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第83話

 しかし所詮、おためごかしだ。すごすごと退散する方向でいきながら友だちでございとは、ちゃんちゃらおかしい。  自分で自分の頭を殴りつけた直後、火山が噴火するような激烈さで、その思いが湧きあがった。  今すぐ輝夜を抱きしめたい、いや、抱擁を交わしたい。温もりを分かち合って、冬の時代にも美しいものが育つのだと信じたい。  屋根から屋根へと飛び移って近道をすれば、ここから茶房までおよそ二十分。靴紐を締めなおそうと腰をかがめたせつな、尻尾が突如弧を描いて持ちあがった。しかも内側から発光しているように、すべての斑紋の輪郭が黄金色(こがねいろ)を帯びて、まばゆい。  生まれて初めてお目にかかる現象だ。そのうえ大地が傾いたように感じられて傍らのガス灯にしがみついた。  輝夜の……彼をひときわ印象づける愁い顔が脳裡をよぎったとたん、動悸がしだしたのは偶然に違いない。だったら、まさか耳欠け病の前駆症状だろうか。  冷たい汗が背中を濡らす。恐る恐る耳をまさぐって、ほうっと息をついた。ふさふさと毛で覆われて、取り越し苦労もいいところだ。  と、路地に面した小窓に人影が差した。ソーンだ、と直感して駆け寄り、目を瞠る。  たった数日の間に、ソーンは別人かと見まがうばかりに面変わりしていた。鹿族ならではの弾むような足どりは影をひそめて、伝い歩きでよたよたと窓辺へやってくる。熱が高い様子でつぶらな瞳は潤み、より正確に言うと絶望の色をたたえて濁り、それでもヴォルフを認めると太陽が昇ったように明るんだ。  早速窓の錠前に指をかけ、ところがハッと気づいたふうに外すのをやめて、あまつさえ帰ってくれと身ぶりで促す。  病を伝染(うつ)したら大変、と邪慳にするのだ。ヴォルフはそう推し量ったものの、笑顔をこしらえたうえで小窓の面格子にかじりついた。 「おまえの代わりに配達にきたやつは堅っ苦しくて調子が狂う。早く躰を治して復帰しろ」    手を握って元気づけてやりたい。だが肌が触れ合わさるということは、ソーンの心づかいを無にするということだ。現に、まだらにハゲて薄桃色の地肌が覗くあたり、鹿の耳は確実に蝕まれつつある。  ソーンが、かすれ声を振りしぼった。 「前にさ、おいらも大活躍だった雨の夜にさ、テルさんと三人で飲んだでしょ。楽しかったねえ、また、いつか集まれたらいいねえ」 「なら、おまえの快気祝いにあいつも呼ぶか。俺のおごりで酒場を借り切って、盛大にやろうぜ」    麦酒をラッパ飲みする真似を交えてみても、ソーンは縦横どっちつかずに首を振るのみ。  主賓の席に座ってどんちゃん騒ぎしている場面を思い描いている、とヴォルフは信じたかった。夢物語に終わるとハナからあきらめているかもしれないなんて、ちらとでも思いたくない。

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