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第65話
王子に狼藉を働いたと知れたら、よくて鞭打ちの刑、下手をすれば縛り首だ。ハネイム王国の掟が一応の抑止力となって、輝夜ともども私刑を加えるのはためらわれるものがある様子だが、きっかけひとつでどう転ぶかわからない。現に一秒刻みに殺気立つにつれて、拳を固める者が増えていく。
と、人垣の外側で鹿の耳がひょこひょこと上下した。
ヴォルフは、さりげなくそちらへ視線を流してにやりと嗤った。ソーンが瓶を逆さまに持って何かの液体を床に撒いている。
あれは食用油だろうか。俺と輝夜が強行突破を図れば、連中はすかさず立ちふさがるに違いない。押し合いへし合いしているうちに、足をすべらせたやつが他のやつを巻き添えにしてすっ転んだら、混乱に乗じて逃げおおせるという寸法だ。
ソーンがうなずきかけてきて、目配せを交わした。扉まで十歩……いや、八歩でいける。
走れ! 輝夜にそう囁きかけるなり、彼をなかば抱きかかえて駆けだした。真っ先に摑みかかってきた豹族の男に体当たりをかまし、ふらついたところを突きのけると、ソーン様さまだ。何人かを道づれに、すってんころりといった。
「うわっ、なんだ。やけに滑りやがる」
あちらで蹈鞴 を踏み、こちらで尻餅をつく。おかげで狭いが道が開けた。
ヴォルフはなおも立ちはだかる髭面の男に頭突きを食らわせると、反転しざま別の男に回し蹴りをみまって退けた。だが輝夜をかばいながら応戦しているぶん、どうしても劣勢に立たされがちだ。一発殴る間に三発食らう。
「あの男は……」
輝夜が右手から向かってくる男を指さした。
「おれに任せて。ひとりくらいやっつける」
「あんたが手を出せば、こいつら、よけい逆上する。足手まといになるな!」
「……足手まとい。事実だけど、ひどいね」
「だと思うなら、言うことをきけ」
輝夜を扉のほうへ押しやるそばから、彼の背後に壁を築く形に両腕を広げた。拳の嵐を搔いくぐって蹴りを放ち、中身の空き瓶ごと木箱を天井めがけて投げつける。ガラスの破片が驟雨 のごとく降りかかり、両側から突進してきた数人が飛びのいた。その間にソーンが扉を開け放ったのを見定めて、輝夜をゆだねた。
「すぐ追いつく、行け!」
「あいよ! テルさん、ヨーイドンっ!」
日々、街じゅうに郵便物を配達して回っているソーンは抜け道に滅法くわしい。必ずや彼は、輝夜を安全地帯へと案内してくれる。
マントをはためかせ、あるいは丸っこい尻尾をぷるぷるさせて、ふたつの後ろ姿が小路の一本にまぎれゆく。建物群が通りの両脇にそびえる一帯は中庭を共有し、また違法に増築された外階段から外階段へと橋が架けられて、地元民以外にとっては迷路そのものだ。
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