81 / 129

第82話

 尻尾をひと振りして縁起でもない想像図を消し去る。すると、そこに声がかかった。 「おくつろぎのところ恐れ入ります。郵便物をお届けにあがりました」  制帽を脱いで(うやうや)しげに頭を下げたのは、イヌ族の中でもとびぬけて足が速いボルゾイ種の青年だ。 「ソーンは休みか。皆勤賞が自慢のやつが珍しいな」  青年は肩かけ鞄の留め金をもじもじといじり、言いよどむ。 「先輩は、あの、耳の病気に……」  カップがすべり落ちて、砕けた。 「あれに、やられちまったのか。どこで療養している、家か、診療所か」 「自宅で……なりません末の王子さま、行けば伝染(うつ)ります!」 「あいつは大切な友だちだ」  きっぱりと答えて市場へ走った。何はともあれ精がつくものをソーンの元へ届きたい一心だったのだが、野菜にしろ魚にしろ、どの売り場もすかすかだ。 「猟師も農夫も近ごろは行商に来たがらねえんでさあ。こちとらも仕入れるのに難儀しているありさまでしてね」  肉屋の店主が法外な値段を吹っかけてきたホロホロ鳥を焼いてもらい、たずさえて先を急ぐ。  川の(ほとり)に鹿族がまとまって暮らしている地域がある。ソーンが家族とともに住まう家も、その中の一軒だ。枝垂れ柳から枝垂れ柳へとロープが張り渡されて、千を超える提灯がぶら下がっている。  新月の夜にはすべての提灯に火が点り、 「恋人をつれてくるのに、もってこいだよ。後学のために、いっぺん見においでよ」  ソーンに誘われて遊びにきたことがあった。  その折に歓待を受けたソーンの家に着いた瞬間、ぎょっとして立ちすくんだ。軒から赤い布が垂れ下がっているのは、あれは鹿族独自の魔除けの類いだろうか。 「ありゃあ、病人を出したぞ、近づきなさんなって(しるし)さね」  通りすがりの老夫が憎々しげに布を指さすのを、ヴォルフはぎろりと()め据えて返した。  なおも老夫は「忌み家」だの「鹿族の面汚し」だのとブツブツ言いながら後ずさり、枝垂れ柳の陰に隠れて見張りをつづける。ソーン宅に一歩でも入った者は感染したと見なし、外から扉に板を打ちつけるなどして閉じ込めてやる、と言いたげに。  いわば張り番を務めている者は老父ひとりとは限らない。向かいの家の露台からも、橋の(たもと)からも鋭い視線が突き刺さり、地域ぐるみで相互監視を強めているさまに総毛立つ。    これではソーンを見舞うどころか、(おとな)いを告げることさえ(はばか)られる。  せめて会いにきたことだけでも伝えたい。ヴォルフは斑紋の部分を選んで尻尾の毛を何本か抜くと、肉屋がホロホロ鳥の包みを入れてよこした手提げ袋に忍ばせて、それを扉の把手(とって)に引っかけた。

ともだちにシェアしよう!