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第25話

 どの種族に属しているかにかかわらず、獣の耳を失うということはアイデンティティが崩壊するということだ。必死になってつけ耳を求めるのも、防衛本能に根差してのことだ。  仮に先ほどの十重二十重(とえはたえ)に工房が囲まれている場面で、 「俺らの耳が変になっちまったのは、つけ耳屋の陰謀だ。荒稼ぎしようと目論んで、何かあくどい手を使いやがったに決まってる」  煽動するやつがいれば、ヴォルフは今ごろ袋叩きにされていたかもしれない。それが冗談ではすまされないほど、物騒な空気が充満していた。 「なあ、ハネイムで名医がそろってるっていえば王立病院だ。あいつらが新手の病気の原因はで、治療法はって言や、騒ぎは収まるよな」 「だよねえ、イチコロさ」  希望的観測でなければいいが、とは二人とも口にしなかった。潮風が豹の尻尾と鹿の尻尾を優しくそよがせる。カモメの群れが陽気に鳴き交わし、街の喧騒は遠い。  お互い黙りこくって、流れる雲をぼんやり眺めていると、 「そうだ、電報を届けにきたんだった」  ソーンはたすき掛けにした鞄をまさぐった。  首都ウェルシュクにおける電話の普及率は千回線足らず。郵便局が電話局を兼ねていて、それで賄える。電話を引いていない家の者が電報を打つ場合は、最寄りの郵便局に出向いて所定の用紙に電文を記入する、という手順を踏む。それを受けて配達員が、電報を収めた筒を即座に先方へ届ける仕組みだ。  ヴォルフは筒を受け取って蓋を開けた。電報を取り出したとたん心臓が大きく跳ねて、押し戻す。差出人の欄に〝テルヤ〟とあるのが目を射たのだ。  のけ反り、橋杭に後ろ頭をぶつけた。たかが電報におたついて、おまえはいつから臆病者になり下がった。そう自分を叱り飛ばしても、筒を摑みなおす手つきは壊れ物を扱うようにぎこちない。  輝夜は一体、なんと言ってよこした……?  尻尾をひと撫でしてから改めて蓋を開けた。筒状に丸まった薄紙を広げかけて生唾を呑み込む。なぜ、電報を打つなんて回りくどい真似をした、用事があるなら俺の家を直接訪ねてくればよかったじゃないか、思わせぶりなやり方が癪にさわる、ならば読まずに破り捨てるか……。  ぽつり、と瞼の裏に浮かぶものがあった。闇を宿しているように黒々として、それでいて(さや)かな月の光のごとく澄んだ瞳。  輝夜を印象づける、あの瞳を覗き込んだ瞬間の、産毛という産毛が逆立つ感覚が甦った。

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