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第71話
眉間に険しい皺を刻んで踵 を返す。輝夜は壁にもたれて、蜘蛛の形をしたシミをぼんやりと眺めていた。
「あんた、待ち伏せに遭うかもだし家に帰るのはヤバいだろ……うちに泊まっていけ」
「気持ちだけ、もらっておくよ」
素っ気ない返事をよこすと、衿ぐりからはみ出した指環を物憂げにいじる。
「ヒトは見世物、いろんな意味での捌け口、淘汰される運命にある」
豹の耳がピンと立って異を唱える。だが悲観的と笑い飛ばすということは所詮、他人事 と軽んじるということだ。試しに酒場に居合わせた獣人たちの反応を思い出してみるがいい。耳欠け病がらみの陰謀説を鵜呑みにして、輝夜にむき出しの憎悪をぶつけてきたじゃないか。どうせ数が少ないヒトなど、このさい根絶やしにする方向で引導を渡すか、異議なし、賛成──と。
そこで緑したたる森の中での一情景が、瞼の裏に鮮やかに甦った。
「あんたの故郷は、確か……」
盗賊の一味の襲撃を受けた、という部分は咳払いで濁す。輝夜はもしかすると戦利品よろしくつれ去られた先で、想像を絶する悲惨な目に遭ったのかもしれない。
ヒトが、ヒトであるというだけで苦しみを味わわざるをえなかったならば、厭世観に凝り固まるのも無理からぬ話だ。
雨に降りこめられた室内に掛け時計が時を刻む音が、重々しく響く。ソーンは痴話喧嘩なる頓珍漢な勘違いに基づいて気を利かせたつもりなのか、出ていったっきりだ。
黙っていると気づまりで、しかし会話を再開する糸口が見つからない。ヴォルフは生乾きの尻尾を丹念に手櫛で梳いた。
この部屋は本来、局員の宿直室だ。ヴォルフは長椅子に胡坐をかき、輝夜は丸椅子に腰かけて、ふたりを隔てるものは小さなテーブルひとつきり。なのに透明だが堅牢な壁で隔てられているように、たった数十センチの距離がとてつもなく遠い。
ちりっとした痛みが走り、尻尾が指の間をすり抜けた。毛づくろいに励みすぎて静電気が起きたうえに、所々もつれている。頭の中も同様に、ごちゃごちゃしてたまらないのだ。
それは輝夜の心が別の世界をさまよっているように見えるせいだ。焦点が定まらない目に映るものは、滅びて久しい故郷の村かもしれない。それとも、時空を超えてジョイスと愛を語り合っているのだろうか。
豹族は概して肉食獣系の獣人の中でもっとも気性が激しい。自尊心を傷つけられると、とりわけ事、輝夜から置き物のごとき扱いを受けると、カチンとくる次元を通り越して腸 が煮えくり返る。
肩を摑んで、ほっそりした躰を揺さぶって、俺を見ろ、ちゃんと見ろ、と吼えたてたい衝動に駆られる。その反面、優しく抱いて笑みを交わす幸福に酔いしれてみたいと思う。
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