75 / 129

第76話

「幸せは波打ち際でこしらえる砂の城以上に儚いものなんだ。やっと手に入れた居場所ですら呆気なく奪われて。心穏やかに生きていくコツはなんだか知ってるかい?」    暗黒の世界へとつづいているように虚ろな眼差しに気圧されて、ヴォルフは黙ってかぶりを振った 「(のぞ)みを持たないこと。失望感を味わわずにすむために、ね」    淡々と紡がれたそれを聞いて、木箱の正面にしゃがむ。生気にとぼしい顔を熱っぽく見つめても、視線を捉えるはしから逸らされてしまうのが、憎らしい。  と同時に輝夜の心の中には他者を拒む領域が存在する、と改めて思い知らされる。兄貴にはさらけ出したのか? 八つも年下の若僧は頼り甲斐がない、と切り捨てるのか? ひとりでは背負いきれない重荷を半分引き受けてやるくらい俺にもできる、きっとできる。  むしろ、あっけらかんと輝夜は言葉を継ぐ。 「おれの予想では近々、ヒトをひとまとめに避難所とは名ばかりの監獄に放り込むよ、必ず。臭いものには蓋さ、為政者の常套手段だ。閉じ込められるのは二度と御免だ」    ヴォルフは唇を嚙みしめた。王の意向は予想とは反対に、ヒトを打ち捨てておくことで生け贄としての役目を押しつけることだ、と伝えたところで何になる。  船底に亀裂が入った船が沈没するのを免れないのと同様に、ヒト憎しに凝り固まった時勢に逆らうのは容易なことではない。排斥される側にいるだけに輝夜が感じる恐怖は、怪物じみてすさまじいものなのだろう。  ひと回り瘦せたように見える躰を、うなじに腕を回して抱き寄せた。指環を通した鎖がじゃらつくと胸がちりちりと焼けたが、堪えた。濡れ羽色の髪を優しく梳いて、情愛を込めてツムジをついばむ。  らしくもなく、神に祈る。つらい境遇にあるこの男性(ひと)をこれ以上苦しめやがったら承知しねえぞ。  一体の彫像と化したように、あるいは互いが互いを(もや)う綱であるかのごとく寄り添う。呼気とも涙の雫ともつかないものでシャツの胸元が湿り気を帯びたころ、(かそ)けし声がくぐもった。 「躰の奥深くまで、きみで満たされたい」  と、股間に掌をかぶせてくるなり下衣を脱ぎ捨てた。  所詮、俺が求められているものは肉の交わりどまりか。ヴォルフは苦い笑みに頬をゆがめながらも、茶房とひとつづきの住まいへ輝夜を抱いて運んだ。寝台にうつ伏せに横たえて早速、秘処を暴く。  そしてヒナギクを思わせて可憐な蕾へと舌を伸ばした。これまでをするなんて仮初めにも考えられなかったが、今は積極的にこれをしたい気分だ。つけ耳の土台にそれ用の毛を植えつけていくとき以上の濃やかさで、ひとひら、ひとひら慈しむ。

ともだちにシェアしよう!