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第59話

「特殊な市場で、おれは、おれの容姿に商品価値があることを知らされた」  商品価値、と鸚鵡返(おうむがえ)しに呟いた。具体的な説明はなされないまま、聞こえよがしなため息が葉ずれに溶け入った。 「誰かさんがサカってくれたおかげで予定がすっかり狂った。早く帰って薬草を干すなりしないと、せっかく採ったのが台無しだ」 「俺のせいにするのか、ずっこいぞ」  尻尾の先で、軽く背中をはたいて返した。おどけた仕種に反して、商品価値という、その禍々しい響きに顔が曇る。以前、郵便屋のソーンが、確実な情報と力説した話が、鮮やかに耳の奥に甦った。    ──ヒトで、とびきり綺麗なのは二重の不幸さ……。    ──奴隷市でスケベじじいが競り落として、さんざんオモチャにして……。    ヴォルフは頬をかすめた木の葉をちぎった。信憑性があろうがなかろうが噂は所詮、噂にすぎない。鵜呑みにするやつは相当なお人好しだ。  仮に競り落とされた経験があるのか、と冗談めかして本人を問いただして、一笑に付されるならまだしも、絶交を言い渡されたら困る。  肩越しに振り返る。幽闇(ゆうあん)にほの白く浮かびあがる顔は妙にのっぺりして見えて、どんな想いが胸中を去来しているのか、まったく読み取れない。ただ鎖をたぐり寄せて指環を撫でるあたり、ジョイスを愛し、彼に愛された思い出にひたっているのだと察しがついた。  ある意味、こき使われたペニスがひりついて舌打ちした。さんざん俺の上になり、下になって悶え狂っておきながら今さら貞淑ぶるなど、ちゃんちゃらおかしい。  一方で、こう思う。極端な言い方をすればジョイスは勝ち逃げした。歳月を重ねるにつれて記憶は美しく改竄(かいざん)されていき、輝夜の中で輝きを放ちつづけるのだから。  二十四年間の人生において初めて味わう類いの感情が(しこ)りと化して、もやもやする。ヴォルフは助走をつけて小川に飛び込むと、尻尾で水をひと掬い、輝夜めがけて跳ねあげた。 「冷たっ……!」 「汗、かいたからな。さっぱりするだろ」  第二弾をおみまいすると見せかけておいて前かがみになり、ざぶざぶと顔を洗う。頭を悩ますのは苦手だ。〝商品価値〟云々についても詳細は当面、謎のままでいい。良好な関係を保っておけば輝夜の中におけるジョイスの順位には遠く及ばなくても、打ち明け話をしてくれる程度には信頼を勝ち得るのかもしれないのだから。  岸にあがり、はぐれないための用心と称して手をつないだ。宵の風が黒髪をそよがせ、鼻孔を甘くくすぐってくると、柄にもなく胸が締めつけられた。発光体を有する地衣類が、道しるべのようにぼうっと光る。  ヴォルフは、ひと回り小さな手を握りなおした。森に入る前と出ていくときでは世界がまるっきり違って見えて、照れ臭さを感じながら、輝夜とふたり家路をたどった。

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