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第3章 おぼろ月

    第3章 おぼろ月  お伽噺をしてあげよう、昔、むかあし……。  それは、かつてジョイスが、ヴォルフを空想の世界へいざなうさいの決まり文句だった。徒党を組んで挑発してくる第一から第六までの王子たちと年がら年中やり合っていた少年期のヴォルフにとって、史実と幻想譚ない交ぜの物語は心の糧に等しかった。  ジョイス曰く、聖堂の地下には隠し扉があって、その扉を通り抜けた先には過去と現在を自由に行き来できる仕組みの昇降機があるんだ、すごいだろう!   昔、むかあし、ヒトがたくさんいた時代にはビルと呼ばれる天を衝くような建物がそこいらじゅうに建っていて、中は仕事場だったり、宿屋だったり、劇場だったりした。それから馬が牽くんじゃなしに機械の力で動く乗り物や、地の果てまでひとっ飛びの乗り物が空を行き交うんだ──。  ある夏の明け方、ヴォルフは追想を切符に夢の通い路をたどっていた。  行くぞ、とジョイスが錨をあげると、合点だ、とヴォルフは舵を切る。なぜか輝夜も加わり、三人は海底に沈んだ大陸を探しに船出するというハチャメチャな展開で、寝顔はともすると泣き笑いにほころぶ。  幸せな夢は、表の扉を乱打する音に破られた。おまけに、ざわめきが潮騒さながら高くなり低くなりして頭に響く。寝ぼけ(まなこ)をこすると、鎧戸の隙間から射し込む陽光はまだ弱々しい。豹の耳を寝かせて上掛けをひっかぶった。  茶房を訪ねた折に大人げない態度をとったことが恥ずかしくて、自分を罰する意味でも仕事漬けの毎日を送っている。昨夜来、つけ耳の土台となる海綿を五十余りも押し固め、指の感覚がなくなったのを潮に寝台に入ったのは、天空が消し炭色から濃紺へと染まりゆくころだ。 「つけ耳屋さん、おおい、いるんだろう」  扉が、いっそう激しく連打された。居留守を使いたいのは山々だが、下手をすれば鍵を壊して押し入ってきそうな切迫した空気がみなぎっている。ヴォルフは大きな欠伸をすると、しぶしぶ寝台から這い出した。  ベルト通しの下の専用の穴に尻尾をくぐらせてジーンズを穿く間も扉がつづけざまに打ち叩かれるありさまで、朝っぱらから一体全体なにごとだ?  応対に出て呆気にとられた。種族の別を問わず群衆が工房を取り巻き、さらには行列ができて、最後尾は通りの端に達してなお延びる。

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