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第69話

 囮役を任じて、ごみごみして猥雑な裏路地を走りどおしに走る。追手を撒きおおせたと確信して初めて、郵便局へ向かった。  合言葉を告げるふうに裏口の扉を一回、ひと呼吸おいて三回ノックする。とたんにソーンが飛び出してきて、 「ヴォルフう、無事でよかったあ」  すんすんと(はな)をすすりながら、しがみつく。 「へなちょこどもに俺がやられるかよ。いや、正直な話、さっきは助かった。褒美をつかわすぞ」  親しみを込めて鹿の耳を引っぱって返す。そのやりとりを聞きつけて、輝夜が集配棚の陰から顔を覗かせた。たちまち蒼ざめて駆け寄ってくるなり、ヴォルフの背に手を添えて長椅子へと促す。 「唇が切れて頬も腫れている。手当てするから、ここに横になって」 「ほっときゃ治る。あんたが無事なら、いい」  殊更ぶっきらぼうに応じて、手の甲で唇をぬぐった。新たに血がにじみ、刷毛でひと塗りしたような筋が野性美を引き立てる。  輝夜の(まなじり)がうっすらと紅を帯びたことに気づかないまま、長椅子にどさりと腰かけた。ほっとした反動で、どこもかしこもズキズキと痛みだす。脂汗がにじんだ額に、しなやかな手がそっと触れてきた。 「きみは無鉄砲で、でも勇敢だ。おれなんかのために闘ってくれて、ありがとう」  切々と囁かれると、魂そのものを鷲摑みにされたように胸が締めつけられて、ろくすっぽ呼吸(いき)もできない。皮肉るべきか、茶化すべきか、手を引きはがすのが先か。迷いに迷ったすえにそっぽを向くと、そこはかとなく甘やかなものを含んだ空気が漂う。 「おふたりさん、えっと……冷やすやつ」  現にソーンは邪魔してごめん、というふうな含み笑いを交えて濡れタオルを差し出してきた。 「シャツの靴跡は蹴られたせいだね。骨に異状がないか調べるよ、脱いで」 「ったく、ギャアギャアうるさいっての」  ヴォルフはぶつくさ呟きながら、それでも素直に胸をはだけた。紫色を基調にまだら模様になっている様子は、肌を画布になぞらえて描いた抽象画のようだ。その肌を優しく丹念に指が這う。ひんやりして気持ちがよくて、肋骨の数が倍に増えればそのぶん長くさわっていてもらえる。そう思った自分を恥じて荒々しく身をよじった。 「くすぐってえんだよ、鬱陶しい」 「うん、骨が無事な様子でよかったよ」  輝夜は淡く微笑むと、一転して口を引き結んだ。配達員の雨合羽が壁にかかっている。そのうちの一着を羽織り、フードを目深にかぶって決然と言った。 「湿布と傷薬、痛み止めと念のために熱冷ましも。茶房にひとっ走り薬草を取りにいってくるよ」 「馬鹿言うな。うろうろして、さっきの三人組とばったりってことになってみろ。今度こそ冗談抜きにぼこぼこにされるぞ」 「そうだよ、ヴォルフは頑丈なのが取り柄なんだから唾でも塗っとけば十分だって」  などとソーンも語気を強め、そこで熱情にあふれたヴォルフの表情から何かを察したふうに、そろりと部屋の隅へ行った。

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