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第6章 月の氷

    第6章 月の氷  首都ウェルシュクの歓楽街? それならポプラ通りに行きな。誰もが口をそろえて言うそこでは、夜な夜などんちゃん騒ぎが繰り広げられる。  しかし様子が一変した。ここ最近、夜の(とばり)が下りても鎧戸を締め切ったままの酒場を多々見かけるようになった。  ここ最近──耳欠け病が猖獗(しょうけつ)を極めるにつれて、夜遊びを控える獣人が増えたせいだ。一部のヒトが(はかりごと)を巡らせて、混雑する場所に耳欠け病の菌をまき散らして回っている、という噂が独り歩きをはじめた結果だ。  他方、耳欠け病恐るるに足りず、と飲み歩く獣人もけっこうな数いる。二極化が進むなか、後者の獣人にとって商いをつづける酒場は今や金貨並みに貴重だ。  雨催(あまもよ)いの夜、ヴォルフはポプラ通りへと向かった。老舗の酒場に入り、カウンターに直行すると、代金と引き換えに林檎酒のグラスを受け取った。 「ヤッホー、こっち、こっち」  ソーンが、鹿の耳をぷるぷるさせながら手を振ってよこす。いっとう奥まった円卓を確保していて、ただし、そこへ至る道筋は酔客でごった返している。  地上と樹上の間をするすると行き来する豹そのまま、ヴォルフは軽やかな身のこなしで人混みをすり抜けた。この酒場は立ち飲み形式だ。造りつけの円卓に肘をつき、乾杯、とグラスを掲げ合った。 「飲もう、飲もう、じゃんじゃん飲もう。にしてもヴォルフから誘ってくるの珍しいね、仕事の虫なのにさ」 「俺がこの半月で、つけ耳を何個納品したと思う。二十個だぞ、二十個。ふた月分の仕事量を突貫でこなしたんだ、たまには息抜きしてもバチは当たらない」    そう、ぼやいて胼胝(たこ)ができた掌を卓上ランプに翳した。林檎酒をひと口すすって、なるべくさらりと告げる。 「実は……もうひとり来る予定だ」 「へえ、誰さ。おいらが知ってるやつ?」 「来てのお楽しみだ」  扉が開閉するのにともなって、店内に立ち込める紫煙が棚引く。ヴォルフはそのたびさりげなく扉を見やっては、がっかりしてソーンに向き直ることを繰り返した。もとより約束を取りつけたといっても一方的なものだ。すっぽかされた可能性が高いと、あきらめかけたころ輝夜がようやく現れた。温気(うんき)が澱んでいるというのにマントをまとい、フードを目深にかぶって、葡萄酒のグラスを持った手には包帯を巻いていた。  ソーンが、ぽかんと口をあけた。  そういや、こいつは輝夜を指して、すこぶるつきの美形云々と浮かれた科白を吐いていたクチだっけ。ヴォルフは、なぜだか面白くない気分で林檎酒を呷った。

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