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第40話

 顔見知りの似顔絵描きが、鳩にパンくずを撒いて退屈をまぎらせている。ヴォルフは瓶入りの麦酒を差し入れがてら話しかけた。 「よお、今日はえらく、がらんとしてるな」 「例のケッタイな病気のせいさね。ありゃあクシャミで伝染(うつ)る、うんにゃ耳と耳がくっつくと伝染るとかって好き勝手なことをほざいてよ。だもんで臆病者は混雑する場所は寄りつきゃあせん。おかげで、こちとらおまんまの食いあげさね」 「そのうちツキが回ってくるって。これでも飲んで元気出しな、おっちゃん」  と、瓶を渡すついでに丸まった背中をぽんぽんと叩いた。そのさい無意識のうちに鹿の耳に一瞥をくれて、異常のあるなしを確認したあたり、 「俺は偽善者だ、反吐が出る……」 「ありがとよ、って何か言いなすったかね」  ヴォルフはかぶりを振り、ひとしきり愚痴を聞いてから広場を離れた。特需と言えば語弊があるが、ヴォルフ自身は明けても暮れてもつけ耳作りに追われて、下働きの小僧っ子を雇ったほど忙しい。  だからといって罪悪感を覚えるのは、優越感を抱くことの裏返しのようでもやもやする。ともあれ耳欠け病が市民生活に波紋を及ぼしはじめていることは間違いない。  異母兄たちとの一幕も相まってクサクサしっぱなしだ。足が独りでに茶房へ向いた。たまたま前を通りかかった、という口実をひねり出し、なのに輝夜はちょうど出かけるところだ。入れ違いになるのを免れて内心喜び、そのくせツケツケと詰ってしまう。 「店をほっぽり出して、どこに行くんだ」 「在庫が尽きたものがあってね、西の森へ薬草狩りに」  なるほど籠を背負い、ニッカポッカと地下足袋で足ごしらえをして勇ましい。 「近ごろ運動不足だしなあ、今日は暇だしなあ。仕方ねえ、つき合ってやるか」    などと聞こえよがしに独りごち、断られる前に歩き出した。  亡きジョイスは、史跡から発見された飛行艇の設計図を研究材料に、当艇の開発および建造に携わる技師集団を率いていた。同様に電気というものの原理を解き明かした技師の働きかけにより、先ごろ路面電車が開通した。  停車場に行くと、郊外行がひと足違いで発車した。ヴォルフは咄嗟に輝夜を抱きあげて、軌道をひとっ跳びにデッキに飛び乗った。 「子どもが面白がって真似するでしょうが。度胸試しは、よそでやってください」  車掌が狼の尻尾を振り立ててガミガミ言う。ヴォルフはしおらしげに畏まってみせながらも、床に下ろした輝夜に向かって舌をぺろりと出した。小さな笑い声がそれに応えると、豹の耳がピンと立つ。

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