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第92話

 決意を新たにする。たとえ輝夜の心の中にジョイスが未だにどっかりと居座っていようとも、かけがえのない男性(ひと)が伸び伸びと暮らせる場所へたどり着くのを手助けするのは俺にしかできないことだ。命を()するに値する、最高の名誉だ。 「あんたが行きたい場所が、俺の目的地だ。安心しな、絶対につれていく」  (かま)の中で石炭が赤々と燃え、その光が反射するなかで視線が絡む。互いの体液にまみれて貪り合っているとき以上に熱っぽく、狂おしく。  うれしいときはパタパタと(くう)を叩き、哀しみに沈んでいるときは垂れ下がる。尻尾は、時として百万言を費やすより饒舌(じょうぜつ)に想いを語る。輝夜、愛している──と。  もっとも別々の言語圏で生まれ育ったかのごとく、そのへんの機微をヒトが解するのは難しいが。  帯状に霧が薄れるにしたがって星がまたたき、ビロード地に金糸で刺繍をほどこしたような風景が展開する。首都を抜けて、夜を越えて、さらにいくつかの街を後にした。風車がゆるゆると回る穀倉地帯も、小高い丘の牛の放牧地も、ちんまりと軒を並べる村落も彼方へと遠のく。 「疲れたら操縦を替わってやるぞ」 「きみに任せるのは、ちょっと不安だな……そうだ、飛行艇は着水できるんだ。湖か大きな池がないかな、ひと息入れるのに」  月齢十三を迎えて五感が研ぎ澄まされてきたとはいえ、さすがに上空から水の匂いを嗅ぎ取るのは無理だ。代わりに罐の番に励み、なんの気なしに顔を手の甲でぬぐうと、輝夜は噴き出した。 「何を笑ってる、何がおかしい」 「煤がこびりついているのをこするから顔が肌色と黒のまだらになって、博物館に模型が展示されているパンダという動物みたいだ」    それを聞いて絵筆を走らせる手つきで、すべらかな頬に煤をなすりつけて返す。にやにやしてみせたのもつかの間、真顔になった。頭の後ろで腕を組むと、仰のいた。 「ヒト専門の里じゃ、獣人は門前払いだろ。だからってハネイムに帰るのは面倒だ。俺は俺で(ねぐら)を見つけねえとな」    輝夜は弾かれたように横を向いた。飛行艇を乗りこなすのに必死で、旅路の果てにヴォルフとの別離が待ち受けている可能性について考える余裕など、まったくなかったふうだ。 「事情を説明したうえでお願いすれば、きみも必ず里に受け入れてもらえるよ」  ヴォルフは苦笑を浮かべるにとどめた。耳欠け病が誰のうちにもひそむ醜い本性を暴き出す触媒となったのが、いい例だ。  獣人に限らず、生き物は己に不利益をもたらすものを問答無用で排除する。それが現実で、弱肉強食の掟だ。

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