何の脈絡もなく突然吉野が「セックス、しよ？」と言った所為で、律は盛大に噎せた。カフェオレで流し込もうとして、温度にもう一度噎せる。齧りかけのドーナツを一先ずカフェオレと一緒にローテーブルに置いて、律はウェットティッシュで指先を拭いた。 「吉野くん？」 　そのままずりずりと吉野の隣まで座ったまま這ってきて、吉野の様子を窺ってくる。反射的に吉野は顔を伏せてしまった。今さら恥ずかしい。 「吉野くん？」 　律がそっと吉野の髪へ手を伸ばしてきて、吉野が避けないのを確認すると、するすると髪を梳いてくれる。律は優しい。吉野が嫌がることはひとつもしない。だから本来不満なんてないのだ。ないのだけれど、 「せんせぇもたまには『悪い大人』になって下さい」 　俯いたままぷくぅとむくれて、無理難題を言う。強引に暴かれて、律のものだと証明して欲しい。 「ふぅん？」 　吉野の内心を知ってか知らずか、律が面白そうな声を上げた。そして吉野の手からドーナツとマグカップを取り上げてしまう。両方ともローテーブルに置くと、律は小さくなっている吉野の肩を押して、ラグを敷いた床に押し倒してしまう。床から見上げる薄っすらと笑う律の顔は、吉野の知らない顔をしている。 　そんな律は知らない。かたくなったからだの両腕を掴まれて、からだを開かれる。腕はそのまま頭上でひとつにまとめられた。空いた律の右手が吉野のTシャツの裾を捲った。 　薄い腹を律の大きな手のひらが撫でる。その手のひらが段々と上へ上がってくる。緊張と知らない律だという恐怖感でかたまったままの吉野は、律のされるがままになっている。律が吉野のあばらに沿って指で撫でていく。じりじりと吉野を撫で上げていく律の手を、怖いと思ってしまった。 「せんせぇ」 　蚊の鳴くような声で律を呼ぶけれど、律はそれを無視する。手のひらは胸を這っていて、突起を摘ままれて指の腹で捏ねられる。 「あ、勃った。吉野くん、感度いいね」 　そんなことを言われても、全然嬉しくない。こんな律は知らない。離して欲しい。怖い。暴かれたいとは思ったけれど、その相手はこの律じゃない。 「せんせぇ、やだ」 　かたくなったからだから、声を絞り出した。気持ちは泣きたかったし、目尻には涙が浮かんでいる。果たして律は手を止めてくれるだろうか。そんな気配なんてしなところが怖い。 「せんせぇ」 　もう一度律を呼ぶ。もうほとんど泣き声だ。自分から提案しておいて、これは情けない。 　吉野が律を呼ぶと、律の手はぴたりと止まった。吉野を拘束していた左手からも解放された。右手は乱れたTシャツを直しにかかっていた。 「せんせぇ？」 　吉野は律に抱えて起き上がらせられた。ノンフレームの眼鏡を外され、目尻に浮いた涙を拭われる。まだ事情がわかっていない吉野は目を白黒させる。 「怖かったでしょ？　もう、軽々しくそういうことは言わないこと」 　律に苦言を呈された。それよりも律の表情がいつものものに戻っていて、吉野は安堵した。 「せんせぇの意地悪」 　こんなことをして吉野を試すなんて、性格が悪い。もう一度吉野はむくれた。