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第8章 十六夜

    第8章 十六夜  真鍮(しんちゅう)を熱して糸状に延ばしたもので小さな輪っかをいくつもこしらえた。  つけ耳の底面を縁取る要領で輪っかを八割がたずつ埋め込んだうえで、それぞれの輪っかに細い銅線を通して複雑な形に編む。ただし銅線の端は垂らしたままにしておく。土台に植えつけた毛を切りそろえて艶出しの香油をすり込むと、狼族の耳を模した、つけ耳の完成だ。  ちなみに、つけ耳を装着する方法は本人の耳の付け根一帯の髪の毛に先述の銅線で結わえつける。激しい運動をしても外れないように、と改良を加えたヴォルフの工房独自の手法だ。  ヴォルフは出来立てほやほやのつけ耳を油紙で包むと、宛名を書いた。手付金を受け取った時点で完成品を依頼主に郵送する契約を結んでいたのだが、 「転居先不明で戻ってきちまうかもな……」  顧客のうち何割が首都に残っていて、その中の何割が健在なのか定かではない。ほんのひと月前までは夜を日に継いで働いても注文をさばききれないほど忙しかったが、つけ耳を誂える者が激減したため下働きの小僧っ子にも暇を出した。  季節が移ろい、即ち首都全体が寂れはじめたのを境にして、現金なもので用ずみと宣告されたに等しい。ひとたび耳欠け病にかかったが最後、軽症ですむも死に至るも運任せ。  病に冒されてなどいない、この通り耳は無事だと、つけ耳で世間を欺きながら普通の生活を送りつづけるなど、どだい無理な相談なのだ。  コーヒーを淹れて、カップ片手に前庭に出た。通りの名の由来であるプラタナスの並木は実が鈴生りだ。野鳥が次から次へとついばみにきて、さえずり交わす。  井戸端会議といった微笑ましい情景を眺めていると、落ち葉がカップに蓋をした。蓋……サザエの口を閉じる板状の器官もそう呼ぶことを思い出すと、自然と眉根が寄る。 「あの、強情っ張りめ!」  もちろん輝夜のことだ。輝夜はまだ茶房で暮らしている。正しくは籠城している。焼き討ちに遭ってからでは遅い、うちに来いと、かき口説いても「待っている」の一点張り。  そのくせ「待っている」ものの具体的な内容については脅しても、すかしても謎めいた微笑ではぐらかす。  月齢十二と原始の血がたぎりはじめているにもかかわらず寒気がした。指が震えてカップが傾き、コーヒーがこぼれる。  まさか、と呟きが洩れた。輝夜はまさかジョイスの魂魄(こんぱく)と感応したという(しるし)が何かの形で現れしだい、黄泉の国へと旅立つつもりじゃないだろうな? 

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