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第2章 弓張り月

    第2章 弓張り月  ハネイム王国の首都ウェルシュクは、天然の要塞という面を持つ。潮の流れが複雑な内海に面して街が拓けて、背後に山陵が控える。  平地は少ない。ゆるやかな、あるいは急な斜面に沿って家が建ち並び、真っ白な漆喰壁が、空の青と海の(あお)に鮮やかに映える。宝石の都と謳われる所以の美景だ。  一歩路地に入ると、建物から建物へと張り渡されたロープで洗濯物がはためく。鎧戸を開けたとたん喧騒が押し寄せてきて、 「朝っぱらから飲んだくれて甲斐性なし!」 「バァロゥ、仕事前の景気づけだい!」  この手の夫婦喧嘩が隣人からやんやの喝采を浴びるのは日常茶飯事だ。  鍋や釜を手押し車に積んだ鋳掛屋(いかけや)が通りかかると、グレートデン系のおかみさんが早速呼び止めて、鋳掛屋はブリキのバケツの底に空いた穴をちょいちょいとふさぐ。尻尾を海老の形に刈り込んだ狼族の男が、天秤棒を担いで魚を売り歩く。  豹族の工夫が、つるはしを振るって傷んだ石畳を剝がし、あちらでは獅子族の娘たちがぺちゃくちゃと(かしま)しい。辻馬車とロバが曳く荷車が行き交い、開通したばかりの路面電車が追い越していく。  猥雑で、そのぶん活気に満ちあふれている。それが下町風景だ。  ヴォルフは紐で束ねた髪の毛──問屋から仕入れたものを、雨に濡れてもにじまない染料に浸した。絞って、干して、乾かしている間に、昨日のうちに染めの工程を終えた髪の毛を竿にかけた。  大鍋が煮え立ったところで、先ほどの竿を(かまど)の上に取りつけた鉤に引っかけた。髪の毛に蒸気をたっぷり当てて、しんなりしてから丹念に(くしけず)る。艶が出たものに香油をすり込んで、なおも梳る。  この工程を数回にわたって繰り返し、ようやく材料がそろう。 「よおし、やるかあ」  腕まくりをした。作業台に向かい、ピンセットと、海綿を押し固めてこしらえた土台を手に取る。この土台に、適切な色に染めた髪の毛を一本、一本植えつけていくのだ。創造力と根気を要する作業で、最後に髪の毛を切りそろえて完成といくまで三日はかかる。  ヴォルフは受注生産方式の〝つけ耳屋〟を営んでいる。  狼族の娘がウサギの耳を(かたど)ったものをつけたのが「可愛い」と話題をさらってからこっち、既成品が出回った時期もあったが、やはり一点ものには及ばない。

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