る。律は「おかえり、吉野くん」と言ってくれた。ここは外だから、ハグも頭を撫でられることもない。なんだか物足りないのと、新鮮な気持ちだった。そういえば律が駅に迎えに来てくれたのは、はじめてだ。 「ん。買い物行こうと思ったら、吉野くんから連絡があったから」  つまり待っててくれたのか。「一言言ってくれればいいのに」吉野がごちる。 「だって、内緒の方が、吉野くん、吃驚するでしょ?」  吃驚したけれども。すぐに吉野が来なかったら、どうするつもりだったのだ。  歩きはじめた律の隣を並んで歩く。 「せんせぇ、僕がすぐ来るとは限らないでしょ?」 「んー、吉野くんはすぐ来る気がしたんだよ」 「そんな、勘の話をされても……」  スーパーまでの道中はそんな話をしていた。スーパーでは律がカゴを持って移動するから、吉野はそのあとにくっついて歩いているだけだ。 「あぁ、また牛乳入れるの」  背後から牛乳のパックをカゴに入れる律に文句を言う。 「吉野くん、もうちょっと背が伸びるんじゃないの?」  律の言葉に、四月に行った健康診断を思い出した。律まであと六センチくらいある。その律から言われると、何も言い返せない。代わりに「お酒、入れ過ぎです」と、律がカゴに入れたロング缶を二本回収した。  そんなことをやりながら、会計を済ませ、家路につく。何だかんだと買い込み両手が塞がっている律に代わって、吉野がエレベーターのボタンを押し、部屋の鍵を開けた。 「はい、せんせぇ、どうぞ」  律を先に通す。スニーカーが三足並べばいっぱいになってしまう玄関なので、ひとりずつしか靴が脱げない。律が短い廊下に買ったものの詰まったビニール袋を置いて、スニーカーを脱ぐ。ぺた、と廊下に足を着いたのを確認して、吉野も玄関に入る。後ろ手に扉を閉めると、律が振り返って手を伸ばして、かちり、と鍵をかけた。 「せんせぇ?」  背後は鍵のかかった玄関扉、正面にはまじかに律がいる。そんなに至近距離で見られると、顔が熱くなる。 「吉野くん、充電ー」  ふざけたふうを装って、律は吉野に抱きついてきた。ぎゅっと抱きしめられて、律の体温と柔軟剤のにおいとシャンプーのにおいが混じったものに包まれる。どきどきするけれど、これは心地よい。しばらくされるがままになっている。  そう思っていたら、律の手が伸びてきて、吉野の眼鏡を外してしまう。え、と戸惑っている間に律の顔が近付いてきて、ぽかんとしている間に、吉野の唇に律の唇が触れた。

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