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第8話

 今度は自然と抱き寄せていた。すると予期していたように、たおやかな躰は腕の中にすっぽりと収まった。  肉食系の獣人には共通の特徴がある。うなじから尾骶骨にかけて、ひと筋の飾り毛が生えていて、気圧の変化などに敏感なその毛が、ざあっと逆立った。  豹の耳までまっすぐ立つ。遺伝子に組み込まれた獣人以前の豹の記憶が甦って、警告を発しているようだ。罠だ近づくな、泉の水には毒が含まれている──。  では、今は何に対して警鐘を鳴らした? ヴォルフは躰を固くした。喉元でヒトの香りが色濃く立ちのぼると突然、ここ、首都ウェルシュクでいっとう高い塔のてっぺんから転げ落ちるという内容の幻覚が、現実の光景と二重写しになった。  何か──人生の大きな転換期を迎えた、という未来を暗示しているように。  ふた組の靴音が街路にこだまし、近衛兵が今にも塀の端から現れそうだ。誰何(すいか)されて、俺は第八王子ことヴォルフ・リュダール=ラヴィアだ、と名乗る羽目に陥るのは御免こうむる。  逃げるぞ、と輝夜を急き立て、それでいて両足が石畳に縫い留められているうちに、するりと背中に腕が回された。  脊梁に沿って掌が這う。筋肉のつき具合を測るように円を描く。  いちだんと飾り毛がざわついた。思わず輝夜を()め返すと、仮面がひび割れたさまを思わせて顔つきが一変した。  若竹のごとく(すが)かな印象が薄れて、妖艶なものがくゆりたつ。朱唇の結び目がほころんで舌が覗く。獲物の体温を感知する蛇の舌さながら、ちろちろと閃く。  皮膚が粟立ち、だが、嫌悪感をもよおしたがゆえとは一概に言い切れない。別の要素をはらんでいるようで、ヴォルフはかえってうろたえた。身をもぎ離しざま飛びのき、さらに楠をするすると登った。  鼓動が速い、全身が火照る。ヒトと密着した場合、体質によっては拒絶反応を示すなんてことがあるのか?  そうこうしているうちに、近衛兵は見回りをそっちのけで言い争いをはじめた。輝夜が機に乗じて駆けだし、黒衣が翻った。 「待てよ、夜道は物騒だ、家まで送ってく」 「ひとりで帰れるよ。今夜は会えてよかった」 「改めて、ゆっくり兄貴の思い出話がしたい。近いうちに、またな」    ほの白い顔が一瞬、こちらを向いた。遠ざかりゆく後ろ姿は、幻じみて儚い。

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