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第84話

   胸の中を淋しい風が吹き抜けた。友だちのそばへ行きたい。そんな、ささやかな願いすら叶わないのか? 面格子のうちの隣り合った二本を握りしめて、左右に引っ張った。  手っ取り早くこいつをねじ曲げて、窓ガラスを叩き割って……四方八方からそそがれる視線が、鹿族のものというより獅子族のそれのような残忍性を帯びていく。  立ち去る潮時だが、立ち去りがたい。ヴォルフは地面に縫いつけられてしまったような足を無理やり動かした。 「ゆっくり(やす)んでくれ。じゃあな、また来る」  また来る、と一音節ずつ強調しながら繰り返したあとで歩きだす。ことさら肩をそびやかし、その肩越しに振り向いたせつな、胸を締めつけられた。  今生の別れだと確信しているような風情だ。ソーンはまじろぎもしないで、じっと見つめ返してきた。  時間が四年前に巻き戻される。王宮を飛び出して下町で暮らしはじめたばかりのころ、ヴォルフ自身は王子の称号などドブに捨てたつもりでも、隣人にとっては王子は王子のままで腫れもの扱いだった。ところがソーンは配達がてら工房に挨拶に寄ったときから、初対面のぎこちなさを感じさせなかった。  ──この貸家の家主ときたらガメツイって評判でさ、言い値で家賃を払ったら破産しちゃうよ……言わんこっちゃない相場の倍だよ、ぼられたねえ。よしきた、おいらが家主に掛け合ってあげる。値引き交渉くらいチョロいもんさ……。  愛嬌があって、世話好きで、種族の垣根を超えて気が合って。今までも、これからも、終生の友だちだ──。  取って返すと、ソーンはあわてて向こうを向いた。しゃくりあげたのをごまかしたがっているように、丸まっちい尻尾をぷるぷると振る。 「ソーンさまに内証にしとこうなんて百年早いんだからね。ヴォルフはテルさんに恋してる、熱烈に恋しちゃってる。なんたってチュウしてるとこを、ばっちり目撃したもんね。お似合いだよ、ヒューヒュー」 「こら、勝手に話を作るな!」  拳を振りあげてみせると、かえって哀しみという欠けらが心に降り積もっていく。豹の耳も尻尾も垂れてしまい、大根役者ぶりを露呈しているに等しいが、それでもヴォルフは力強くうなずきかけた。 「おまえは絶対元気になる、俺が保証する」 「気休めでも、ありがとさん」  敬礼の真似事で応じたあとで、ソーンはのろのろと向き直った。窓にへばりつくと、同じことをするようガラスをつつく。ガラスを介してだが、鼻の頭をすりつけ合う、という鹿族の伝統的なやり方で再会を約した。

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