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第63話

 努めて落ち着き払った手つきでマッチをすりなおすと、脱ぎ捨てられた靴を輝夜の足下へ蹴りやった。性悪め、衆人環視の中でちょっかいを出してきて、俺があたふたする様子を肴にする気なのか。  じろりと輝夜を睨み返した。視界を狭めるふうに彼に対して半身(はんみ)になっても、フードの陰から覗く蠱惑的な微笑を目の端で捉えると、たちまち下腹(したばら)がざわめく。玲瓏と鼓膜を震わせる、よがり声が聞きたい。焦がれるように欲し、せかせかと煙草を吹かしていると気安げに肩を叩かれた。 「これはこれはお懐かしや、末の王子さま。俺ぁ、以前は王宮づきの馬丁でやしてね。その昔、お言葉ってのを賜ったもんでさあ」    狼族の男はことさら(うやうや)しげにお辞儀をしてみせると、ヴォルフと輝夜の間に割り込んだ。そして呂律が回っていない口調で、ねちねちとからんできた。 「なあ、よお、待てど暮らせど御触れが出ねえけんど、王さまは耳欠け病の対策をちゃあんと考えてくれなさるのかね。ウンともスンともじゃ、わしら商売あがったりよ」 「俺は王室を離れた身だ、失せろ」 「おお、おっかねえ……綺麗なあんちゃんだなあ、とっくりツラを拝ませとくれ」    と、言いざま、男はマントを剝ぎ取った。助平ったらしい視線を輝夜にそそぐとともに鼻をひくひくさせるにつれて酔顔(すいがん)が引きつっていき、あわあわと後ずさった。 「尻尾がない、匂いが違う、ヒトだ……!」  やかましい店内が、瞬時に静まり返った。それもつかの間、狂乱状態に陥った。  ヒト、ヒトだって、さる高名な呪術師曰く「耳欠け病の元凶」のヒトが、ちゃっかりまぎれ込んでいる? 歩く爆弾に等しいやつが? 目的はなんだ、俺たちのたまり場を汚染しにきたに決まっている。なぜって? 美しい毛で覆われた獣人の耳と違って、ヒトの耳は肌がむき出しでみすぼらしい。絶滅寸前の劣等種は獣人を妬んだあげく、卑怯にも無差別攻撃を仕かけてきたんだ!  人垣が割れて、円卓を中心にぽっかりと空間が出現した。  迂闊だった、とヴォルフは舌打ちをした。世情を鑑みれば輝夜を人目につく場所へ誘い出すのが危険なことくらい、子どもでもわかったはずだ。  理解できないこと、特に不幸な出来事は、みなにしたいのだ。その点、少数派のヒトはスケープゴートにするのにうってつけ、というのが獣人の共通認識なのだ。  猜疑心や不安といった負の感情を養分にしてヒトへの敵意がぶくぶくと膨らんでいるあたり、最初のうちはでっちあげにすぎなかった説に血肉(ちにく)(そな)わってしまった。

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