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第67話

 劇場側でナイフが一閃した。飛びすさったところに豹族の男が腕を広げて待ちかまえていて、すかさず羽交い締めにされた。  猛然ともがくのを尻目に、正面に位置どったリーダー格の男がナイフの峰を頬にあてがってきた。  三対一では、もとより分が悪い。背後の男に全体重をかけていきながら、爪先が浮くまでわざと反り返った。弓に矢をつがえる場面を思い描いてのことだ。そしてブランコを漕ぐ要領で、且つ反動をつけてリーダー格の男の股間を蹴りあげた。  と同時に頭を後ろ向きに勢いよく倒す。鈍い音につづいて呻き声がくぐもった。鼻柱がひしゃげた感触が伝わってきて、拘束する力がゆるむが早いか、首を締めあげてくる腕を振りほどきにかかる。ところが、横合いから鳩尾に握り拳がめり込んだ。 「ぐ……っ!」  躰がくの字に曲がった。酸っぱいものが喉元にこみあげて、吐き気をやり過ごしている隙に、再び羽交い締めに動きを封じられてしまった。(くずお)れることすら許されぬまま、胸倉を摑まれた。  王子に暴力をふるうなんて滅相もない、と平時であれば十人が十人とも真っ青になるはず。なのに三人組は禁を犯して(はばか)らない。  それは、つまり耳欠け病に対して、なんら有効な手を打とうとしない王室に不満をつのらせているということだ。言い換えれば鬱憤を晴らすのに、またとない機会と捉えている節があった。  ヴォルフは膝蹴りを繰り出し、だが、かわされたばかりか足を掬われてよろけた。精悍な(おもて)が屈辱にゆがみ、同族の男に唾を吐きかけてやれば、胃袋がでんぐり返るような一撃をさらに食らった。  ひとまず命乞いをして、この場を切り抜けるのが得策か? 冗談じゃない、王子の誇りに懸けて、ゴロツキ相手に(へりくだ)ってたまるか。  雨音が高まり、衣ずれはもちろん、足音も打擲音(ちょうちゃくおん)もかき消す。鹿族を除く獣人は皆、大なり小なり残虐性を秘めている。興奮が興奮を呼べば、獲物を仕留めることが即ち生きることだった太古の血が三人組を操るだろう。  ナイフは一挺、あれをどうにかしないと。ヴォルフはそう思い、深呼吸した。もしも滅多刺しにされることがあれば、輝夜は自分のせいだと考えて罪悪感に苛まれつづける恐れがたぶんにある。  ジョイスが突然、あの世に旅立ったさいに味わった喪失感とは較べ物にならないものだとしても、大切な男性(ひと)をほんの少しでも哀しませたくない。あの黒々と美しい瞳に、より色濃い悲愁の影が宿る、その原因となるくらいなら生きたまま豚の餌になったほうがマシだ。

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